『昼顔』の映画版を観た。
テレビドラマの同名作品の続編ということだ。
不倫関係を「昼顔」と世間では言うくらいに、話題になった作品であるが、私はそういうドロドロしたような話を好きでないので、テレビ版は観ていない。

紗和(さわ:上戸彩)と北野裕一郎(斎藤工)の不倫は、裁判沙汰になって両者が以後、決して会わない、連絡先も教えないという決定で解決したかに見えた。
裕一郎の妻、乃里子(伊藤歩)と裕一郎は元の鞘に納まったかに見えた三年後、紗和と裕一郎は遠い海辺の街で再会する…

裕一郎はホタルの研究家で大学に非常勤で勤めている。
彼は、偶然にもホタルの研究成果を市民に啓蒙する講演会を三浜(みはま)という自然豊かな海辺の街で開く。
実は、紗和も離婚し、東京を離れて出直すために、この美しい三浜でレストランの厨房のアルバイトで生計を立て始めたところだった。

郵便受けに入っていたホタルの講演会のチラシに目を止めた紗和は、講師の名前に釘付けになった。
「北野先生…」
あの、めくるめく愛の日がよみがえる。
「会いたい」
密かに紗和は講演を聞きに行った。
そして講師と聴衆として再会を果たすが、会話を交わすには距離がありすぎた。
ホタルが生息するという「三浜自然の森」をキーワードに二人は偶然を装って再会するのである。
ここは純愛そのもので、ふたりでホタルの幼虫を探し、せせらぎの中の壊れかけた百葉箱の前で、何度も肉の関係もなく落ち合うのだった。
「互いに決して触れ合わない」を約束に逢瀬を重ねる二人。

察しのいい乃里子が、夫の行動に不信感を抱かないはずがなかった。
乃里子も大学の研究者らしく、家庭的ではなかった。

ホタルを探すという口実で、何度も三浜に通うことに疑いを感じ、夫の口から「三浜」という地名を聞きとめ、ある雨の日に夫の後を密かに追う。
雨でも強行する夫には何かある…

おりしもその日は、こんな関係を今度こそ清算しようと、紗和から別れ話を持ちかけた日だった。
予想通りに、二人の密会を目の当たりにし、乃里子は怒り狂うのだった。
乃里子は、予約しているホテルの部屋に二人を強引に連れ込んで、厳しく詰問するのだった。
「私の目の前で、愛し合いなさいよ。そうしたら諦めて別れてあげる」と、無理難題をふっかけて。

こうして、裕一郎と乃里子の亀裂は決定的になった。
「弁護士を立てて、離婚話を進める」と裕一郎は紗和に告げ、紗和のアパートで同棲し始める。
しかし、なかなか話は進まない。
知らぬ間に紗和は裕一郎の種を宿していた。
乃里子との間にはできなかった子が、できたことを裕一郎も知る由もなかったが。
もともと北野夫妻には不妊という溝があったのだ。

ネタバレになるので、これ以上は書かないが、とにかく怖くて、おもしろかった。
上戸彩の痛ましい演技もあって、この不倫がどこへ着地するのか観る者をハラハラさせる。
ラブシーンはきわめてソフトで、上戸ファンも納得だろう(HIROと結婚して実生活では子供もいるのだし)。

伊藤歩扮する乃里子の演技が冴えた。
あのまま引き下がる女ではない、その執念を好演した。
伊藤はかつてサントリーオールドのCMで、國村隼と父娘を演じて評判になった。
私も好きなCMだった。

乃里子は飛び降り自殺をくわだて、死にそこなって、車いす生活になる。
裕一郎は、そんな乃里子を献身的に介護する。
自分に原因があることが痛いほどわかっているからだ。
しかし、乃里子はけなげにも「私のことはもういいから、あの人(紗和)と新しい生活をしていいよ」と言うのだが…

ここからが恐ろしい、女の情念が悲劇を起こすのだ。

最後はファンタジックに終わるので、なんとか観る者も安らぎを感じることができる。
が、しかし!
私が気に入らないのは、不倫愛は決して成就しないという姿勢の描き方だ。
映画の感想を述べる人たちも、「不倫は法で禁じられているから」とか「不倫は許されない」という意見の目白押しで、その前提でこの悲しい結末もいたしかたないと同意する。

私は違って、不倫が成就してハッピーエンドもありじゃないのかと思っている。
好きで寄り添ったパートナーに不満が募ったり、愛情が冷めることもあるだろう。
子供がなかなかできないとか、できたらできたで、妻が子供べったりになって夫を顧みないとか。
妻にも言い分もあろう。
結婚前はあんなに愛してくれたのに、結婚したとたんに家政婦扱い、「釣った魚には餌をやらない」を地でいくようなDV夫になりはてる。

そんな立場に、甘んじるなら新しい相手を探すのも悪くない。
私はそう思う。
パートナーが不具になって、自分のこともわからなくなった絶望感をあなたは想像できるか?
愛しているとかそういう問題は吹っ飛んで、みじめな自分だけが残るのだ。
しょせん他人である。夫婦などというものは。

様々な夫婦間の亀裂があるだろう。
それを前向きにとらえて、修復しようとする夫婦がある一方で、別な相手に惹かれていく人もいる。
それを不倫という一言で片づけていいとは思わない。
なんでも正義を振りかざして、人を非難するのは何も生み出さない。

私は、つぎつぎに相手を変えてゆくことは良いことだと思う。
イノベーションだと思う。
技術革新なら許されて、人間関係なら許されないという道理が分からない。
冷めた「料理」は、温めなおしてもおいしくならないだろう?

乃里子は被害者意識の強い女で、奪われたものは取り返すか、取り戻せないなら壊してしまう女だ。
ポトラッチのような女は恐ろしい。

私は、旦那をだれかに奪われてもそれはそれでいいと思っている。
どこへなと、行くがいい。
だから私も、好きな人と体を重ね、自分の心を大事にしたいのだ。
不倫ではなく、自己愛なのだ。
エゴイストだと言われても仕方がない。
リベラルが保守と紙一重なのは、政治の世界ではあたりまえ。
個人もまた然り。
でも保守主義は不倫を嫌う。
だから妾(めかけ)を持てといい、それが男の甲斐性だと言うのだった。
女にはそれを認めないのが、保守主義だ。
私は違う。
超個人主義の保守主義で、守るべきは自分のみだということだ。
自分の好きなことをし、好きなように生きるのである。
妻子ある男性と恋仲になって何が悪いのだろう?
飽きられたパートナーに落ち度もあろう?違うか?
不倫されたと騒ぎ立てる人は、不倫されない努力を怠りはしなかったか?
自分を顧みられない人、反省をしない人は何度でも裏切られるだろう。
以上!