昨日「子育てのしにくい社会」について勝手なことを書いてしまったが、子供を中心とした社会に、親はどう取り組んでいくかという問題に帰結するような気がする。
なぜそうなるかというと、生物があまねく子孫を残すという営みによって存在しているからである。
杉田水脈議員をして「同性愛者に生産性がない」と言わしめたのは、その点について誤りはないのである。
親は、だから子供の犠牲によろこんでなるものだ。
親のしたいことのために子供が犠牲になってはならない。
学校行事やPTAのために仕事を休んでやるのも悪いことではない。
(そんなことをして仕事を失ったら、子供も飢えてしまうというのなら、私も強いて言わないが)

しかし、人間社会において、生殖のみが「生産性」の対象とされるのは、あまりにも野卑であり、人間の動物的な部分しか見ていない。
政治的にその少数派に対して、税金で手厚い保護をするというのは、憲法的に合致していてもバランスを欠いた施策となり、逆差別を生みかねないという懸念は論じられてもいい。
人間は「人間的」である証左として、あらゆる知的生産を行えるのだ。
そういう意味で、どのような人も社会に貢献する可能性を秘めており、あたまごなしに「非生産的」と喝破するのは人権を蹂躙(じゅうりん)していると私は思う。

昨日、ノーベル平和賞に「戦争による性暴力を受けた女性」としてナディア・ムラド氏(25)とコンゴで性被害に遭った女性たちを医療で助けた産婦人科医デニ・ムクウェゲ氏(63)がダブル受賞したことが報じられた。
日本で議論を呼んでいる「男女の生産性」よりも「レイプ」のほうがより深刻な問題であり、もっと論じられていい。
戦争になると、敵国に恐怖心を与えるために敢えて、敵国女性を拉致して、自国の兵によって凌辱して見せしめにするという卑怯極まりないことが行われている。
「慰安婦」よりも、えげつない話だが、ムラドさんは、若いのに、気絶するまで男どもに犯され続けたという。
「慰安婦像の撤去」「日本軍だけがレイプ魔みたいに書くな」とか、そんな問題こそ些末である。
戦争がみんな悪いのだ…戦争になったらみんな鬼畜になるのだ。
でもそれだけでは思考停止をまねく。
「戦争しなければいいのだろう」という安直な結論で聖人のような顔をしていていいのか?
「平和主義者」はもう一歩進んで、戦争弱者を守る行動に出なければならない。
その第一歩が今回のノーベル平和賞だと思う。
悲しいかな、戦争はなくならないのが現実だ。
そして、何で戦っているのかわからない泥沼化の中で、和平を探る努力もせず、掠奪し、女を犯し続けるために戦っている人間がいる。
生死を分ける絶体絶命の戦闘の中で、兵は生きている証(あかし)を求めて、女の体を求める。
慰安婦とはそういう対象だった。
慰安婦がいなければ現地調達の女になる。
沖縄の米兵が県民の女性を凌辱するのも同じ理屈だろう。
そんな極限状態に身を置かねばならない戦争や戦争準備を即刻、止めさせねばならない。

「戦争させない」努力は、平和時における外交努力につきる。
差別を煽るような言動を慎み、他者への理解に努めるのが肝要だ。
国際観艦式における自衛艦の「旭日旗掲揚」に対する韓国政府の感情的な訴えに対し、我々はどういう対処をするのか、すでに観艦式不参加で対立感情を露(あらわ)にしてしまっている防衛省だが、それでいいのか?
「旭日旗」にひとしおの思い入れがある日本人もいるだろうが、この旗に暗い過去を見る人もいる。
それは国旗「日の丸」でさえもそうなのだ。
ただ国旗である以上、民主国家はそのデザインに文句をつけられないという紳士協定がある。
過去にさまざまな軋轢があり、人権が踏みにじられた経緯がその旗に塗りこめられているとしたら、どうだ?
その旗が、国の主権の象徴である自衛艦に掲げられるのは「そういう日本の決まり」では済まされない事情があることも、我々日本人は理解しなければならない。
「韓国人は理不尽を日本に押し付けて、いい気になっている」と単純に考えてしまっては、このまま対立が平行線をたどることが必至である。
もっともよい方法は、私見だが、自衛艦は観艦式に堂々と「旭日旗」を掲げて参加するべきである。
そして何も言わないでいい。
取り下げたり、不参加にすると「認めた」ことになるので、良くないと思う。
「旭日旗」を掲げた日本の軍艦を見せて、韓国側に言いたいだけ言わせてやればよいのである。

私の「旭日旗」に対する考え方は、「韓国人の気持ちにも配慮し、過去を反省しつつ、それでも伝統のこの旗を我々は掲げるのだ」という思い入れを前に出せということだ。
「旗を掲げよ」とは意気昂揚の印であり、どの国の軍にもある。
ドイツの「双頭の鷲の旗のもとに」や、アメリカ海兵隊の「センパー・ファーイ精神」などとともに強い軍隊の印なのだから。

戦争をしない努力を、現実に軍隊が存在する世の中でどうやって果たしていくか、世界中で問われている。
軍隊が観艦式のような儀仗的式典で見せびらかすだけの存在なら、おおいにやってくださって結構だ。
副次的に抑止力となるなら、お祭りでいいではないか。