重なりて 同じ反りなる目刺しかな (篠原温亭)

篠原温亭(しのはらおんてい、1872~1926)は熊本の人で、徳富蘇峰(蘆花の兄)の主宰する「國民新聞」に勤めていたそうだ。
俳句は『ホトトギス』の同人として、子規や虚子に教えを乞うていたから、虚子の『新歳時記』に27句も採られている。ただし、ここに挙げた句は『新歳時記』にはないようだ。
歳時記虚子編
私の母が持っていた高浜虚子編の『歳時記』(三省堂)である。
箱入りで、昭和51年の増訂版で、奥には「虚子」の落款が「著者検印」として捺されている。
表紙の「花鳥諷咏」の文字は虚子の手によるものだろうか?

ところで、私は「目刺し」をよく買い求めるので、その並んだ鰯の姿を見て温亭のこの句を思うのである。
彼は俳号の通り「温厚」な人柄で、人々にも人気があったそうだ。

殺生の目刺しの藁を抜きにけり (川端茅舎)

なかなか「生々しい」句である。
昔は「目刺し」といえば、藁を鰯の目に通して束ねてあったものだ。
今は、プラスチックのストローを通してある。
その姿自体「殺生な」と言われれば、そうだろう。
「目刺し」の名前の由来でもあるから、「殺生」も免ぜられてよろしかろう。
こうやって命を頂いて、我々は生きているのであるから。

川端茅舎(ぼうしゃ、1897~1941)もホトトギス派の同人で、温亭よりは名が通っている。
この人は画家を志していたそうだが、俳句の道に分け入っていったのである。
茅舎の異母兄に日本画家の川端龍子(「りゅうし」と読み、男性である)がいる。
俳人が画家であっていけないはずがなく、むしろプラスに働くのではなかろうか?
京都は東福寺の塔頭に住み込んで、画家とも、俳人ともつかない生活を送っていたそうだ。
『麗子像』で有名な岸田劉生の下で絵を学び、入選作も出すほどの腕前であったらしい。
東福寺で生活していたためか、仏教色のある句を作る印象がある。

ぜんまいののの字ばかりの寂光土 (茅舎)

ほんとうに「の」の字が並ぶ、面白い句で、「寂光土」とは「浄土」と考えてよいだろう。日蓮宗では真宗のように「浄土」を使わずに「寂光土」とか「常寂光土」と言うようだ。
「ぜんまい」は春の訪れを告げる山菜であり、今の時期にふさわしい句と言えよう。
もう一つ、茅舎の作で、私の好きな句がある。

一枚の餅のごとくに 雪残る (茅舎)

やはり、茅舎は画家なのだなと感じる一句である。
純白の雪が、春の雪解けを迎えて、日陰に解け残っている。
やわらかく、搗きたての餅のように真っ白だ。

彼は高浜虚子の下で俳句に専念するも、正岡子規と同じ病に臥せり、わずか43歳の短い人生を終えた。
彼の亡くなった年の暮れに太平洋戦争が勃発するのだった。