これも小津安二郎の監督作品で、戦後間もない頃の映画です。
田中絹代主演で、復員してこない夫を待つ、子持ちの女の艱難辛苦を描いています。
田中絹江

雨宮時子(田中)は浩という幼子を育てながら、ある壮年夫婦の二階に間借りして住んでいる。
戦災復興の道半ばのどさくさの時代です。
お金がないんです。
「タケノコ生活」ってやつです。
若い人は知らないでしょうね。
私でも、母から聞いたことがあるくらいです。
着ているものを脱いで売って生計を立てる…タケノコが皮をはいでいくように。
もう「爪に火を点す」ような…この例えも言わないわね。
「赤貧洗うがごとし」…ますますわからんか。
とにかく「絶対的貧困」です。
今の皆さんが経験しておられる「相対的貧困」のような生ぬるいもんじゃないということです。

時子はそれでも、ミシンを所有していて、お針子のような仕事があれば、それで糊口を凌ぐことができた様子ですが、子供があれば、もっとお金が要ります。
親友に、秋子という美麗な女性がいますが彼女も、内職で日銭を稼いでいる。
そこへ時子は着物などを持って、困ったときには売ってもらうことにしているんです。
秋子は単身である分、少しは余裕があるように描かれています。
秋子は同じアパートの隣人である織江という闇商売をやっている女性に時子から頼まれた着物を現金化してもらっているのでした。
織江は、売春のあっせんもしているらしく、時子や秋子にも「やってみたら」と平気で言うような女です。

ある時、息子の浩が熱を出してひきつけ、意識が混濁してしまう。
大慌てで近くの病院に運び込むと、大腸カタルだという見立てでした。
与えた団子が原因の食中毒ですね。
幸い、少しの入院で浩は回復するのですが、困ったことに時子は入院費が払えない。

こんなときどうします?親友に頼る?
それが一番いい…けれど時子の取った行動は売春でした。
あの織江がたまたま時子を訪ねて来て、見かねた織江が、素人女を使う「青線」を紹介したんです。
「赤線」は許可のある売春街ですが、非合法の「青線」とか「白線」は素人女性が手っ取り早く金をかせぐには最適でした。
※「青線」は青い線で囲ったという意味ではなく、実際に地図に赤線で囲った合法売春宿の地域ではない区域を、だれかが「青線」と呼びならわしたからです。「白線(ぱいせん、はくせん)」はさらに「しろうと」が「夜鷹(よだか)」をする場所という意味です。「夜鷹」は「立ち君(ぎみ)」のことなんだけど、説明いるかなぁ。街角で客を引くお姐さん方ですよ。

織江にほだされて一度だけの過ちを時子は選ぶ、そうして得た金で息子の入院費を支払ったのです。
でも心にわだかまりが残ります。
織江がしゃべったもんだから、秋子にも知れ、「どうして私に一言相談してくれなかったの」と責められる時子でした。

そこへ夫、修一(佐野修二)が復員してくるんです。
時子の喜び様と言ったら…
浩が入院したことも話すと、「金はどうした?」と反対に聞かれ、売春したとも言えず時子は泣き出してしまいます。
時子は嘘のつけないまっすぐな女性なんですね。
夫に、体を売ったことをほのめかします。
夫は、みるみる不機嫌になり、「どこでだ、だれだ」と追及しますが、そんな細かいことを時子の口から言えるはずもなく、夫も妻の不貞を許せなかったけれど、自分が早く帰ってやれなくて、妻に苦労させた後ろめたさもあるんです。
それに時子が淫乱でしでかした不貞ではないのも彼は承知していました。
男は、やっぱりこだわるのですね。
自分の妻が、理由があるとはいえ、ほかの男と寝たことを。
修一は、とうとう時子が春をひさいだという「店」をつきとめ、客として潜入します。
そして女を買い、時子のことを聞き出そうというのです。
修一は女の身の上話を聞くにつれ、哀れに思い、金を置いて、なにもせずに店を後にしました。
女が修一の後を追います。
「仕事を世話してやるから、こんなことをしていてはいけない」と自分も仕事を探しているさなか、女の分も世話するというのです。

男のいない間、日本の女はみんな苦労したのだ…
戦争が悪いと片付ければそれでいいのではない。
体の貞操を犠牲にしても、日本の女は心を売らなかった。
生きていくためにはしかたのないことだった。

そういう理屈はわかっていても、こと、時子のことになると修一はわだかまりが解けない。
つい言い争いになり、修一は二階の階段の踊り場から時子を突き飛ばしてしまう。
派手に転がり落ちる時子。大丈夫か?

まあ、一度ごらんになってください。いい作品だと思います。

戦後の生活苦を主題や背景にした作品を、私は、けっこうこれまで読んできたと振り返ります。
苦しかったが、人間が生き生きしていた。清濁あわせ呑むような辛苦。
開高健の「日本三文オペラ」や小松左京の「日本アパッチ族」、野坂昭如の「エロ事師たち」、黒岩重吾の「飛田ホテル」、畑山博「いつか汽笛を鳴らして」、松本清張「砂の器」、早船ちよ「キューポラのある街」などなど。

賛否あるということは承知の上で、私は生活のために女性が体を売ることに反対はしません。
むしろ売るものがあるというだけ、女は男より優越です。
「最後は、この体があるじゃないか」と、本当に売らなくても、心持ちが良くなります。
岩崎千鶴さんという還暦近い(年齢不詳)のAV女優がおられます。
すばらしい演技です。
おばあさんでも、色気がある。男を喜ばせる技を持っている。
岩崎さんだけではない、もっと熟女の風俗さんがいるんです。
なぜ彼女たちがいきいきしているかというと、需要があるからです。
熟女でないと立たない男性が、けっこういるんですよ。
小便臭いロリータやアイドル系では、だめなんですね。
けれども、お世辞にも、高齢AV女優の体は美しいとは言えません。
年輪を感じさせる、衰え方、古色…母への思慕…もう美術品の鑑賞の域ですわ。

論点がずれてまいりました。
時子も修二も、女が「たつき」のために春をひさぐことに罪悪感を感じている。
そこに小津安二郎のテーマがあったんだと思います。
ポルノやAVではあまり描かれないテーマです。
お客が萎えるからです。
しかし、往年の日活ロマンポルノでは、生活苦とか生活感などを織り込んで、一つの作品を成立させていたような気がするんですがね。
多くを観ているわけじゃないので、評論する立場にありませんけれど。
にじみ出るペーソスとポルノは両立するし、小津安二郎がもしポルノを撮ったらどうか?なんていう想像をするのも楽しい。