毎日新聞夕刊(令和元年10月28日付)のコラム「新20世紀遺跡 69回」で「小林多喜二ゆかりの地」と題して、彼の足跡をたどる企画があった。
多喜二は『蟹工船』や『党生活者』で有名なプロレタリア文学の作家である。
共産党に参加し、反軍思想、反戦思想の急先鋒として官憲に追われる生活だった。
何度も投獄され、拷問に次ぐ拷問で体はやつれ、負傷し、そんな中でも執筆をつづけたため、取り調べの特高警察を激昂させる悪循環に陥り、獄中で死亡したのである。
その遺体には無数の傷があり、腫れあがって見るに堪えないものだったと同志の今村恒夫が述懐していたそうだ。

このコラムの副題として「思想の自由なき社会の惨」とある。
最近、「表現の不自由展」が物議を醸していた。
多喜二も『蟹工船』のなかの表現で「不敬罪」に問われ、しょっぴかれて豊多摩刑務所に収監されたことがあった。
未完に終わった『党生活者』に生々しい「非合法運動」の弾圧が描かれていて、それは多喜二が経験したものに相違ない。
はたして「共産主義」とはかくも酷く弾圧されないといけない思想なのか?
私はそうは思わない。
イスラム原理主義のような危険な思想でも、武力行使に対して圧力を加えるのであって思想自体に制裁を加えることはしないだろう。
なのに、小林多喜二という一人の男に対してヒステリックに官憲は暴行を加えたのである。
こんなことが許されていいはずがない。
その延長線上に、いま危機に瀕している表現の自由がある。
展覧会という特別な場を設けて、金銭を支払って入場し鑑賞するという最低限の縛りを施しての「表現」さえもできないのか?
日本人のほとんどが不快と感じる「従軍慰安婦像」が公共の場に設置されることと、事の重大性が違うだろう。
「見ない権利」も尊重されるべきであるから、展覧会という手法が用いられるのである。
映画でも「反日的」というだけで上映禁止の動きがあるという。
こういった「表現の不自由」は、決してあってはならないと私は思うのだ。

別な視点で「不敬罪」という今はない罪状が、かつてあったということを述べてみたい。
天皇陛下や皇族に対して、敬意を払わない、ないがしろにする言説を流布するなどがこの罪が科せられる本質らしい。
とうぜん、日章旗や旭日旗、紋章への不敬行為も当てはまる。
天皇制が厳然とあり、その下で政府が政治をおこなっていた時代には、この罪は犯してはならざる日本国民としての原理だった。
それが戦後、新憲法の下で、天皇は国民の統合の象徴と位置付けられる。
これに対する積極的な批判や軽視が罪に問われることはなくなった。
※外国の国旗や紋章に対して公然と損壊することは犯罪となる(外国国章損壊罪:刑法92条)。

私は、天皇を国民統合の象徴とすることにまったく異論がないわけではない。
私たちが選べない、天皇家という一家やその家系を「敬う」という行為に疑問を抱くことがある。
「伝統だから」と片付けられ、そこを議論することさえできないありさまで、まあ、私も大人だからあきらめを持って傍観している。
ただ、上皇・上皇后両陛下、今上天皇・皇后両陛下に関し、そのなさりようについては敬服するし、僭越ながら応援もしている私もある。
やはり先の大戦の「戦争責任」を感じてのなさりようであるのだし、「象徴天皇の責務」を陛下なりにお考えになっての行動だと賛同できるからだ。
私は、だから戦後の平和主義に立った天皇家に対して敬意の念をもっている。
その意味で、現在の皇室ならば、国民統合の象徴であると合意できるのだった。

小林多喜二は、特高警察に追われながら、麻布のフルーツパーラーで母親やきょうだいと会っていたらしい。
多喜二は麻布界隈で転居を重ね、生きていたが、ついに特高警察のスパイにおびき出されて、格闘の末、同志、今村恒夫と逃げるのだが捕まってしまう。
それが今村と多喜二の最後の出会いだった。

現代の「格差社会」において、『蟹工船』が再評価されているそうだ。
『蟹工船』が世に出て今年で90年を迎える。
30歳で夭折した左翼作家を偲んで、手元の『蟹工船』を開いてみよう。
私の「党生活者」時代に買った文庫だった。
蟹工船