鎌倉幕府の制定した法律「御成敗式目」の第十四条と第十五条に次のようなものがある。

第十四条 代官の犯した罪が、その主人に及ぶ場合のこと
代官が罪を犯した場合、その任命責任は主人にあるため、すみやかに幕府に代官の罪状を報告すれば主人の罪は問われない。しかし主人が代官をかばい、その報告を怠れば主人のの所領は没収され、代官は入牢とする。代官が年貢を横領した場合、または先例や法に背いた場合も主人を同罪とする。代官または本所による訴訟が行われる場合には、幕府または六波羅探題の呼び出しに応じないときは主人の所領が没収される。ただし、罪の軽重により罰も軽重あり。

第十五条 文書偽造の罪について
偽りの書類を作った者は、その所領を没収する。ただし領地を持たない者は流罪とする。庶民にあっては顔に焼き印を刻する。依頼されて偽造文書を作った者も同罪とする。また裁判において虚偽を述べた者は、寺社の修理を命じ、それができぬ者については追放を命ずる。
www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/index.html(玉川大学)

現在国会でやかましく議論されている問題について、私は何も言う気はないけれど、「御成敗式目」にもかような「仕置き」が定められているわけで、「任命責任」やら「文書偽造」やら、鎌倉幕府もこういった問題に悩まされていたのだろうと推測できる。

「御成敗式目」をつぶさに研究すると鎌倉時代には女性の権利が相当認められていた模様である。
ほぼ、男女同権という印象を受けた。
女性の地頭もいたらしいし、女性の相続権も認められていた。
この点は戦国時代に日本を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスも『日本史』で指摘していた。
日本での女性蔑視は、じつは江戸時代になってから確立したようである。