私は、床(とこ)の縁(へり)に掛けて、窓から覗く夜半(よわ)の月を眺めていた。
集(すだ)く虫の音(ね)が、止んだと思えば、また沸き起こる。

ふと背後に気配を感じた。
しなだ。
しなは、私より十(とお)ほど年上の後家である。
夫に恵まれず、二人の夫はいずれも早世してしまったという。
「何を見とるん?」
「つき…月だよ」
「風流やね、あんた」
そういうと、おれの左の肩にしなだれかかってきた。
熱い三十路(みそじ)のその体をおれの裸の背中に合わせてくる。
さっきの激しい交わりの余韻を残しているようだ。
やわらかい乳房が、月光によって陰影を残し、私はまたむらむらと劣情が湧いてくる。
燭光のない、暗闇のなかでおれは女の唇を当て推量(ずいりょう)で求めた。
はむ…
生暖かい湿った肉を、己の唇で集める。
やや厚みのあるしなの唇が吸い付く。
「ああん、栄策(えいさく)さん…」
おれの名を呼びながら、しなはおれの手を取り寝床に倒れ込んだ。
おれは女にかぶさって、ふたたび唇を吸う。
邪魔になるくらい、硬くなった男根がしなの腹をつついている。
「やだ、やだ、えいさくさん」
「しなっ」
ぐずぐずになった女の洞窟は、私の高まりを食むように呑み込んだ。
「うぐ」
「あふう」
声にならない声を互いに発しながら暗闇で向き合っている。
もう何度、つながっただろう?
そして幾度も、女の中に注いできたが、かりそめの夫婦の営みが実を結ぶことはなかった。
こんな男女の間に生まれた子は不幸になるに違いない…
私は勝手にそう思い、しなが孕まないことを幸いと感じていた。

しなは、口でも私を逝かせるという技をもっていた。
「みんなしてるだよ」
怪訝そうに行為を見つめる私を平然とした口調で答えた。
まだ十九だった私は、童貞だった。
しなは私の童貞を嬉々として奪った。
「めんこいな、栄策さんは」
そういって、着物の合わせから掻き出(いだ)した豊かな乳房を赤子にするように私に与えたのである。
しなの手の中で、私が高々と噴き上げるのを、しなは見たがった。
口や手で私を逝かせることで、孕む危険を避けていたのかもしれないが、近ごろはまったく臆せずに、胎内に欲しがった。
「ああ、あついわぁ、あつい」
そう言って、しなは私の精を受けてくれるのだった。

「ねえ、朝には発つん?」
「ああ、省線で東京府に出る」
「もう、会えんね」
つながりながら、私たちは「最後の契り」を惜しんでいた。
私は、人形町の伯父が開いている探偵事務所に「ぶらぶらしているのなら、手伝え」と呼ばれていたのだった。
伯父は「代言(だいげん:弁護士のこと)」で、同じ事務所で探偵といういかがわしい仕事もやっているのだった。
「また会いに来るさ」
「うそ」
「うそじゃない。しなさんのこと忘れへんから」
「かわいい子」
そういって、私の髪に指を通して引き寄せる。
私はまた唇を合わせた。
ちゅっ…
「ああ、しなさん、いく、いくっ」
「ええよ、ちょうだいっ」
びゅくびゅくびゅく…

また、集く虫の音がいちだんと大きく聞こえるように思えた。