映画『インディペンデンスデイ』と『ディープインパクト』を見ましたが、はっきり言って駄作ですね。
アメリカファーストの「マスターベーション」的映画です。
リアリズムの欠片(かけら)もない。
地球最後をアメリカ人が救うという勝手なテーマにあたしら東洋人は「ふん」と思ってしまう。
『バトルシップ』もそんなところがありましたけど、一応、日本人も活躍させてくれている。
それは「安保」があるから「同盟国」だからというよしみ。
『バトルシップ』はそういう裏側が見えるんだけど、VFXのすごさと、圧倒的に強い異星人に旧式戦艦「ミズーリ」が退役軍人の活躍で敵に立ち向かい勝利を収めるところに観る者が快哉(かいさい)するわけ。
だから、まあ許せる。

『ディープインパクト』は彗星が地球に衝突するという映画なんだけど、それを回避するために核を使うのね。
しかし、一回目は失敗し彗星本体が大小に二分する羽目になって、地球を襲う。
小さい方は地球に激突し、大津波を引き起こしてニューヨークを呑む。
もう一方の大きい方は、最初に彗星に核爆弾を仕掛けにいった、選抜された精鋭の乗る宇宙船が、残った核を抱いたまま特攻して破砕する…
その英雄譚を盛り上げるのに後半、時間を費やすのね。かったるいわ。
現代の「ノアの箱舟」を企画して、選抜された米国民を地下シェルターに収容し、地上に残された多数の国民は死を待つか、逃げ切るかの選択を迫られるのね。
「ノアの箱舟」を主導するのが有色人種の米大統領だったから、白人至上主義ではないと言いたいのかな?
オバマ大統領が成立する前の作品なので、アメリカの映画人の中には、こういう「選民」を行うシチュエーションでは、いろいろ気を遣っているのかもしれない。

日本では宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」なんかが滅私の奉公物語としてつとに有名で、好まれる描かれ方です。
のちでも「鉄腕アトム」の最終回や、「宇宙戦艦ヤマト」でも特攻が描かれていて、そういう物語を日本人も好むようです。
神風特攻隊が日本人のアタマにあるんでしょうね。
あたしはね、アニメならこういう話もゆるせるんだけど、映画では陳腐になるので、もうちょっと練って描いてほしい。
「もう特攻しかない」という場面は、その必然性、悲哀、逡巡というドラマをさらっと描かないで、人間臭く、のたうちまわって、嘆いて、恥ずかしいくらい取り乱して描いてほしい。

アニメは基本、子供の観るものだとあたしは思っています。
大人になれない(なりたくない)大人や、子供の心を失わない(失いたくない)大人がアニメに没頭するんでしょうから。
アダルトチルドレンというメンヘラな人(あたしも含めて)が好むのがアニメなんですよ。
あたしはアニメには表現の限界があり(技術的にではなく、倫理的に)、映画にはそれがないと思っているのです。
なぜならアニメというだけで未成年者への垣根が取り払われる作用があるからです。

映画は違うのよ。
谷崎潤一郎の「卍(まんじ)」や「鍵」、小津安二郎「東京物語」、松本清張「砂の器」に感銘してこそ大人だというのだと、あたしは偏見を持っています。
二次元オタクがエロアニメをオカズにして射精しているようじゃ、女は抱けない。

昭和は遠くなりにけりだ。
まったく。