テロと自決は違うのだろうか?
相手を傷つけない自決はテロではないと主張する向きもある(『憂国論』白井聡、鈴木邦男)。

鈴木邦男氏は三島事件における三島由紀夫の自決はテロではないと言うし、朝日新聞社社長室でピストル自決した野村秋介の最期もそうだという。

私は、三島の行為がテロではないというのは賛同できるが、野村に関しては、彼が暴力団あがりの男であり、過去に河野一郎(現外相の河野太郎の祖父)の家に火を放ったりしていることからテロリストだと思っている。
彼の朝日新聞社での事件はテロの延長線上にあるものだ。

しかし、鈴木邦男(右翼団体「一水会」の元主宰)は三島も野村の場合も「極限の言論」の行為だと位置づける。

鈴木氏はかつて野村に「テロを否定する」と進言したところ、こっぴどく叱られた記憶があるという。
「お前も左翼と乱闘しているじゃないか」と。
野村秋介は「右翼の敵はアメリカだ。権力者のイヌになって左翼と小競り合いをやっているようではだめだ」と喚起していたはずだ。

当時も今も、右翼は国家公安委員会に利用され、左翼の取り締まりの一翼を担うとして存在する。
政府は左翼活動こそ国家転覆の根源だと蛇蝎のごとく嫌うのだ。
「公安」は戦前の「特高」の残党である。
彼らの思想は戦前も今も変わらない。
そして右翼が公安や警察に協力し、左翼の取り締まりを強化しているのだった。
鈴木氏の話によると、そのために裏取引があったらしく、微罪で済むように左翼にゆさぶりをかけたりしたらしい。
また道交法違反も「お目こぼし」があったという。
街宣車が不法駐車されていても取り締まられないのはそういうことなのだった。

左翼取り締まりのためには、そうとう汚い手を使われているらしい。

公安に言わせると、テロリストの温床は「左翼活動家」だと決めつけている。
そういう面も否定できないが、それなら右翼活動家はクーデターの温床ではないか。
五・一五事件や二・二六事件、八・一五終戦阻止未遂事件などは軍部右派の暴走だった。
野村が「右翼の敵は、腰抜けの政治家もしくはアメリカ帝国主義だ」と言って憚らなかったのもそういう経緯が言わせていたのだろう。

皇道会は、明らかにテロリスト集団だ。
なぜなら、犬養毅や高橋是清を問答無用と殺害したからだ。
そういう意味で、鈴木氏は三島由紀夫や野村秋介はテロリストじゃないというわけだ。

「暴力は振るうのだけれども、あくまで自分自身に対するものだから、それはメッセージなのです。言ってみれば、極限の言論だとも言えるわけです」(前掲書71ページ)

自害は、マハトマ・ガンジーの断食抗議に比定されるものなのかもしれない。
死をもって抗議する…
フランシーヌの場合』のフランシーヌ・ルコントの焼身自殺もそうなのだろう。
焼身行為や割腹行為を公然と行うことは、見る者へ畏怖を与え、心に傷を負わせるに十分な行為であるから、テロリズムの一方法であると、私は理解している。
新谷のり子の歌声は、安保闘争の思い出の一つである。