三月十日夜に殺害が行われた。
被害者は花岡靖子の前夫、富樫慎二と断定された。
富樫は靖子につきまとい、金銭を無心していたらしい。

現場に放置されていた自転車は盗難車で、持ち主が篠崎駅前歩道手すりにチェーンをかけて停めていたものを、おそらく被害者が盗んで江戸川の現場に持ち込んだのだろう。

自転車は真新しく、真新しいからこそ被害届が出ていた。
ただし、現場に放置されていた自転車には富樫の指紋と、両輪がパンクさせられていた事実がある。

容疑者として花岡靖子が浮かぶが、殺害時のアリバイがあった。
その日は親子で、娘美里が学校を終えたのち、映画に行って、そのあとカラオケに行った。
カラオケでの裏は取れ、映画のチケットの半券が映画のパンフに挟まれて靖子の自宅にあった。
美里はクラスメートに映画に行くこと、映画に行ったあとも感想を述べていた。
美里は中二でクラブ活動はバドミントンだったが、事件当日もクラブ活動を終えてから、疲れも見せず母親と映画やカラオケを楽しんでいた。
できすぎた話だ。

花岡靖子に富樫の殺害の動機があるにせよ、犯行は一人(娘が手伝ったとしても)では不可能だった。
夜の河原で炬燵のコードで首を絞める行為が女だけでできるかどうか?
もし殺害現場が自宅だとすれば、車の免許もない靖子に江戸川べりにまで運ぶすべがない。
共犯者を示唆する背景が当然浮かぶ。
もちろん、読者は花岡靖子と美里が富樫を絞殺し、その隠蔽工作を石神が請け負ったことを知っている。
石神はペーパドライバーだが免許を有していた。
しかし、石神の、自首の際の嘘の証言では、犯行現場は江戸川べりであり、そこで富樫と待ち合わせたといい、そこまで盗んだ自転車で富樫がやってきたのだと言う。
※本件は表面上は石神の死体遺棄事件であり、主犯は花岡靖子と里美である。そしてやはり死体の運搬は石神が車を使ったのだと思われる。

まず、工藤が疑われた。
工藤は、靖子が以前にホステスとして勤めていた店の客で、富樫と結婚していたころの靖子を知っている。
そして、最近、妻に先立たれ、靖子に近づいて来た。
工藤は靖子のために富樫を始末する手伝いを請け負ってもおかしくない立場だ。
しかし、工藤はシロだった。

湯浅のほのめかしで、石神に捜査の手が伸びる。
捜査員だけでは石神が捜査線上に浮かぶことはあり得なかった。

数学にしか興味のない石神が、隣人の母子を献身的に助け、自らの手を汚して殺人・死体遺棄を手伝うことがあるだろうか?
それなりの理由を探すべく、湯浅は石神を訪ね、その行動を観察する。
「お前は、髪がふさふさあって、おれはこのざまだ」と薄くなった頭に手をやって、こぼした石神の言葉を湯浅は聞き逃さなかった。
石神が自分の姿かたちを気にしていることに違和感を感じたのだ。
もとはそういう男ではなかったからだ。

そして、「べんてん亭」に毎日、昼飯用の「おまかせ弁当」を買いに、はせ参じる石神に同行して湯浅は、「花岡靖子に気があるのか?」と勘ぐる。
ついに、店で鉢合わせした工藤と靖子のやり取りを、嫉妬の目で見る石神を見て湯浅は確信する。
「石神は恋をしている」と。

これで、湯浅の中で、何の関係もなさそうな花岡靖子と石神哲哉がつながった。
恋しい花岡靖子のために、石神は渾身のシナリオを作ったのだと。

天才数学者のつくったシナリオは、容易には捜査員が崩すことはできず、捜査は暗礁に乗り上げる。
しかし、天才にも予期せぬことが現出した。
工藤の存在である。
工藤は結婚を前提に、靖子に近づいている。
自分よりも、魅力的な工藤に嫉妬した。
しかし、花岡母子の幸せも願っていた。
それなら、仕上げに、最大の靖子への愛を示そう。
「嫉妬に燃える男」を敢えて演じ、自らを汚して自首するのだ。
そうして靖子と工藤が心置きなく添い遂げられるようにと。

最後に、天才の見落としで悲劇を招く。
靖子の娘、美里が自殺未遂してしまったことだ。
美里は母親が、工藤と再婚することで幸せになる反面、自分たち親子のために罪をかぶって自首した高校教師の石神のことを思うと、自分も母親も許せなくなったのだ。
純真な美里は、手首を切った。
幸い命はとりとめたけれど…

江戸川べりで遺体で見つかった男は富樫ではなかった…
石神の供述によると、富樫の遺体は、バラバラにされ、石神が、分散して川に投棄したらしい。
では一体この顔面をつぶされ、指紋を焼かれた遺体は誰なのだ?

この世から完全に存在を消された人間というものが、いつの時代にもいる。
世間からこぼれて、生きながら死んでいる人々。
石神はそういう人間を利用したのだ。
富樫の遺体を放置すればじきに足がつき、花岡靖子に嫌疑が集中するだろう。
捜査かく乱のために第二の殺人が利用されたのだった。

あたしは、この石神の理由がわかったようでわからない。
数学者(=東野圭吾)の考え方なのだろうが、どうせ石神が自首して収めるのなら富樫の死体遺棄事件だけでよかったのではないか?

石神の「嫉妬心にあふれた手紙」や「工藤への脅しの手紙」は自作自演だったのだろう。
自分の犯行であることを強く印象付けるために。
そしてそれが花岡靖子への愛の証だったのだ。

恋愛に不慣れな男の悲しい結末だったが、やはり何の関係もないホームレスの「技師」を殺して犯行隠蔽に利用するなどは人倫に反する行為で許されない。

彼は今後、獄中でつぐないながら、数学の世界に没頭するのだろうか?
やっと邪魔されずに一人になれたと喜んで…

救いのない話である。

しかし、あたしは気づいた。
この殺された「技師」は東野圭吾自身ではなかったか?
彼は大阪府立大学電気工学科を出てデンソーの技師になった経歴がある。
その「技師」が言われなく殺され、世間から消えることで、彼が作家として今後やっていくのだという決意が現れているような気がしてならない。