九月は「長月」とも呼んで、夜が長くなり、月も映える季節だと言われてきた。
尚子(なおこ)は、弟の浩二を連れて「せんぶり引き」に、傍示川(ほうじがわ)の土手に来ていた。
「せんぶり引き」とは薬草の「せんぶり」を摘み取ることである。
千振

「苦いんやで、この草」と、小学六年生の浩二が言う。
「こうちゃん、飲んだことあんの?」と尚子がせんぶりの花の咲いた茎を引きながら尋ねる。
「あるよ、お腹痛(いた)のおりに、お祖母ちゃんが煎じてくれた」
「めっちゃ、苦いやんな。お腹の虫も逃げるわなぁ」尚子も独り言のように言った。
もうすぐ夕焼けに染まるだろう。
祖母に頼まれて、この季節に花をつける「せんぶり」を手かごにいっぱい摘み取った。
コオロギがころころと鳴いている。
浩二は、だいぶ離れたところで虫を探しているようだ。
「もう、暗(くら)なってきたし、蚊ぁに食われるから帰ろ、こうちゃん」
「うん、ちょっと待って」
どうやらキチキチバッタを捕まえようとしているらしい。飛ぶときに「キチキチ…」と音を立てるのでそう子供たちは呼んでいる大きなバッタだ。
風もいくぶん冷たく感じるようになった。
尚子は、せんぶりの入ったかごを携えて、背を伸ばし西日をながめる。明日は中学校の運動会だった。
「晴れるなぁ。この分やと」とつぶやきながら、土手を下った。
後ろから雪駄をぱたつかせて、浩二が尚子を追いかける。
「姉ちゃん、待ってぇな」「はよ、来(き)。おかあちゃん、帰ってはるで」
里の方へ続く農道を足早に行く姉弟。影が伸びていた。

母屋のほうでは、尚子の母が軽快に包丁を鳴らしている、
「きょうの晩めし、なんやろ?」と浩二。
「お父ちゃんみたいなこと言うてから」尚子がたしなめる。
三和土(たたき)に入ると、みそ汁の香りがただよっていたし、ごはんの炊ける香りも加わっていた。
「なおこ、どこ行ってたん?」母が問う。
「お祖母ちゃんに言われて、せんぶり引きに行ってた」
「浩二もか?」
「うん」浩二が答えた。
「なおこ、明日の用意してあるんか?」
「体操着やろ、洗濯してくれたやつ、たとんだ(たたんだ)」
「お弁当のおかず、何がええの?」
「からあげ」「言うと思ったわ」
いつもの母娘の会話だった。
「おれも、からあげがええ」と浩二が入ってくる。
「浩二もお弁当、つくったげよか」と母。
「うん。けど中学には観に行かへんで」
「なんや、家で食べるだけかいな」「そや」
尚子は吹き出した。
浩二はいつもマイペースな子だった。
尚子にとっては、中学に上がって初めての運動会であり、家族みんなで見に来てほしいと思っていたが、浩二が来なくても一向にかまわなかった。

その夜、スズムシの鳴く部屋で、尚子は運動会の用意を確かめていた。
スズムシは浩二が水槽で飼っているのだった。
およそ虫の出す音とは思えない金属的な音を、尚子は不思議に思っていたが、毎日聴いていると慣れてしまい、最初の感慨はなくなっていた。
「姉ちゃん、ブルマ履くの?」
「そうやで。小学校とは違うんやで」
「姉ちゃん、お乳もおっきなってきたな」
「わかる?けっこう目立つようになってん」
尚子は、自慢げに胸をそらせた。
「ブラジャーしてるもんな」「あんた、そんなとこばっかし見て。エッチ」
「男はみんなそういうもんや」といっぱしの大人のような口を利く浩二だった。

スズムシの音(ね)がしばらく部屋を流れた。
「姉ちゃん、おれ、生えてきてん」
尚子は、カバンを閉じながら「え?」と聞き返した。
「ちんこに毛ぇが」
「なに言うのん。浩二は」
「おれも大人やで」
そう言うと、浩二はパジャマを下ろしてぽろんとおちんこを尚子の前で出したのである。
「あほ。それくらい、誰でも生えてるわ」
尚子は、驚きもせず言い捨てる。
「それにな、こうして…剥けるねんで」
浩二は皮に包まれた亀頭を露出させた。尚子の目が釘付けになるが、すぐに目をそらし、
「あのなぁ、こうちゃん…はよ、しまいなさい。いくら姉にでも見せてええもんとちゃうやろ!」
尚子は、姉らしく怒気を含んで戒めた。
「うへっ。こわっ」
浩二は性器をパンツに収めると、鎮まった。
「なぁ、姉ちゃんも生えてんの?」
「生えてますっ!」
「ぼうぼう?」
「怒るよ!もう」
尚子は立ち上がって、ふすまを開け、ぴしゃりと閉めて出て行ってしまった。

尚子はしかし、今見た弟の性器を脳裏によみがえらせていた。
「あの子…もうあんなにおっきくなって」
お互い幼いころには一緒に風呂にも入っていた。
尚子に初潮があった去年を境にそういうことはしなくなった。
母親が咎めたからだ。

尚子のクラスでも性の話は友人同士でするし、男子生徒が聞こえよがしに卑猥な言葉を発するのを聞きもしている。
なんでも男の子は「せんずり」という行為をして、欲望を発散しているらしいことなど。
尚子は「せんぶり」と聞き違えて、あの薬草がなにかとても「嫌らしい」ものに感じられてしまった。
わかっていても「せんぶり」と聞けば、あらぬ連想してしまうのであった。
同じクラスの間宮秀子(まみやひでこ)が、
「せんずりはこうやるらしいで」と手真似で尚子に教えてくれた。
秀子は「百万石」という銭湯の娘で、早くから男性の体について訳知りだった。
男の子のペニスの先が、子供は皮に収まっているけれど、大人になると剥けて出たままになるとか、そういうことを尚子は秀子から、細かく聞いていた。
すると、浩二は自分で剥かないと先が露出しないようだったから、まだまだ子供である。

「そんでな、せんずりをすると、最後にはぴゅっぴゅって」
「なんやの?ぴゅっぴゅって」
「精子が出んねんがな。なおぼんは知らんの?」
「知らん」
尚子は、学友から親しみを込めて「なおぼん」と呼ばれていた。

そんなことを思い出しつつ、尚子は便所から出てきた。
今日は月がきれいだった。
縁側と坪庭が月光で明るかった。
「精子かぁ…どんな色してんねんやろ?」
精液の色については、秀子も知らないらしく教えてくれなかった。
「浩二も出るんかなぁ」
松の枝の間から見え隠れしているほぼ満月の光を浴びてつぶやいた。

尚子と浩二は部屋が違うが隣同士で寝ていた。
ふすまを閉めれば互いに個室になるが、夏は暑く風通しも悪いので開けっ放していた。
夜具を別々に敷いて姉弟は休んでいた。

常夜灯の下で、かさかさと音がする。
スズムシの音とは別の音だった。
どうやら浩二の布団の方から聞こえる。
尚子は、そっと布団から出て、その音のする方向に這っていった。
浩二は、パンツを下ろして男性器を握ってこすっていたのである。
それはまさに秀子が真似た手の動きだった。見てはならないという気持ちと好奇心が葛藤した。
尚子の心臓は早鐘のように打つ。掌には汗がにじんでいた。
「あ…はっ…」浩二の切なげな息遣いが聞こえ、目をつむって妄想しながらこすっているのだった。
じきに浩二の体が痙攣して手が止まり、さっき見たときより倍ほどにも成長した性器の先から、どろりとした液体が噴き出した。
その液体は常夜灯で鈍く光りながら浩二の手の甲を伝って、腹部に溜まりをつくったのである。
「あれが、精子?」
肩で息をしながら、浩二がしばらく動かなかった。
尚子が、見つからないように自分の布団に引き上げたのは言うまでもない。
たかだか十一歳の男の子でも、ああいうことをするのだと、尚子は心がざわついて眠れなかった。
そして尚子自身も「濡れて」しまっていたのだった。
尚子は自慰を小学生の頃から密かにおこなっていた。
机の角に陰部をこすりつけたり、枕を股間に挟んできつく両脚で締め付けてみたりと、幼い性欲を満たしていたのである。
それが大人のするセックスとは同じものだとは思っていなかった。
指をしゃぶったり、爪を噛んだりするようなことと同じようなものだと思っていた。
ただ、刺激する部分が部分なので人目をはばかって楽しんでいたのである。

浩二は、しかし、性的な妄想の中で芸能人の少女やクラスメイトを使うのではなく、もっぱら姉の尚子だったのだ。
尚子は、そんなことを想像すらしていなかった。
「姉ちゃん…」言葉にならない、かすかな息で姉を呼んで果てるのが常だった。

あくる日の運動会、尚子はまんじりともしない表情で中学校に向かった。
運動がそれほど得意というわけではない尚子だったから、あまり気は進まなかったが、両親や祖父母に観に来てもらうことは、親孝行だと感じていた。
「浩二は来ないんだろうな」
尚子は昨晩のことがあって、浩二を特別な目で見てしまう。
日曜なので、浩二も来られるはずなのだ。

ところが浩二が両親とともに来てくれたのである。
「気まぐれなヤツ…」と思いながらも尚子はうれしかった。
浩二は、姉の体操着姿が見たくって来ただけだったのだが…
浩二は誕生日に買ってもらったカメラを持ってやってきていた。
姉のブルマ姿をフィルムに収めるために…
姉ならどうどうと写真に撮ることができるという、浩二なりの思惑が働いていた。

母の心づくしのお弁当も堪能し、尚子は中学最初の運動会をクラスメイトと楽しんだ。
浩二も姉の姿態を二本のフィルムに収めてご満悦だった。

「なぁにこれ、あたしばっかり」浩二が現像に出した写真が戻ってきたのを見て尚子は言葉を失った。
「姉ちゃんが、いちばん、いかしてたから」と浩二が言う。
「こんな股を開いて座ってるとこなんか、いつ撮ったん?」
尚子ははずかしさで顔に血がさした。
「姉ちゃん、ごめんな」
「浩二は、好きな人とかいいひんの?」
「いいひん。姉ちゃんがいっちゃん好き」
きっぱりと浩二が言った。
尚子は、どう答えてよいのか言葉を探した。
「姉と弟ということで、好きとかそういう問題やなくって…」
「わかってんねん。けど…」浩二が、うつむいてしまう。
尚子は浩二がかわいそうになり、それ以上追及するのはやめた。
「とにかく、大事にしまっといて。あたしの写真」「うん」
尚子は、そう言うのが関の山だった。

尚子は悟った。
あのとき、自慰をしながら浩二は、姉を脳裏に描いていたのだと。
姉を妄想で汚しながら行為にふけっていたのだと。
「あの写真、見ながらするんやろな、浩二」
尚子は、しかしまんざらでもないようだった。
そして尚子は、だれにも相談できない悩みを抱え込んでしまったのだった。

(おわり)