昨日の夜、児童文学の会の例会に、久しぶりに出席した。
私が挿絵を担当した作家さんと月に一度、会う機会でもある。
その例会の前にAmazonプライムビデオで『言の葉の庭』という新海誠のアニメを観てくるようにとお達しがあった。
そのことを話題に、今後の児童文学、ことに本を読まない高学年に向けたお話づくりの要諦を話し合おうということだった。
ほんの50分ほどの小さな作品なので、おとといの寝る前に鑑賞した。

新海誠氏の作品は、もう語りつくされているので、私の感想を述べるにとどめるが、よくまとまっていて、誰にもわかりやすいし、深読みしようと思えば、できる、鑑賞者のレベルに合わせて楽しめる作品だと思った。
第一印象は、だれしもそうだと思うけれど、絵が美しい。
一昔前のアニメとは格段の技術の差である。
それが、作品に生かされているかどうかということになれば微妙である。
そこまでリアリズムを追求するなら、実写でええやないかとなるからだ。
ただ、アニメファンには二次元幻想が強い人もいるので、リアルな俳優さんを使うことに抵抗を感じることもあり、入り口の部分で嫌われかねない。
新海監督の作画は、萌え系というより劇画系になってきているという意味で、リアル俳優に近しい雰囲気なので、背景の超現実的な舞台によく合うのかもしれない。
声優の起用も違和感がなく、ヒロインの女性「雪野」の声優、花澤香菜にはとても好感が持てた。

例会でも出た意見だが、万葉集の柿本人麻呂の和歌がキーポイントになっていて、それもかなりマイナーな彼の作品で、万葉集巻十一という後ろの方に取られている二首であること、また、それは今は散逸している「人麻呂歌集」に載っていたものを万葉集の編者が採録したものだということで、人麻呂本人の作品かどうかも疑えば切りがないということだった。

京大で国文学を専攻して、高校の古文教諭になっている会員が通り一遍の解説をしてくれた。
私も万葉集は持っているものの、このアニメで重要な意味を持つ二首については知らなかった。
以下に、挙げておく。

雷鳴(なるかみ)の少し動(とよ)みてさし曇り 雨もふらぬか 君を留めむ (2513番)
雷鳴の少し動みてふらずとも 吾(あ)は留(とま)らむ 妹し留めば (2514番)

連番になっているので、この二首は対になっている歌である。
問答歌と呼ばれるものだ。
2513番が女の歌で、2514がそれに答える男の歌であることがわかるだろう。
アニメでも、朝の雨の中の新宿御苑の池の端にある四阿(あずまや)での主人公たちの出会いでヒロインが意味深に主人公の高校生、秋月に2513番を告げて去る。

梅雨入りし、遠雷がとどろくというシチュエーションが、この物語と柿本人麻呂の和歌を結びつける要素となる。

かみなりが、昔は神格化されて「なるかみ」と呼ばれたというのは、学校の授業でも習ったので、多くの人が覚えているだろう。
歌舞伎でも「鳴神」という演目は、人気である。
ただ万葉時代では「雷鳴」と書いて「なるかみ」と読ませた。
これが「少し動みて」だから、遠雷なのだろう。雨が今にも降りそうだ。
逢引きしている男女が、別れを惜しみ、一緒にいる時間を、少しでも引き伸ばしたい気持ちがこの問答歌には表れている。
俗に「やらずの雨」というやつだ。
女の切ない呼びかけの歌に対し、男は彼女の肩に手を乗せながら、「雨なんか降らなくても、一緒にいるよ」と安心させるという内容だ。
この二首から、新海誠は、狂おしいほどの男女の出会いと別れの物語を紡ぎ出した。
ここに、私は敬服する。すばらしい。

例会でも、ご都合主義に過ぎるとか、高校生が靴職人を目指すという突飛性が気に食わないと手厳しい意見も出た。
別に、新海監督が伏線を敷いていないわけではない。
その伏線が「ありえない」ということに対するいら立ちかもしれなかった。
私も意見を述べたのだが、「靴を男が女に作ってやるというのは、ある種の性的な象徴があるのではないか?」と問いかけたが、みんなはきょとんとしていた。うがちすぎだっただろうか?
あの雪野の足を採寸する秋月のシーンは、どうみてもそうだろう?
女が蒸れた足を男性に触らせるという心情を考えてみてほしい。

私は、秋月青年が、四阿で雪野と出会うシーンが唐突に思えた以外は、特に受け入れがたいものはなかった。
彼の家庭がいささか複雑で、兄がいるのだが、兄は近く家を出て、彼女と暮らすといい、どうやら母子家庭らしく、母親も若い燕にご執心で、鉄砲玉と来た。
こういうおかしな家庭環境で、主人公の秋月青年が靴に興味を抱いて、独学で靴職人を目指すというのは、私なら考えつかない背景だ。
それを抜きにして、高等学校の古典教員(秋月には隠している)の雪野と秋月の出会いと、接近、告白、破局のパターンはよくある展開ではある。
雪野がどうして、高校教員でもあるのに、朝っぱらから、公園で缶ビールを飲んでいるのか?見る者は、そこにふしだらな女を感じる。
もっと下世話な、私などは、「この二人、最後はやるな」と思ってしまう。
アダルトビデオの世界では、こういう出会いで「やらない」演出はあり得ないのである。
年上の女、それも教師と、学生の初体験を描いた作品の多いこと。
もう、手あかがつきまくりの設定である。
そこにあえて新海監督が挑んだのは、古典と靴職人を目指す男子高校生、そして、学校を追われた女教師という特殊性だろう。

高校生の秋月は、結局、家が家なので、家事一般を器用にこなせるようになってしまった。
そして、古典教師の雪野は、酒におぼれ、独り暮らしで、料理もできない。
勤め先の学校で雪野は冤罪で辞職を余儀なくされていた。
その学校というのが、秋月の通う学校だった。
雪野の辞職事件は学校内では有名なことなのに、秋月は、靴づくりに没頭し、アルバイトで学校は休みがちなため、雪野が自分の学校の教師であることさえ知らなかった。
だからこそ成り立つ物語である。

物語の圧巻は、公園で激しい雷鳴と風と驟雨に襲われる二人。
ぬれねずみになった、二人は雪野のマンションに向かう。
そこで、秋月は料理の腕を振るい、雪野を喜ばせる。
そして、秋月は雪野に
「おれ、雪野さんが好きなんだと思う」と告白する。
雪野は、しばらく沈黙して、
「雪野さんじゃなくて、先生でしょう」と、きっぱり拒否したのだった。
それはしかし、彼女の本心ではなかった。
でも、歳の差のある恋愛など、未来のある秋月に味わわせてはいけないと雪野は思ったに違いない。
雪野だって、秋月に心惹かれていたのだ。
秋月は、失恋を感じて雨の中、雪野のマンションを辞する。
そして初めて、雪野は自分の心に偽っていたことを知るのだった。
追いかける雪野、非常階段で秋月をみとめ、その背中に呼びかける。
しかし、秋月は、雪野に「あなたは、ぼくが高校生だと知ってて、先生であること隠していた。卑怯だ。嫌いになった」と言葉を投げつけたのだった。
崩壊した雪野は、秋月に抱き着いて許しを請うた…
このシーンがなければ、この物語は駄作に終わっていただろう。

見終わって、さわやかな気分になった。
この二人の幼い関係は、終わったのである。
雪野は四国の故郷に帰っていった。
秋月は、高校生活を謳歌している。
いい、ひと夏の経験だった。

私なら、せっかくだし、一晩過ごさせてやって、初体験をさせてやりたかったな。
あくまでも私の想像だけど、雪野の部屋で、秋月がオムライスを作るシーンがあるけど、あれは「情事の後」だね。やってるとしたら、あの前、雨でずぶぬれになった二人がシャワーして、キスして、ベッドインっていう流れだな。
それを描いちゃぁ、おしめぇよ。