唐代の「李・杜」の詩選と宋代の蘇軾(蘇東坡)の詩選(いずれも岩波文庫)が書庫から出てきました。
漢詩選

こういうのに凝ったことがあったんだなぁ。
やはり友人の影響でしたけど。
西村氏というめっぽう頭の切れる先輩というか、友人がいたんですよ。
もう二十五年ほど前かなぁ。
心臓に持病を持ってらしてね、いつもニトロを手放さなかった。
西村氏は、音楽から芸術、古典など広い知識を持っていて、それでも立命館大学の工学部出身の理系の男性でしたよ。
心臓が悪いのに、美食家でぽっちゃりとして色白の方でした。
お酒は飲まない(医者に止められていた)けど、私のお酒につきあってくれましたね。
だいたい、おでん屋のカウンターで美術の話やら、歴史の話に夢中になっていました。
「多幸(たこう)」という、カウンター席しかない店でね、そこは西村氏が、独り者だからいつも晩ごはんをそこで食べて家に帰るパターンだった。

私は会社の寮に住んでいたから、そのまま会社にUターンするんだけど。

西村氏に「松坂に肉を食べに行こう」とか、「香住に行ってカニを死ぬほど食べよう」なんてよく誘ってもらった。
もちろん、二人っきりっていうのは無しで、会社の人と四人ぐらいで、近くなら私が車を転がして行きましたね。
松坂と香住はさすがに鉄道を使いました。私が飲めるように。
とにかくグルメなんですよ、この人は。
おかげで、おいしいものを食べる「口福」を経験させていただきました。

で、西村さんの影響で漢詩を読むようになったってわけです。
これらのほかにも何冊か漢詩関係の本があったはずですが、ちょっと見当たらない。
白居易とか、王維もあったはずなんだけどなぁ…

西村さんは、現代音楽も好きでね、CDを借りたことあったんだけど、こればっかりは好きになれなかった。
武満徹が少し「いいかな」と思ったけれど。

下ネタも下品じゃなくってね、「艶噺」的なものを「むふふ」とこもった笑みをたたえて話すんだよね。
「つび」だの「ほと」だの「ぼぼ」だの古語にまつわる隠語も教わりました。
「日本人は笑いの文化で、笑いの根源は性的なものなんや」とは氏の言葉。
「天岩戸伝説」だって、アメノウズメのストリップ劇場で、集った神様たちが彼女の「ほと」を見て大笑いして騒いだもんだから、アマテラスが岩戸を少し開けて様子を見たんだった。

「それでホトトランジスターが生まれたってわけ」と真面目な顔で西村さんが言うわけ。
「は?」私は、あぜんとして聞いていた。
ホトトランジスターは光センサーであり、アマテラスの光を感じて、岩戸が開く仕掛けはアメノウズメの「ほと」トランジスターが働いたのだと。
「ほとぼり」が覚めた私は、「生中」をお代わりするのだった。
「なおぼん、ほとびるって知ってるか?」と西村さんが訊く。
「知らない」
「濡れて、ふやけてぐだぐだになるっていう古語なんやけど」
「まあ、ホトも濡れますわね」
「そういうこっちゃ」
「潤(ほと)びる」と漢字で書くらしいことも教えていただいた。
「じゃあ、ホトトギスは?」
「あれは…なんやろ?」
西村さんは遠くを見つめるようにして考え込んだ。本気で悩んでいる。

この文庫をめくっていると、あのころをいろいろ思い出す。
西村さんとは、深い仲には発展しなかったし、私もそんな気は起らなかった。
ただ本の話や食べ物の話に時間の経つのも忘れて「くっちゃべって」いた。

本は世につれ、世は本につれだ。