中谷宇吉郎(なかやうきちろう:1900~1962)という科学者は「雪の結晶の研究」でつとに有名だが、私も岩波文庫から出ている『雪』を拝読したことがある。
今回、中谷先生の『科学の方法』(岩波新書)を手に取る機会があって読んでみた。
なるほど、立派な科学者というものは文章も上手だ。
平易にさまざまな例を引いて、比較しながら読者に気づかせる仕掛けを持っている。
これはファラデーの『ロウソクの科学』に通じるものだ。
もちろん先生もファラデーの著書を知らないはずがない。

だから、ファラデーとは違った切り口で、もう少し年長の読者に向けて中谷先生は語りかける。
たとえば「計測」の章で、誤差というものの捉え方をいろんな例を持ち出して語られる。
地球がどんな形なのかと小学生に問えば、おそらくたいていの子が「まんまるだ」と答えるだろう。
そして描かせてみれば、コンパスなどで円を描き「これが地球だ」と言うに違いない。
しかし、私たち大人は、地球が真球だとは思っていない。
だってそうだろう。
エベレストが地表から飛び出し、マリアナ海溝のような深い溝が地球の海底を裂いている。
それにもっと科学に通じた人なら、極方向から内向きに押しつぶしたように扁平な楕円体だと言うかもしれない。
しかし、もう一度小学生の描いたコンパスで描いた円を見てみよう。
この円は直径が6㎝のようだ。
またその鉛筆の線幅は、苦労して測っても高々0.2㎜にすぎない。
地球の直径は13000㎞だとされている。
すると、鉛筆の線幅は、本当の地球に直せば44㎞ほどの幅になる。
地図帳などで調べると、エベレスト山は8.9㎞ほどの高さであり、マリアナ海溝の一番深いところは10.8㎞ほどだ。
これらの幅は19.7㎞程度になるだろうか。
つまり小学生の描いた円の鉛筆の線幅の半分ほどに、この地球上の凸凹は収まってしまう。
さらに、地球が楕円体という事実も極方向直径より赤道方向直径がたった22㎞ほど大きいだけだそうだから、これも小学生が描いた円の鉛筆の線幅の半分くらいにしかならない。
なんと、誤差などというものは、この程度なのだから、小学生が地球の断面が円であると言っても全く間違ってはいないのである。

このように中谷先生はやさしく、かつ、信頼させる語り口なのだ。

中谷先生の三つほど後輩に、ゼロ戦の設計者堀越二郎がいて、彼らは戦争とは無関係でいられなかったはずだ。
関東大震災、満州事変、二・二六事件、太平洋戦争を経験している科学者たちは、どんな思いだったのだろう。
保阪正康の昭和史とともに、中谷宇吉郎の書いたものを読んでいると、同じ世界の話なのかと驚きを隠せない。
犬養道子(犬養毅の孫)の『花々と星々と』ならびに『ある歴史の娘』を読むにつけ、人間が歴史を作るのだということを感じずにはいられない。
昭和七年五月十五日、目の前で祖父を殺された十一歳の犬養道子の冷静な歴史を見る目は、私を震撼させる。
昭和七年の冬に31歳だった中谷宇吉郎先生は北海道大学で雪の結晶を作るために極寒の中で実験していて成功していた。
この対比はどうだろう?
堀越技師が三菱で九試単戦の設計に夢中になっていた頃でもあった。
逆ガルウィングの、全金属製戦闘機の試作で、リベットに沈頭鋲を使い空気抵抗を減らしたものである。

歴史は繰り返すのだろうか?