侏儒(しゅじゅ)とは、小人(こびと)であるが超人的な能力を持ち合わせる妖精のようなものらしい。
小人症というホルモンの異常で起こるものと説明されるが、古来より見世物にされたりしてきた悲しい歴史があった。
『てなもんや三度笠』で有名になった「白木みのる」というコメディアンが大阪にいるが、あの人などがそういう病気であると聞いている。
声はというと、女か子供のもので、見た目の体も小さい。

ところで、アダルトビデオの世界にも小さい人が活躍している。
英語では「dwarf」や「midget」で検索すればそういうAVが見つかるだろう。

https://jp.pornhub.com/view_video.php?viewkey=ph5a2763994f8fa

彼は撮影時二十四歳だと言っているので、成人している。
「にしくん」と呼ばれている。

「にしくん」はちゃんとセックスできるし射精もできる。
女の子をちゃんと逝かせることもできている。

こういった人が高収入を得るために、顔を出して、かかるビデオ作品に出るのも自由である。
それなりにファンも多く、声変わりしていないかわいらしい姿からは想像もつかない濡れ場を演じることに生きがいすら感じているだろう。

世の「良識ある」大人たちは眉を顰(ひそ)めるにちがいない。
曰く「小児性愛を助長し、性犯罪者を増やす」
曰く「障がい者を冒涜(ぼうとく)する作品だ」
などなど…

私は、「にしくん」が成人である以上、「にしくん」の自主的な行為だと信じている。
また、障がい者にもアダルト作品に参加する権利もある。
これが「小児性愛(ペドフィリア)」の要求にこたえるものだということも知っている。
昨今の、子供が犠牲になる犯罪が多いのも、この手の作品が影響しているのは否めない。
そういうことを踏まえたうえで「にしくん」の行動を考えていきたい。

「にしくん」が性的な欲求を満たすには、風俗店にでも行けばいいと考える人は、浅はかだ。
あの体で、風俗店に行けば追い返されるだろう。
だとすると、もっとも考えられるのはアダルトビデオの世界なのである。
監督や女優のもと、彼はカメラの前でぞんぶんにセックスすれば、それはある種の嗜好を持つファンに受け、「にしくん」にもインカムが望める。
需要と供給が「にしくん」に美女とのセックスとお金を約束するのだ。

これは良いことなのではないか?
そして問題は、それを見たファンのなかに、映像に飽き足らず、小児性愛行為を実行し犯罪に走るものが増えるという懸念である。

なぜ仮想の現実で満足できないのだろう?
犯罪者が増えることで、「にしくん」も生きづらくなる。

そう、ちょうどアメリカの銃規制問題に似ている。
銃犯罪を撲滅するには、保有者から銃を取り上げることだが、なかなかそうはならない。
小児性愛、なかんずく「ロリコン」に起因する犯罪は、こういった作品を社会から撲滅することが目下、最良の方法のように思えるが、表現の自由の観点からそれはできかねる。
年齢で社会から犯罪に巻き込まれないように少年少女を護る法規制があるのみで、抜け道はそこかしこにあるのだった。

「にしくん」がどうみても成人に見えず、小学生高学年か中学生にしか見えないところに「商品価値」があると業界ではみている。
これは「抜け道」の一種である。
成人の童顔俳優を使うというものだ。
そこに小人症の人を持ってくることに反社会性があるのではないか?
私もそう思わずにはいられない。
だが「にしくん」は自分の意思で、結果が何をもたらすのかに関知せず、AVに飛び込むのだった。
それを止めることは、私たちにはできない。

ハンディキャップを持つ者がアダルトビデオの世界や性風俗の世界に参加してもいい。
性に興味を持ち、性的な嗜好を満たすのは健常人と同じだからだ。
我々が「大人」になりさえすればいいのだ。
「理性」を働かせることが「大人」の「大人」たるゆえんであろう。

「チンパンジーの世界にもセクハラがある」として「人間社会のセクハラは仕方がない」などという論調が『正論』という雑誌にあるようだが、とんでもないことだ。
チンパンジーには理性がないが、人間には理性があるはずだからだ。