日本国憲法施行から七十年の節目の年の憲法記念日です。
護憲か、改憲かで世論を二分しているかのようですが、改憲するには国民的議論が高まっているとは思えません。
政府自民党は「改憲議論の機は熟したり」と意気軒昂ですけれども、牽強付会、我田引水の感が否めません。

あたしは永らく護憲派を標榜してまいりました。
若いころに左派に属していたからという単純な思考回路ではありません。
「不磨の大典」と明治憲法の時代から日本の憲法は奉られてきました。
それを「いじる」というのは、軽々になせるものではない。
「不磨の大典」は、言い換えれば硬性憲法ということです。
それを自民党は「軟性化」しようとしている。
みなさんは憲法九条にのみ視点が行っているようだが、憲法97条を土台として、同96条の「憲法の硬性」をも政府自民党は改めようとしています。

わたしはこれに反対だ。
ここをないがしろにされると、あとはなし崩しに平和憲法を、交戦(好戦?)憲法に変えられてしまう。

実は、九条改正はハードルが高いので、96条改正で軟性化して…というのが自民の目算なのだろう。

ただし、改正となればその国民投票は何度もできないでしょうから、一気呵成に改憲をしてしまいたい。
その最低投票率を設定すべきかどうかも議論があります。
憲法上は国民投票に最低投票率の規定はない。
しかし、白票や棄権が予想される国民投票で少数の有効票で改憲が決定されてそれが民意だと言えるでしょうか。
もちろん、最低投票率など設定しても、いくらでも抜け道はできてしまうのが実情でしょうが。

一方で、識者が言う「(改憲に対する)国民的議論が高まっていない」という懸念があります。
じゃあ、どうすればいい?
目先の飯のタネにしか興味のない国民にそのような「議論の高まり」を期待しろとは無責任です。
「北朝鮮の脅威」だの「テロリストからの防御」だのであれば、国民も「改憲せねば」と思うのかもしれません。
実際、インターネットでの世論はそちらに傾いています。
左右の思想ではなく、明日の安全を危惧すれば、再軍備、日米安保強化がもっとも現実的であり、そのためには沖縄には泣いてもらって、広島・長崎の被爆者にも目をつむってもらって、拉致被害者にも我慢をしてもらって、あげくに福島県民にも「わがまま言うな」とお門違いの叱咤をする。
これが政府だけでなく、ネットの無責任な国民の姿です。

あたしが護憲だった(今は限定改憲派)のは、「不磨の大典」に手を出すほど知識がなく、それならば、現行憲法が作用している現代においてそのまま触らずにおくのが、先人の知恵だろうと思ったからです。
つまり改憲など、あたしは「おこがましい」と思っていたからです。

時代の変化に現行憲法がついていっていないとはよく言われます。
そういう面も確かにある。
「解釈」で乗り切ってきたほころびも見え始めた。
だから改憲だというのは、自然な動きなのかもしれない。
その点、あたしは素直なんですよ。
わだかまりはない。

ただし手続きはちゃんと踏んでほしい。
強行採決が当たり前の国会はごめん被りたい。
民主主義以前の問題だから。
立憲主義にのっとった三権であってほしい。
いくら理想とはかけ離れていても、あきらめないで理想を追ってほしい。
政府が真摯な態度で臨むのなら国民も支持するだろう。

くれぐれも反対意見を抑え込むような強権政治をしないでほしい。
そう願うだけだ。
国民主権と基本的人権尊重は、平和主義より重いと思うから、改憲もありだと思います。