吉永小百合の代表作の一つになっている映画で、アマゾンプライムで無料で観ることができました。
私は、この映画が封切られた年に生まれましたので、観られるはずもなかった。
実は、原作を高校生の頃に読んでいます。
もちろん、この五部作(講談社文庫)は私の手元にありますので、何度も読みました。

映画のほうは、第一部『ジュン』に収められているものを、脚本家の今村昌平らが脚色をして映画の台本にしたようです。
当時、吉永小百合がヒロインであれば、浜田光夫と共演ということになり、彼のために「塚本克己」という鋳物職人見習いの青年を脚本家が作ったようですが、原作を読んだ人は、おそらく塚本が「庄野ハジメ」にあたるのでは?と気づくでしょう。
庄野ハジメは第二部以降に出てくるジュンの同級生で、中学一年までは一緒だったけれど、ハジメは二年生のときに転校してしまい、中卒で「芝金鋳工」という鋳物会社で働いているということになっています。さらにハジメはその会社で労働組合活動に首を突っ込んでいるわけ。

のちにジュンが働きながら定時制高校に通う進路を選んだのと同じく、ハジメもまた家の事情で働かざるを得なかったんですね。
このようなことは些末なことで、原作を損なうことにはなりません。むしろ上手に二部以降のエピソードを盛り込んでいるなと感服します。

映画ではジュンが中学三年生だった、秋が深まるあたりから始まります。
「鋳物のまち川口」という、誇りのように語られる埼玉県川口市の基幹産業なのですけれど、現場で働いている労働者やその家族にとっては、生活のために仕方なく過酷な重労働に従事している「不可欠」の産業で市が成り立っているんです。
朝鮮動乱による特需で、仕事はますます忙しくなっているのに、鋳物は、まだまだ職人の腕に頼るところが多い産業構造でした。
しかしそんな川口の鋳物産業にも「オートメーション化」の波が及んでまいります。
かような時代背景がヒロイン「ジュン」(吉永小百合)の青春の舞台でした。

私が、早船ちよの『キューポラのある街』に出会ったのは、中学校の図書館だったと思います。
理論社から出版されていた文庫ではない体裁のものでした。
「キューポラ」という聞きなれない言葉に惹かれたのですが、その時には手に取ることがなかったんです。そのままずっと来て、高校二年生だったかな、講談社文庫から本作品が出ていることを知り、本屋で初めて手に取ってみたんです。
中学の時に図書館の本棚にあったのは一冊ものだったと記憶していたんですが、文庫では全五部作という大作であることに驚きました。
「キューポラ」が鋳物を作る際の熔解炉であること、製鉄所にあるような高炉よりも小型で、川口市のような中小の作業所で使われており、くず鉄なども一緒に炉に放り込んで熔解するらしいことなどがこの本には詳しく書かれています。
ジュンの父親の辰五郎(東野英治郎)はキューポラを扱う熟練工でした。キューポラは温度管理が重要で、くず鉄などの熔解温度、つまり鋳物の砂型に注ぐための適温を「カン」で見定めるんです。
中小の工場では、銑鉄(熔解した鉄)の温度を正確に測れる温度計など持ち合わせてはいませんので、熟練工の経験にまかされているのです。
ノロといって鉄に含まれる不純物(滓)をまず表面から人力で掻きだします。それから、湯(銑鉄)をキューポラの下部の穴を開いて杓に受けます。その受けた湯を砂型の注ぎ口から注ぎ「鋳込み」が行われる。
その真っ白に輝く湯が、注ぎ口からあふれれば鋳込みが終了したことになるんですが、湯が飛び散りますので大変危険な作業です。
こういった詳細な説明が原作にはあり、映画でも冒頭で、その実態が映し出されます。
「ズク割り」という作業があります。これはくず鉄を炉に入れるために小さく鉄槌などで割る作業です。辰五郎はそういう仕事もしますから、老体に響いて、体を壊します。
「吹き」という作業もあります。これは大きなふいごでキューポラの中に空気を送る熱い作業です。これも辰五郎は自ら買って出ます。
そんな松永鋳金の工場で長年、やってきた辰五郎ですが、社長の松永(殿山泰司)の経営のずさんさで、人減らしをしなくては立ち行かなくなるんです。
若い者を残し、辰五郎のような老体は辞めさせられてしまう。
原作では存在しない松永の労働組合が描かれます。
そこに辰五郎と一緒に働く若者でジュンのボーイフレンドの塚本克己(浜田光夫)が組合活動をしており、辰五郎への不当解雇を組合の議題に挙げて、防ごうとしますが、辰五郎は古い人間ですので、親方の松永への気兼ねや、左翼思想への嫌悪から、組合というものを相手にしません。
とうとう、辰五郎は辞めてしまい、次の仕事も決まらず、家で焼酎を飲んでは荒れる生活でした。
そこにジュンの母親トミ(杉山徳子)が臨月で、産気づきます。
原作では、ジュンの長屋に同居している叔母、ハナエが臨月という設定なんですが、映画ではジュンの母親が腹ボテだというちょっと無理な設定です。
辰五郎が老いてますます盛んだったということなんでしょう。することがないから子供ばかり増えてしまうという貧乏の極みを描いたのかもしれません。
だから家族構成が原作と少し違います。
辰五郎とトミ夫婦にジュンを筆頭に、長男タカユキに加えて次男テツハルが新設されています。
そこに、あらたに妹が生まれるわけです。
そしてもうひとつ違いを挙げるならば、原作にはないテレビがジュンの家に存在しています。
原作では、タカユキがラジオのナイター中継に夢中になっているシーンがありましたが、映画では相撲中継をテレビで弟と一緒に観ているという形に変わっていました。

いずれにせよこの物語では、母の出産と自身の初潮、大人の恋愛が生々しく描かれ、思春期のジュンが立て続けにそれらを経験し、女として生きることの難しさを思索し、女も自立すべきだという結論に達することに意義を見出すのでした。
ところで、原作においてハナエ叔母がジュンの長屋に同居していたのは、彼女の夫が漁師で、日本海で操業中に李承晩ラインを侵犯した疑いで朝鮮に拿捕されて帰ってこない事情があったからです。それでハナエは朝鮮人を憎んでいました。

映画では、まだ初潮も来ないジュンが母の出産に立ち会い、血まみれと苦痛の中から新しい命が生まれる…ことを目の当たりにします。ふだんは、生意気に辰五郎に意見する彼女が、オロオロしてしまう。
そしてそれは自分にも将来起こることであると気づくのです。
「私も女だ」ジュンの中に「女」の部分が芽生えた瞬間でもあったのです。

ジュンは高校進学を希望していますが、苦しい生活の中、親に言えずにいます。
県立第一高校という、埼玉では有数の進学校にジュンは入りたい。そして彼女にはそれなりの学力がありました。
担任の野田先生(加藤武)もジュンの成績なら受かるだろうと思っていますが、家庭の事情を心配して、「親御さんはどう言っている?」と尋ねるも、ジュンはもじもじして答えない。
野田先生はわかっているんです。

中学三年生のジュンに「修学旅行」という「災難」が降りかかります。
そんなお金は家にはないんです。
同級生の中島ノブ子(通称ノンコ)は父、東吾が建築士で、この近辺ではいい生活をしているお嬢さんでした。ノンコも高校受験を控えていましたが、ジュンほど勉強ができるわけではなく、ジュンに教えてもらうことが多かったんですね。ノンコはジュンに口紅を贈ります。原作では叔母のハナエが口紅をジュンにやったことになっていました。
東吾がジュンの家の窮状を聞いて、辰五郎に仕事を紹介します。もしここに就職が決まれば、ジュンの家はほぼ安泰でした。
一方で、修学旅行にも行けないジュンに野田先生が「そんな生徒に対して川口市が無利子の貸付をやっているので使ってみては」とアドバイスします。
「父ちゃんが就職したら、すぐに返せるわ」と旅行の準備に取り掛かるジュンでした。
ところが紹介された会社は、完全オートメの近代的鋳物工場で、辰五郎が腕を振るえるような仕事ではありません。おまけに親子ほども違う若造にあごで使われるような職場に辰五郎が我慢できるはずもなく、ジュンやトミの懇願もむなしく、辰五郎は辞めてしまうのでした。
旅行当日、ジュンは絶望して家を出ますが、修学旅行の荷物を持ったまま集合場所には現れませんでした。

彼女は一人、荒川の土手を歩いていました。
国鉄線の鉄橋の下まで来ると、急に腹痛が襲います。
葭(よし)原をかいくぐって、人目のつかないところで制服のスカートをめくると、彼女は腿(もも)を伝う鮮血に驚きます。
そして「私も子供を産める体になったんだ。アハハ」と喜びの叫びを上げましたが、鉄橋を渡る列車の音でかき消されました。原作では、ハナエが出産した後に初潮を河原で迎えることになっていました。

そのあと、ジュンは夜まで、家に帰れず街をぶらぶらし、ふと、辰五郎の代わりに、ジュンが貸してやった口紅をつけておでん屋で接待を伴う女給をやって稼ぐ母、トミを見て嫌悪します。原作ではハナエが、ジュンにあげた口紅を返してもらってそれをつけて夜の仕事にでるという形になっていました。
やはり母親が、家のために夜の街で働くという風にしたほうが「どん底」ぽくていいのでしょうか。

夜の街でクラスメイトのリスという少女に会います。リスの兄は「半グレ」のワルで有名でした。
リスがジュンを歓楽街に誘います。
ジュンの弟タカユキがしでかした、レース鳩のヒナの売買をめぐる金銭トラブルがありました。
タカユキやこの町の少年たちは、ハトを育てて、繁殖させ、そのヒナを売買して小遣い稼ぎをしていたようです。
松永社長の息子(通称ノッポ)もタカユキのヒナをあてに、前金を払って予約をしていましたが、そのヒナが野良猫に殺されて債務不履行に陥っていたのです。千五百円もの大金をタカユキは得ていましたが、それを辰五郎に泥棒呼ばわりされ、家出し、在日朝鮮人の友達サンキチの隠れ家で暮らしたりしていたのです。
ノッポの松永はリスの兄から命令されてハトのヒナを手配する役回りだったらしく、その債務不履行でノッポはリスの兄に合わせる顔がなかったんです。
リスの兄がたむろするプールバーで、リスとジュンが遊び、不良仲間に薬入りのビールを飲まされたジュンは別室に連れ込まれて犯されそうになります。そこに塚本やタカユキが乗り込んで、目覚めたリスと一緒にジュンが助け出され…危機一髪でジュンの貞節が守られました。
たぶんあの頃は、今よりももっとセックスが中学生や高校生にとって身近な「火遊び」だったと感じられます。
低年齢の妊娠も多かったと聞きます。
無知が起こす悲劇ですね。

ジュンの修学旅行事件はこうやって幕を閉じましたが、今度は、ジュンの進路の問題と、タカユキの親友、在日朝鮮人のサンキチが北鮮帰還事業で日本を去るという出来事が重なります。
サンキチの母(菅井きん)は日本人だけど、父親(浜村純)は朝鮮人でした。父親にサンキチとその姉でジュンのクラスメイトである金山ヨシエ(鈴木光子)はついていくと言い、母親は日本に残るというのです。ラーメンなどを出す食堂をやっているサンキチの母は、北朝鮮になんかに行きたくないわけです。
ところがサンキチは母親べったりなんですね。心の中では母と一緒に日本にいたいんですね。
まだ幼いんですから仕方ありませんが、母親が許さない。それにはわけがあった。
サンキチの母は、この際、朝鮮人の夫と別れて、別の男性と暮らすつもりだったからです。

こういった、時代の奔流に抗ったり、流されたりして、あの頃の貧しい人々は生きてきた。
日本の高度成長を下支えした川口の鋳物には、こんな悲哀がたくさんあったのです。
それでも、夢をあきらめなかったジュン。
県立第一高校への進学は断念せざるを得なかったけれど、「働きつつ学ぶ」という新しい希望が彼女を前に進ませたんです。それは一つに野田先生のアドバイスだったと思います。
女工をしながらでも勉強をさせてくれる会社を紹介してくれたんですね。
同時に、辰五郎がもとの松永鋳金に戻れるように塚本たちが組合を通じて働きかけてくれたんです。
そうであれば、ジュンが志望通りに県立第一高校に進めるんだけれど、もはやジュンの腹は決まっていました。
「働きつつ学ぶ」という魅力にジュンは目覚めていたからです。

サンキチは一度は、父親と一緒の列車から降りて、母のもとへ泣く泣く帰っていったのですが、その時は、母は新しい男と出奔した後でした。
サンキチは途方にくれますが、再び、父と姉を追って、列車に乗ります。
タカユキから借りた伝書鳩のかごを抱いて。
「チョーセンに着いたらハトに手紙を結わえて放せ」と。

新興国「朝鮮民主主義人民共和国」は、夢の国として、帰還者に希望を与えました。
そして後ろ髪を引かれる重いと、膨らむ夢で海を渡っていったのです。
差別されて、どん底の日本にいるより、もっとすばらしい生活者になれると。
日本政府も、マスコミもこぞって北鮮帰還事業の後押しをしたのですが、結果は推して知るべしでした。
サンキチやヨシエたちはどうなったのだろうか?

この映画は、現在において、決してハッピーエンドではなくなっているのです。