絵に詳しくない人でも「ゴッホ」の名を聞いたことがない人は少ないだろう。
今日の『日曜美術館』はまさにフィンセント・ファン・ゴッホの特集だった。
日曜日の遅い朝食の時に観るには、ちょうどいい番組なので、毎週、たいてい観ている。

彼が青年のころ、絵を志すまでは、小さなベルギーの炭鉱町でカトリックの伝道活動のような仕事をしていたらしい。
彼自身も貧しかったが、炭鉱の貧しい人々と接する中で、労働に生きる人間の姿に畏敬の念を持ち始める。
多感な青年期に、プロレタリアートに身を置いたフィンセントが、当時のミレーの労働画に惹かれ、絵の道に入っていくのは極めて自然なことだったのかもしれない。
ミレーの『種まく人』や『晩鐘』に感銘を受けて、自分もそういう市井の人を描きたいと思ったのだろう。
ただひたすらに、種を蒔き、収穫を夢見る生活、そして信仰…
フィンセント自身、敬虔なクリスチャンであったけれども、やはりキリスト教の限界も感じていたのだろう。
カトリックでは「画家」は神父に匹敵するほどの地位を与えられているという。
宗教画を描く画家は神に近い存在だと思われていたのだった。
※フィンセントの父も祖父も聖職者である。父はプロテスタントの牧師だったようだ。フィンセントは神学校を目指すも挫折してしまったと伝えらている。

とはいえ、ちゃんとした絵の修行を積んでいない我流の画家が絵で生計を立てられるわけがなかった。
オランダ時代のかれは、弟のテオ(テオドルス)の援助で食いつないでいたのである。

故郷のオランダからフィンセントは、すでにパリで画商として活躍していたテオの手引きでパリに移り住む。
この時期、パリの画壇には印象派の時代が到来しており、またパリ万博の影響からか、日本の絵画や工芸に範を求める「ジャパネスク」が画家の間にもてはやされていた。
フィンセントも日本人が描いた精密な植物の水墨画に魅せられ、真摯に草花と対峙する日本人の心に、キリスト教とは違った宗教観を見出して、自分もまねていく。
そしてついには、宗派を超えた、一つの神、創造神への畏敬の念を抱き始める。
アルル地方に移り、『ひまわり』などに画才を発揮するも、親友ゴーギャンとのすれ違い、錯乱、耳切り事件などを経験するが、精神病棟の病室の窓から見た「糸杉」の伸びやかな姿に、ふたたび絵筆をとるのである。
「糸杉」はたびたび、彼の画題に選ばれ、何度も描かれた。
有名な『星月夜(ほしづくよ)』はこの頃に製作された。

かれの「糸杉」を見ると、その渦巻くような、糸杉の葉、一本一本を執拗に追い求め、動きを切り取っているようだ。
てんでに渦巻いている葉は、ついには一本の、天を衝くような糸杉に収束していく。
それは、彼がかつて見たオベリスク(古代エジプトの尖塔)になぞらえられているのかもしれなかった。
教会の塔は、すでに目立たないくらいに小さく描かれていた。
フィンセントが、旧来のキリスト教に訣別した瞬間だったのかもしれない。
それは、決してキリスト教の否定ではないのである。
もっと大きな「神の存在」に気づいたからではなかろうか?

糸杉の背景の夜空も渦巻いているのは、風だろうか?
一見、静かな糸杉の木立は、実は、騒々しい風に揺られているのかもしれない。
星々は、降るように明るく、光がにじんでいるようにも見える。
私が、泣きながら見る夜空は、こんな感じだった。
フィンセントは泣いているのだろうか?
なんで泣いているの?
私は問わずにはおれない。

フィンセントは、最後まで、弟以外にはだれにも認められずに、寂しく世を去っていくのだった。
もちろんゴーギャンは、仲たがいしてもフィンセントと手紙のやり取りをしており、理解者だったことには違いないけれど。
彼の絵が世間に認められたのは、死後のことだった。

そして今や、フィンセント・ファン・ゴッホの名を知らない人はいないだろう。