兵庫県の姫路市の沖合に、瀬戸内海の群島「家島諸島」があります。
織豊時代には築城の機運が高まり、石垣用に良い石材を産する家島諸島から切り出された石もたくさんありました。
家島諸島
この家島諸島の「西島」には戦後、唯一の小学校として「西島朝鮮初級学校」が存在していました。
なぜ朝鮮初級学校なのでしょうか?
近代になってからも石の切り出しはこの群島の主要産業であり、戦前に朝鮮半島から移ってきた朝鮮人が採石場で働いて、住み着いて生計を立てていました。
およそ100戸の朝鮮人世帯が暮らしていたと言います。
また戦時中は、西島が海軍が洞窟を利用して弾薬庫に利用しており一般の日本人は立ち入りを禁止されていたといいます。
1946年(昭和21年)に戦後まもなく朝鮮人の手で初級学校が設立されたのです。
それは新たに建設されたものではなく、既存の空き家を利用したささやかなものだったそうです。
本土でもこの時期、日本の敗戦後しばらくしてからの朝鮮動乱で朝鮮半島が分断され、新興の「北」を母国とする在日朝鮮人たちは朝鮮総連を組織して子弟のために学校建設に力を入れ出しました。
家島諸島の西島の初級学校「飾磨朝聯学院家島分校」もそういった流れで始まったのでしょう。
実は、本土と違った特殊性がこの初級学校にはあり、そのことでは日本でも唯一無二の朝鮮初級学校だったらしいのです。
つまり、島の日本人の少年少女たちも、この朝鮮人の学校に通っていたんです。
もともと島には小学校がなかったんですね。
島の子が小学校に行くには、はるばる船に乗って姫路に出なければならなかったんです。
渡船が再開されても、本土に通うには経済的に苦しい島の日本人はなんとか近くに小学校がほしかった。
そこで、普段から地元の人々と、朝鮮集落の人々の交流が深かった家島の状況から、石材組合や朝鮮総連の資金で初級学校が始まると言うので、同い年の日本人もそこで教育を受けられないかと島の大人たちが画策し、日本人と在日朝鮮人の子供たちが机を並べて勉強することが叶ったのでした。
これといった差別感情もなかった、のどかな島の一時代でした。
ただ、朝鮮学校では「民族教育(思想教育)」と「ハングル教育」が必須になっていて、その授業は朝鮮人の子だけが受けていた模様です。だから、算数や国語(日本語)、理科、社会は朝鮮人も日本人も同じものを学んでいたようです。
のちに、この初級学校は「家島朝鮮小学校」と名を変えて、それまでの修学年限が四年から六年になりました。
昭和23年時点で全校生27人中5人が日本人だったそうです。
※「朝鮮学校の戦後史1945-1972」(金徳龍著、社会評論社)より。

昭和24年には日本の政府が「朝鮮学校閉鎖令」なるものを発布し、家島朝鮮小学校も閉鎖されることになるはずだったのが、家島町長の計らいで「閉鎖した」と嘘の報告をして、事実上は存続されたのでした。

だから、この島では当時、朝鮮語が混じって話されていたそうです。
お父さんのことを「あぼじ」、お母さんのことを「おもに」と。

違う民族が一緒に生活する場合、差別で分断されるか、理解し合って仲良く生活を共にするか、どちらをとれば私たちは幸せなのか?そういう問いかけに家島諸島の人々は一つの答えを示したのでした。

今、日本は朝鮮民主主義人民共和国という「わけのわからない国」と対峙しています。
そして、現在もなお、その国の出身者である在日朝鮮人は日本で生活しているわけです。
国家公安委員会は、その国の工作員がいまだに暗躍しているとして目を光らせている。
一方で、日本国民も、拉致被害に遭い、かの国を恐ろしく思い、朝鮮人を忌み嫌って、彼らに「出ていけ」とヘイトスピーチを投げつけます。
だが、大半の在日朝鮮人は、もはや日本でしか生きていけないのです。
そして、母国とは「没交渉」だと言い張ります。
でも我々日本人はそんな彼らの言い分を信じないわけですね。
この溝は簡単には埋まりそうにもありません。
あなた方が「没交渉」だと言うのなら「民族教育」をする「朝鮮学校」は直ちに閉鎖して日本の学校に通いなさいと、私たちは彼らに「正論」をぶつけます。
そこに日本国憲法の「学問の自由」や「思想信条の自由」が立ちはだかる。
キム王朝が標榜する「チュチェ(主体)思想」を信じて学ぶことも自由だからです。

そこで私たちは考え込むのです。
あのオウム真理教の「信仰」も自由だから許されるのか?
信仰の邪魔をする者を「ポア(抹殺)」する暴力を許してまで、彼らの自由を守る必要があるのか?
世界の脅威となった「イスラム原理主義」が自由の名のもとに許されることに違和感を感じないか?
彼らに思想や信仰を捨てろとは言えないところに忸怩たるものがある。

「わかりあう」ということは、言うほど簡単なことではありません。
説得することは「相手を説き伏せる」ことになり、言論で打ち負かすことです。
これは武力を使わない戦争です。
負かされた人々は、恨みを募らせるに違いないのです。心の底から改心したわけではないからです。
敗者は面従腹背でその場をしのいだだけです。

朝ドラ「エール」でも、古山裕一が戦争利用される葛藤を、友や、家族からも指摘されて悩みます。
そして彼の作った楽曲に鼓舞されて、若者が戦地に志願し、散っていく。
戦地に赴くものは、口をそろえて「皇国のために、働く」喜びを語り、愛国の精神こそ美徳だと言い、ドラマを観る現代の者にも肯定させてしまう。
戦時下にあって、自分勝手な希望を口にすることは、日本人として憚られることなんだと。
しかし、現実に戻されて、それはやはり間違っているのだと気づくのです。
「エール」でも新聞記者になった裕一の親友「鉄男」は報道の業界に身を置き、大本営の欺瞞を知っているし、キリスト教信者の関内家(裕一の妻、音の実家)は特高に見張られて生活している。
「非国民」とレッテルを貼られた、健全な思想の持主が隠れて生活しなければならない窮屈さ。
今の私たちの自由な現代、何を言うのも書くのも自由です。
匿名で批判したり、相手を傷つける言動をすることさえ自由だ。

そして「あんな戦時体制は御免だ、そのためには「戦争にならない努力」をすればいい」と私も含めて平和主義者が叫びますが、どうも甘ったるく、上滑りしているように思えるのです。

「愛国精神」は、やはりないがしろにしてはいけないとも思うし、新型コロナ禍で明らかになった「全体主義」の功罪も考えなければなりません。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
この一見「正しい」精神論が、実は一部の人々を押しつぶしているではないか?と。

「時と場合」とか「ケースバイケース」という便利な言葉があります。
「戦時と平時」では心の持ちようが、思想が、変わると言うことを私たちは自覚すべきです。
戦時の愛国精神と、平時の愛国精神はレベルも内容も違うのだということです。
国民が一丸となって事に当たらなければならないという特殊な条件下で、国民一人一人が自由を謳歌してよいものかどうか?
戦争でなければ、それは災害時です。

我々は二度と「戦時」にしないように、外交努力を怠ってはいけない。
相手のある交渉ですから、国益がぶつかり合うわけです。
戦争をしたくなても、仕掛けられたらどうするか?
いくら核兵器を保有しても、簡単には戦争を起こせない時代になっています。
すると、ヘイトや差別で思いをかなえようとする人々も出てきます。

戦争回避の豊かな想像力は、相手の立場に立ってみることで発揮されます。
そのためには、いろんな人々の言説に触れたり、多くの本を読むことが必要かと思います。

私の先輩から、家島諸島の西島に移住を果たしたことを知らせる長文のお手紙をいただいたので、いろいろ考えさせられました。

ちょうどそのときに、菅総理が日本学術会議の人事を「内閣権限」で破壊したことが、「やはり菅義偉は信用ならん」と思わせました。
この「たたき上げの田舎者」は決して「平民宰相」ではない。
任命されなかった六人の「法学者」は、すべて現政権に異議を申し立てる人々だったからで、総理はそのことを言わずに、「総合的かつ俯瞰的に判断して決めた」とわけのわからない言葉で逃げたのです。
まったく任命拒否理由になっていない。
つまりは、国が金を出してやっている「日本学術会議」なのだから、政府に批判的な学者を理事に加えることは「国民への裏切り」だと言いたいのでしょう。国民はダシに使われているだけで、政府自民党への裏切りにほかなりません。

この菅という男は、自分に都合に悪いことは一切、口を割らないので、安倍の官房長官時代から有名だった。
失言の極めて少ない男だからこそ要注意なのです。