明治32年6月20日発行の『ホトトギス』に正岡子規が「酒」という題で一文を寄せている。
「学校の寄宿舎に居るときに、明日は三角術(三角関数)の試験だというので、ノートを広げてサイン、アルファ、タン、スィータスィータと読んで居るけれど少しもわからぬ」
と書いている。
さしもの子規も数学には苦労したみたいだ。
「タン」とはおそらく「タンジェント」のことだろう。
「スィータ」とは「θ(シータ)」のことに違いない。
もう、ちゃんと綴れぬくらい、三角関数が嫌いだったとみえる。

正岡子規は愛媛松山の出身で、当初、松山中学に在籍していたが、東京に出て帝大に行くつもりで中退してしまう。
当時、旧松山藩藩主だった久松家が子弟を育成するために帝都東京に常磐会なる学資援助組織を設立して、学生に寄宿舎生活をさせて勉学に勤(いそ)しませていた。
升(のぼる)が上京した時はまだ寄宿舎はなく、久松家江戸屋敷に寄寓していたらしい。
升は、まず共立学校(現開成高校)に入学し、帝大予備門たる第一高等学校に入るために日夜勉学に励んだ。
晴れて、升が一高に入学したころ、常磐会が坪内逍遥邸を買い取って寄宿舎にしたので、升もそこへ移る。
一高はのちの東大教養学部である。
上の話は、どうやら升が一高時代の話らしい。

彼が三角術と格闘しているときに、悪友が訪ねてきて「酒を飲みに行こう」と誘う。
升も嫌いではないので、その誘いに乗って、明日、三角関数の試験があるというのに行ってしまうのだった。
「酒の勢いで三角(三角関数)をやっつけよう」と、へべれけになるまで飲んでしまった升だった。
案の定、あくる日の試験は散々な結果であり、「酒も悪いが、先生もひどいや」と先生に悪態をつく升だった。

このエピソードは『飯待つ間(ま)』(阿部昭編、岩波文庫)に載っている。
子規の知られざる一面を垣間見ることができる。