夫の介護の合間に読むものはスパイ小説であったり、ハードボイルド小説だったりすることが多い。
もちろん、俳句や漢詩の本もつまみ食いしているけれども。

スパイ関連で「ミトロヒン文書」というものに出くわした。
旧ソ連のKGB(ソ連邦国家保安委員会)の幹部だったワシリー・ミトロヒンがソ連崩壊後に持ち出した文書のことだそうだ。
1992年に公開され、翌年に出版されることになり、KGBの隠された西側諸国への諜報活動が明らかにされたのである。
日本でも1993年に文藝春秋から『KGB極秘文書は語る』という題名で出版されたようだ。
ミトロヒン氏より前(1972年)に、ソ連時代にアメリカに亡命した、KGB第一総局のスタニスラフ・レフチェンコが暴露したソ連政府の諜報活動があるが、その証言を裏付けし、補強する内容が「ミトロヒン文書」であった。

日本に関する諜報活動も赤裸々に描かれ、中でも、KGBの前身、ソ連邦秘密警察が太平洋戦争後に捕虜にした日本陸軍の将官や佐官への聞き取り調査が明らかになった。

私が以前取り上げた瀬島龍三中佐の聞き取りもそこにあったようだ。

「ミトロヒン文書」には日本について重要な一文がある。
「朝日新聞などの大手新聞社を使っての世論誘導は極めて容易であった」
いったい、どういう世論誘導をおこなったのだろうか?
我々日本人は、まんまとソ連に篭絡されたのだろうか?
KGBは日本の政界への工作を積極的におこなっていたこともうかがい知ることができる。
北朝鮮が日本人を盛んに拉致する工作をおこなっていた頃と重なり、いわゆる「共産圏」諸国に日本がターゲットにされていたようだ。
自民党には瀬島龍三が送り込まれ、日本社会党と日本共産党にはKGBのスパイが作用している…
先に挙げたレフチェンコ氏の証言に、あの石田博英の名が「HOOVER」の暗号名で登場するのだった。
もちろん「ミトロヒン文書」にも彼の名が出てくる。

この正三位まで上り詰めた石田という男は、実はソ連のスパイだったのである。
労働大臣や運輸大臣を歴任し、政界の中央にいつもいたスパイだった。
彼は三木武夫のかばん持ちで、早稲田大学在学中にすでに政治に首を突っ込んでいた。
あまり裕福な育ちではなかったが、田中角栄、中曽根康弘、鈴木善幸らと同期当選を果たし政界デビューする。
GHQに嫌われ、公職追放された石橋湛山にくっついて、石田は政治に身を置くのだった(石橋内閣の官房長官を拝命)。

KGBの「エージェント」だった石田博英には謎が多い。
しかし、彼はおそらく吉田茂内閣時代からこっち、日本をKGBの命令で作用を及ぼしていたのであろう。
「ミトロヒン文書」の発刊があった1993年の秋に石田博英は没している。

私は、本の山に一人座して、壮大なスパイの暗躍を想像した。
晩ごはんの支度を、しなければいけない…