私は、学生の頃に日本共産党の青年部ともいえる「民青同盟」に参加したことがあったとこのブログでも何度か明かしている。
しかし、今は完全に「共産主義」から脱却し、その誤った思想がもたらした社会の歪みを感じている。
修正共産主義として社会主義が興ったが、私はどちらかというと「社会資本主義」という立場である。
あらゆる人々はどこかの国に所属している(そうでない民族も多々あるが)とすれば、その国民は自国の政府に社会資本の充実を要求することができるはずだ。
社会資本とは、有形無形の国民すべてが享受できる行政サービスや施設などである。
その社会資本の運営のために税が使われ、国民もその恩恵に平等にあずかれるわけだ。
私は、社会資本主義が自由主義と親和的であり、互いに不可欠なイデオロギーだと感じている。
自分の幸福追求権を邪魔されずに、なおかつ他人のためにも寄与できる社会こそ健全な社会であると思うからである。
自由競争を否定しないし、階級固定を作らない。
共産主義が否定してきたものをすべて、肯定するのが社会資本主義である。

これから、不定期ではあるが、共産主義がいかに無謀で、人々や環境を破壊してきたかを論じてみたい。
今回はカザフスタンとウズベキスタンの境にある「アラル海」がたどった悲劇を見て行こう。
まずこの衛星写真をみてほしい(Wikipediaから拝借)
アラル海
左がかつてのアラル海の姿であるが、右は現在の姿である。
おそらく、昭和37年以前の生まれの人が学校で社会の時間に地図帳で見たアラル海は左の形だったと思う。
アラル海の周辺で広大な綿花栽培がおこなわれ始めたのはアラル海の南岸を治めていたホラズム・ハン国だという。
18世紀のころ、ホラズム・ハン国では灌漑(かんがい)によって乾燥地帯に綿花畑を営んでいた。その綿花は帝政ロシアに対して輸出されていた模様だ。
アメリカでは南北戦争が勃発していたころで、綿花の需要が逼迫していた時勢もあって、ホラズムの綿花栽培は好況だったようだ。
帝政ロシアがボルシェビキによって倒され、スターリンらの興したソビエト連邦が引き継いでアラル海周辺の灌漑事業を大規模におこなっていった。
アラル海は塩湖であり、その水を農業に使うことはできなかった。ゆえに、アラル海に流入する前の淡水地下水を農業用水に使うべく土地の高いところの井戸から低い農地へ水を引く「重力灌漑」が採用された。
ソビエト政府は地主(領主)から農地を取り上げ、遊牧民を定住化させ、朝鮮民族を移民させて耕作させるなどして、アラル海周辺の開拓をおこなった。
ここで問題なのは共産主義がブルジョアから土地や財産を取り上げ、外から異民族を労働者階級に固定して使役したことである。
階級の固定は、いくらがんばっても労働者は労働者のままであり、自由競争は許されないし、所有権などの財産権も制限されるのである。
共産主義のもっともダメな部分である。
またブルジョアとひとくくりにされて、土地財産を没収され、労働者階級に落とされることが当然に受け入れられるはずもなく、賄賂ですり抜けるブルジョアも出てきて、ますます不公平になってしまう。
自由主義ならばそもそも「袖の下」はビジネスの一環であって、相手が公務員でなければ許されるわけだが、共産主義は体制側、取り締まる側が政府であり、贈賄はすべて官吏になされてしまうのだ。

それでもソビエト連邦時代のウズベク共和国(当時)の綿花生産高は500万トン(1986年)まで発展した。
またその周辺では米やメロンまで栽培できるようになり、ソビエト政府のお抱え科学者は、アラル海が縮小しても大して影響はないとまで言ったのだ。
また農地から流入する農薬などで水質は悪くなる一方だった。
アラル海は塩湖であったが、破壊される前は漁業も盛んであり、生命豊かな湖だったのである。
※「干上がるアラル海」(朝日新聞社)
なのに、ソビエト連邦政府はこのことをモスクワ放送で「社会主義の勝利」だと大々的に宣伝した。
すでに彼らは「共産主義」を修正して自らは「社会主義」だと主張し、ソビエト社会主義共和国連邦を名乗っていたのだ。
その実はマルクス・レーニン主義のバリバリの「共産主義」による軍事国家であり、東西冷戦の東側筆頭国としてNATO諸国と対峙していたのである。
人民から吸い上げた利益はすべて核開発や兵器開発、宇宙開発につぎ込まれたのだった。
アラル海はこの間も、ソビエト労働者階級が政府に利益を吸い上げられるように、水を吸い上げられ、塩釜のようにアラル海は干上がっていき、真っ白な塩を土地表面に残して消えていった。
乾燥地域の風は、毒物を含んだ砂を巻き上げ、周辺の人々に深刻な呼吸器疾患をもたらしてしまったし、塩害で農地は放棄され、人々は去っていった。
1991年12月25日ソビエト連邦も崩壊し、あたらしくロシア連邦が興った。脱共産主義を標榜して興った新国家である。
それでも、アラル海の荒廃は止まらなかった。
アラル海ほどの大きな湖が縮小すると周辺気候までもが変化し、乾燥がよりひどくなってしまった。
手の施しようのない状況におちいったアラル海を見て、政府も人民も結果の出ない灌漑、運河掘削に疲れ果て、「アラル海は美しく死ぬべき」だというようなムードになっていった。

このことを危惧した人々が世界に呼びかけ、アラル海の回復に手を貸そうという動きになったのである。
写真を見ればアラル海は、北部の小アラル海と南の大アラル海に別れていることがわかる。

まず回復させるために小アラル海から手を付けていこうということになった。世界銀行もカネを出すと決定したのである。
淡水化、ことに葦原を増やしてゆっくりと淡水化する試みもされている。
小アラル海はラムサール条約にも指定され、ゆくゆくは大アラル海へ救済の手が伸びるだろうが、効果が出るのはまだまだ先だ。
下流のタジキスタンとキルギスタンがウズベキスタンと対立していることも難題である。ソビエト連邦時代の負の遺産である軋轢が見え隠れする。

このように誤った共産主義政策がもたらしたものは、人々の生活を破壊し、アラル海を干上がらせて、不可逆な環境の破壊だった。

この本を参考にしました。