娘を思う父親の映画として二つの作品をご紹介します。
かつて日本映画の『父ちゃんのポーが聞こえる』をご紹介いたしましたが、今回は、さらにアメリカの「父ちゃん」が「ビッグダディ」だという証明のような映画です。
日本で「ビッグダディ」だともてはやされる「大家族無計画オヤジ」とはちゃいますよ。

心がビッグなオヤジなんですよ。
娘のためには命を張るそういう親父です。

一つ目は『96時間』です。
この映画は実はフランス作品なんんですよ。
主人公がアメリカ人なのでアメリカのアクション映画のように思ってしまいますが、まあ、そんなことは些末な問題です。
続編、続々偏があって、あたしはまだ一作目しか観ておりません。

主人公のブライアンには一人娘キムがいるんですが、家庭を顧みない仕事人間で不器用な彼に愛想をつかした妻レノーアはキムを連れて離婚し、大金持ちの男性と再婚しているという設定です。
再婚したレノーアとキムは大変幸せに暮らしているのですが、別れさせられたブライアンはまだ二人を愛しています。
特に娘のキムには、いつまでも父であり、彼女の誕生日の贈り物を何にしようかと思い悩むいじらしいところもあるのです。
ブライアンは実は前職がCIA工作員であり、それがために世界中を飛び回る生活だったので、家族を顧みられなかったのでした。
ブライアンはしかし、もはやCIAの職を辞しており、そのOBたちとは連絡し合い、セキュリティの臨時雇いなどで食いつないでいる暮らしでした。
両親が離婚しているとはいえ、キムはブライアンの娘であり、法律上も未成年の娘と別れた父は会う権利があります。
キムはハイティーンの難しい年頃であり、ブライアンを「口うるさい父親」としか見ていない。
そしてキムは女友達アマンダとパリへの旅行を企てています。
表向きは健全な観光旅行の計画で、出国には未成年者は両親の承諾が必要とのことでブライアンが承諾書へのサインをキムとレノーアから求められますが、すぐには承知しません。
「子供同士でパリ旅行など危険だ」という、至極もっともな父親としての理由からです。
母親レノーアは娘への過度な干渉は、キムのためにならないとして、ブライアンに承諾を迫るのです。
しぶしぶ、ブライアンは「連絡を定期的にお父さんに入れること」を条件に承諾書にサインしてやります。
そして世界中で使える携帯電話を添えて…
娘が旅立つ空港玄関で、娘が単なるパリ観光に出かけるのではなく、ロックバンド「U2」のコンサートツアーの追っかけに行くのだということを知ってしまいます。
ブライアンは激怒しますが、もはや搭乗時間です。
キムとレノーアは機上の人となり、パリに飛んで行ってしまいました。
ここまではホームドラマ風で、寂しい父親のお話かな?と思っていたらえらいことです。
パリについた未成年の女の子二人は、まんまと悪い男に騙されて、拉致られてしまいます。
彼らは移民であり、女を人身売買する集団の手先だった。
甘いパリジャンの顔で、右も左もわからない「お上りさん」の女の子を物色して近づき、言葉巧みに誘って拐取するのです。
キムは父親ブライアンへ、拉致られる寸前に貸してもらったケータイで連絡を取ります。
この情報だけで遠いアメリカはカリフォルニアからブライアンは娘を助ける旅に出ます。
レノーアの再婚相手の富豪からプライベートジェットを借りてパリに向かいます。
元CIA工作員の仲間にケータイで録音した犯人の「外国語」を解読させながら…
その解読によるとアルバニアのマフィアだといい、人身売買目的で少女を誘拐する組織だというのです。
そして96時間をリミットに被害者を取り戻すことは不可能になると。
題名『96時間』はここから来ています。
ブライアンは過去の経験と格闘術、武器の扱いを駆使して、マフィアの巣窟に徐々に近づいていきます。
最近のアクション映画の傾向でもある、過剰なリアリズムが息をのみますが、ブライアンの強いこと、強いこと…
冷酷な元CIA工作員はフランス政府、警察にも知己がいます。
中でもクロードはフランスの諜報機関の人物で、フランスのブラックな社会の事情通でしたが、もはや諜報の仕事から遠ざかっているとかで協力を渋ります。
このクロードは怪しい。
ブライアンは独自で、工事現場の売春宿に近づきます。
こういった大規模な工事現場では外国人、移民が収入を得るためにたくさん押し寄せています。
そしてその現場の中に売春宿まである。
そういった売春宿の女は、マフィアに薬漬けにされて体を売っているのです。
まず薬で「言うことを聞く体」にされることから、キムも同じ運命にさらされているのでは?
ブライアンは売春宿でキムが空港で羽織っていたデニムのジャケットを着た少女を見つけ、問いただしますが、薬で意識を失いかけていて、まともに話せません。
彼女を連れ出しますが、マフィアの連中にも見つかり大乱闘になり、工事現場の車に少女を乗せて盗み出し、激しいカーチェイスの末、安全な場所にたどり着きます。
ブライアンは医学的な処置も心得ているらしく、点滴装置などを所持していて、少女に応急処置を施し、正気に戻させました。
とうとうマフィアのアジトにたどりつき、マルコというケータイ電話に残された声の主を見つけ出します。
このアジトにはキムの友人、アマンダが薬でショック死していました。
ブライアンの不安はますます募り、マルコの口を割らせようと拷問します。
椅子に縛り付け、両足に釘を突き刺し、そこに電力線から電気を流して電気椅子で責め立てます。
ブライアンはこういうことを生業としてきたようで、なかなかCIAの無慈悲な恐ろしさを描いていると思います。
マフィアとCIAは紙一重ってことでしょうかね。
ブライアンは、娘救出の目的なら手段を択ばない小気味よさがこの映画を痛快なものにしています。
可愛い娘のためなら、周りは何も見えなくなる純真な父親。
全身が兵器になる男、ブライアン。
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『コマンドー』をほうふつさせる映画なんですが、マッチョなお父さんじゃない。
あのフランス政府のクロードが実はアルバニア・マフィアを通じていていることをブライアンが知り、彼の邸宅に旧交を温めるふりをして入り込みます。
そしてクロードの妻を質に、クロードを締め上げて吐かせます。
クロードの妻を撃って手負いにさせ、どこそこで人身売買のオークションがあることをクロードから聞き出します。
こういう非道さも、愛娘のためには許されるのか?何も知らずにおもてなしをしているクロードの奥さんが可哀そうでもあります。
ごく普通の、気難しい、言葉が足りないお父さんなんですよ。
そりゃね元CIAなんですから、普通じゃないんですけどね。
来る敵を、ことごとく木っ端みじんにぶっ殺して、最後は人身売買オークションで競り落とされる変わり果てた娘を見つけ、狒々爺の餌食になろうとしているところに乱入し、娘を無事救出するのでした。
しかし、たくさんの敵を作って娘を救い出したブライアンは、このままで済むのだろうか?
続編はそういうあたりを描いているのだろうか?興味津々です。

次いで『ハリケーン・アワー』です。
主演で監督だったポール・ウォーカーは交通事故で公開を待たずに死んでしまったそうです。
アメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」と、出産を控えた夫婦の物語です。
ジャンルとしては「パニックもの」に当たるのかもしれません。
陣痛の始まったアビー(アビゲイル:ジェネシス・ロドリゲス)がその夫ノーラン(ポール・ウォーカー)に付き添われて病院に運び込まれます。
おりしも巨大ハリケーン「カトリーナ」が近づきつつあったニューオーリンズでの出来事でした。
残念なことに、アビーは出産しましたが帰らぬ人になってしまう。
ノーランはその死を受け入れられず、主治医に噛みつきます。
徐々に落ち着きを取り戻し、保育器に入った未熟児の娘を恨めしそうに見ています。
妻アビーの命を奪ったのが、この保育器に入った小さな命であるという複雑な心理でした。
まだ生まれたばかりの嬰児に、父としての愛情が芽生えないのです。
この感情が、実はこの作品をいいものにしている。
よりリアルなものにしている。
ノーランは地下の遺体安置室に忍び込みます。
すでにハリケーンが街を襲っており、けが人が病院に次々に運び込まれ、また命を落としていきます。
そんな修羅場ですから、安置室も遺体であふれ、アビーの遺体も廊下に転がされている始末です。
ノーランはいたたまれず、アビーの遺体をせめてストレッチャーに乗せてやろうとするのですが…
安置室の係員は、最初、ノーランを咎めるも、その心情を察して手伝います。
保育器に戻ったノーランは次に、停電に驚きます。
看護師は「自家発電があるから大丈夫よ」と言ってくれますが、だんだん嵐が本格的に病院を襲いだすと、患者を連れて医師看護師らが避難してしまうのです。
ノーランと嬰児は病院に取り残されます。
自家発が稼働してしばらくは電気も使え、保育器の人工呼吸器も動いていましたが、地下に浸水が始まり、自家発が故障してしまう。
人工呼吸器のバッテリーが古いのか、容量が三分程度しかない。
ノーランはなんとか手動発電機を手に入れ、それを呼吸器につないでしのぎますが、3分ごとに手回しで充電しないと呼吸器が止まってしまう。
ノーランは保育器から離れられません。
食料も食堂のコックが避難前に与えてくれたものがわずかにあるだけです。
そのうちに嬰児の点滴も切れてしまう。
真っ暗なナースステーションに向かい、三分以内で点滴バッグをかき集め、なんとか嬰児の命をつなぎます。
そしてノーランに父親としての自覚が生まれてくるんです。
「この子を無事に助けるのが俺の責務だ。それが亡くなった妻への愛だ」
必死に、発電機を回すノーラン。
嵐は止まず、ますますひどくなっていく。
災害救助犬のシェパードが唯一のパートナー。
彼がいなかったらノーランもどうなっていたか。
嵐が止んでも、救助は来ません。
そのうち、病院に侵入者が現れます。
助けてもらえると思ったら、大間違いで、銃を向けられ、なけなしの食料を奪われる始末。
救助犬が噛みついて助けてくれましたが、犬はその男と組み合ったままどこかに連れ去られてしまう。
次に火事場泥棒のような奴が武装して入ってくるのです。
彼らの目当ては病院にある「向精神薬」らしい。
そしてノーランも命を狙われるのです。
ノーランは武器を奪い、強盗団を撃ち殺しますが、体力の限界が近づいていました。
アドレナリンを自分で注射してやりすごしますが、とうとう娘の保育器の前で意識を失います。
そこにやっと救援隊が到着しました。
あの災害救助犬が知らせてくれたのです。
彼は暴漢をやっつけて、生きていたんですね。
意識が遠のくノーランの耳に、娘の泣き声が聞こえました。
そう、娘はノーランの献身によって「自発呼吸」ができるようになって、元気に泣き始めたのです。
もう人工呼吸器は不要です。
救援隊が「赤ん坊がいる。あんたの子か?」
うなずくノーラン。
そして救援隊が保育器から赤ん坊を取り出し、ノーランに抱かせます。
あたし、もう泣けました。
この映画、すごいわ。

お父さんって、こんだけ強いんだね。
亡き父を思い浮かべて、あたしは久しぶりに泣きました。

『ハリケーン・アワー』は、はからずも南部の銃社会の理不尽も描いています。
彼らも貧しい有色人種であったりして、火事場泥棒を働き、簡単に人を銃殺する。
被災者が災害のみを恐れるのではなく、そのあとにおとずれる治安の悪さにおびえなければならない理不尽さ。
まったくアメリカはおかしい。
あたしも物語で銃を簡単に扱う描き方をしますが、反省しています。
暴力に訴える物語は良くないですね。