俳人「後藤比奈夫」が5日、老衰で亡くなった。103歳だったそうだ。
祖父後藤古拙、父後藤夜半と俳人の家に生まれ、早くから俳句に触れて「ホトトギス」に句を投じていたという。
長男の後藤立夫は、すでに亡くなっているが、彼も俳人でかつ、灘中、灘高校から東大工学部建築学科に進んだ理系人であった(工学博士)。

比奈夫は大正6年、大阪生まれで、大阪帝国大学理学部物理学科卒業の理系俳人である。
亡くなった奥様への思いで綴った句集『めんない千鳥』で第40回蛇笏賞を受けている。
日本伝統俳句協会の顧問を務められていた。
大東亜戦争中は陸軍の技術研究所に勤務していたそうである。
いったい何の開発をしていたのだろうか?
彼は電気関係の会社を興しているので、その方面かもしれない。

虹の足とは不確(ふたしか)に美しき (比奈夫)

光らねば冬の芒(すすき)になりきれず (比奈夫)

鶴の来るために大空あけて待つ (比奈夫)

「虹の足」とは吉野弘の詩でよく知られているかもしれないが、つまりは、掛かった虹のアーチの裾を言うのだ。
それが「不確に美しき」と科学者らしい比奈夫の捉え方だ。
いずれの句も科学者らしい「客観」が光っており、またそれは「ホトトギス」派の目指すところでもあった。
枯れ残ったうらさびしい芒の穂が、付着した霜によってふたたび輝いている。
また、厳寒に会わないとただの枯れ芒でしかないという客観。
これも冬の句であるが、鶴を待つ気持ちが「大空をあけて待つ」と壮大な表現で成功している。

昔の理系の俳人は、いい句を作る。
文理両道なんていう言葉はないが、そういう素養があったのだろう。