宮沢賢治(1896~1933)の生涯を物差しにして時代を眺めてみようと試みた。
私たちは、彼が当時としては最先端の科学に接しており、その深い理解から童話や詩を紡いだことを知っている。
現在の岩手県花巻市付近に生まれたこの青年が生きた時代とはどんな時代だったのだろうか?

なお、参考までに賢治の生まれた1896年は明治29年である。
まず科学や文化の偉人で賢治と生きた時代を共有した人々を内外から…
(賢治が生まれたころには、マイケル・ファラデージェームズ・マクスウェルグスタフ・キルヒホッフユストゥス・リービッヒルイ・パスツールはすでに故人となっていた)

ジュール・ヴェルヌ(1828~1905、フランス)空想科学小説家。『海底二万里』、『十五少年漂流記』など。
ウィリアム・クルックス(1832~1919、イギリス)陰極線(電子線)の研究、クルックス管。
ドミトリ・メンデレーエフ(1834~1907、ロシア)元素周期率の提唱、化学者。
エルンスト・マッハ(1838~1916、オーストリア)音速、衝撃波の業績(マッハ数)、科学史家。
ルードヴィヒ・ボルツマン(1844~1906、オーストリア)ボルツマンの原理、ボルツマン定数。
ヴィルヘルム・レントゲン(1845~1923、ドイツ)X線の発見と第一回ノーベル物理学賞受賞(1901)。
ヤコブス・カプタイン(1851~1922、オランダ)天文学者。銀河系がレンズ状であるというカプタインモデルを1922年に発表。
マックス・プランク(1858~1947、ドイツ)プランク定数に名を残す。1918年ノーベル物理学賞受賞。
グスタフ・クリムト(1862~1918、オーストリア)画家。
二葉亭四迷(1864~1909、日本)小説家。『浮雲』など。
夏目漱石(1867~1916、日本)小説家。
正岡子規(1867~1902、日本)俳人。
長岡半太郎(1865~1950、日本)土星型原子モデルの提唱。ボルツマンに師事。
ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866~1946、イギリス)空想科学小説家。『タイム・マシン』、『透明人間』など。
孫文(1866~1925、中国)中華民国政治家。辛亥革命を起こす。
マリ・キュリー(1867~1934、ポーランド)放射線の研究、ラジウム、ポロニウムの発見。1903年ノーベル物理学賞受賞、1911年ノーベル化学賞受賞。

アーネスト・ラザフォード(1871~1937、ニュージーランド出身の英国の科学者)α線、β線の発見者。1908年にノーベル化学賞受賞。賢治が生まれる前年にキャベンディッシュ研究所に入所。
国木田独歩(1871~1908、日本)自然主義小説。『武蔵野』など。
田山花袋(1872~1930、日本)独歩とともに自然主義文学の小説家。『蒲団』、『田舎教師』
高濱虚子(1874~1959、日本)俳人
グスターヴ・ホルスト(1974~1934、イギリス)作曲家。交響曲『惑星』など。
ウィンストン・チャーチル(1874~1965、イギリス)第二次世界大戦時のイギリスの首相
寺田寅彦(1878~1935、日本)地球物理学者、俳人。長岡半太郎に師事。
与謝野晶子(1878~1942、日本)歌人
アルベルト・アインシュタイン(1879~1955、ドイツ)光量子説、一般および特殊相対性理論、光電効果で1921年のノーベル物理学賞受賞。
滝廉太郎(1879~1903)作曲家、組歌『四季』の一『花』作曲(詞は武島羽衣)。
魯迅(1881~1936、中国)作家。『阿Q正伝』(1921)など。
マックス・ボルン(1882~1970、ドイツ)量子力学の確率的解釈。1954年ノーベル物理学賞受賞。
イーゴリ・ストラビンスキー(1882~1971、ロシア)作曲家。バレエ組曲『火の鳥』など。
種田山頭火(1882~1940、日本)俳人。
鈴木三重吉(1882~1936、日本)児童文学者。児童文学雑誌『赤い鳥』を支える。
山本五十六(1884~1943、日本)日本帝国海軍の軍人。太平洋戦争時の連合艦隊司令長官(戦死により元帥)。
東條英機(1884~1948、日本)政治家、陸軍大将、陸軍大臣、太平洋戦争時の首相。戦後、極東軍事裁判で死刑判決を受け刑死。
北原白秋(1885~1942、日本)詩人、童謡作家。
武者小路実篤(1885~1976、日本)白樺派小説家。『お目出度き人』、『友情』、『真理先生』など。
ニルス・ボーア(1885~1962、デンマーク)水素原子モデル「ボーア模型」の提唱。1922年にノーベル物理学賞受賞。 
石川啄木(1886~1912、日本)詩人、歌人
山田耕筰(1886~1965、日本)作曲家、指揮者。『からたちの花』作曲(詞は北原白秋)。古関裕而を世に出す。
萩原朔太郎(1886~1942、日本)詩人。『月に吠える』など。宮澤賢治に影響を与えた。
エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1961、オーストリア)シュレーディンガー方程式、波動力学。1933年ノーベル物理学賞受賞。
夢野久作(1889~1936、日本)推理小説、怪奇小説、空想科学小説家。『ドグラ・マグラ』など。
アドルフ・ヒトラー(1889~1945、ドイツ)政治家。ナチ党の独裁者でユダヤ人迫害を首謀。
エドウィン・ハッブル(1889~1953、アメリカ)天文学者。赤方偏移(ハッブルの法則)による膨張宇宙説。
三木露風(1889~1964、日本)童謡作家、詩人。『赤とんぼ』(作曲は山田耕筰)。『赤い鳥』運動に参画。
仁科芳雄(1890~1951、日本)物理学者。ボーアに師事。太平洋戦争時に原子力爆弾の開発にも着手(二号研究)。仁科研究所所長(理化学研究所内)。
西條八十(1892~1970、日本)作詞家。『かなりあ』、『蘇州夜曲』など
江戸川乱歩(1894~1965、日本)推理小説、怪奇小説作家。
宮澤賢治(1896~1933、日本)詩人、童話作家、農芸化学者(化学肥料)。『銀河鉄道の夜』など。
海野十三(1897~1949、日本)空想科学小説家。『金博士シリーズ』など。
ヴォルフガング・パウリ(1900~1958、ドイツ)パウリの排他律(禁則とも)。スピン量子数。1945年ノーベル物理学賞受賞。
ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901~1976、ドイツ)不確定性原理の提唱。1932年ノーベル物理学賞受賞。
ジョージ・オーウェル(1903~1950、イギリス)小説家。『1984年』、『動物農場』など。
金子みすゞ(1903~1930、日本)童謡作家、詩人。西條八十に絶賛されたが26歳で夭折した。
草野心平(1903~1988、日本)詩人。宮澤賢治を認め世に出した。賢治の死後も彼の作品の出版に尽力する。
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906~1975、ソビエト時代)作曲家。
朝永振一郎(1906~1979、日本)物理学者。繰り込み理論による量子電磁気学の発展に寄与。1965年ノーベル物理学賞受賞。
湯川秀樹(1907~1981、日本)物理学者。中間子の予想を立て、パウエルが発見し、1949年日本人初となるノーベル物理学賞受賞。
古関裕而(1909~1989、日本)作曲家、NHK朝ドラ『エール』主人公のモデル
新見南吉(1913~1943、日本)童話作家。『ごん狐(きつね)』など。

出来事からみると…
日清戦争終結(1895)の翌年に賢治は生まれている。1883年クラカタウ火山の噴火は1888年まで世界は「火山の冬」を経験しているが賢治は生まれていない。1894年東京地震(翌年に茨城で同規模の地震)、庄内地震いずれもM7.0 )
文化面からみると、トーマス・エジソンによる白熱電球が1879年ごろに完成している(八幡市の竹で作ったフィラメント)ので、賢治は電球の下で執筆していただろう。また飛行機も見ていなくても知っていたと思う。鉄道も発達していて、軍事的な理由から全国に路線が伸びていった時期でもある。岩手軽便鉄道(現JR釜石線)が1912年あたりから釜石の製鉄所への物資、人員輸送のために開通していて、賢治の母方はこの鉄道事業に関わって、たいそう繁盛していたそうだ。『銀河鉄道の夜』の軽便鉄道はこの岩手軽便鉄道がモデルになっていると考えられる。


三陸沖地震(1896.6.15)M8.5で津波被害、家屋流失9千件、死者21959人、賢治が生まれたのはこの年の夏。
宮澤賢治出生(1896.8.27)岩手県稗貫郡(現花巻市)に生まれる。
陸羽地震(1896.8.31)岩手県稗貫郡(賢治の故郷)などで被害甚大(M7.2)。
『十五少年』(十五少年漂流記)が森田思軒訳で出版(1896)
ライト兄弟(アメリカ)が人類初の有人動力飛行(1903)
日露戦争(1904~1905)
遭難時モールス信号「SOS」制定(下線は連続して打鍵すること)(1906)第一回国際無線電信会議(ベルリン)で決定、翌年発効。
ピアリー隊(アメリカ)の北極点到達(1909)
ハレー彗星接近(1910)
アムンゼン隊の南極点到達(1911)
白瀬矗(しらせのぶ)隊が日本人最初の南極大陸上陸(1912)「大和雪原」と命名。
豪華客船タイタニック号沈没(1912)処女航海で氷山に衝突して沈没した(1500人以上が犠牲)。本件でも「SOS」が使われているが、タイタニック号の遭難以前からこの信号は使われている(マルコーニ社の遭難信号「CQD」も併用されていた模様)。
第一次世界大戦(1914~1918)
理化学研究所設立(1917)
賢治、盛岡高等農林学校卒(現岩手大学農学部)(1918)
スペイン風邪パンデミック(1918~1919)
賢治が国柱会に入信(1920)日蓮宗の一派で国粋主義の「国柱会」に入信し、門徒である父親と反目。
日本初の空母「鳳翔」進水(1921)日本初の国産艦上戦闘機「一〇式」も積み込まれる。
カプタインモデル(1922)ヤコブス・カプタインは銀河系がレンズ状であるというモデルを発表
賢治の妹トシ死亡(1922)慟哭の詩「永訣の朝」(『春と修羅』収載)
関東大震災(1923.9.1)震源は神奈川県西部M7.9(大正12年)
丹沢地震(1924.1.15)震源は神奈川県西部M7.3
賢治『春と修羅』(詩集)、『注文の多い料理店』(童話集)刊行(1924)このころ「銀河鉄道の夜」の執筆も始まっていた。
丸善より理科年表創刊(1925)
NHKラジオ放送(JOAK)開局(1925.3.1)
賢治が草野心平『銅鑼』に参加(1925)
ゴダードのロケット実験(1926.3)
日本アマチュア無線連盟発足(1926.6.12)
賢治が羅須地人協会設立(1926.4)花巻農学校を退職し同地において。
昭和元年(1926)大正15年終わる(12月25日崩御)この日、テレビ受像機(ブラウン管)を高柳健次郎が開発。テレビジョンの実験はこの年の1月にスコットランドのベアードが成功させている。
賢治、肺を病む(1928)
京都大学花山天文台完成(1929)
世界恐慌(1929~1930)
三陸沖地震(1933.3.3)津波で流失家屋4000件以上、死者不明3000人以上、最高波高28m余り。
賢治「雨ニモマケズ」(1931)手帳に記す。
賢治「グスコーブドリの伝記」発表(1932)児童文学
宮沢賢治死去(1933.9.21)急性肺炎により37歳で亡くなる(昭和8年)。

ざっとこんな具合である。
まだまだ抜けているところは多々あるのであるが、宮澤賢治の生きた時代の背景がおぼろげながら見えてきそうである。

賢治は、生涯独身だった。
しかし、童貞というわけではなかったと伝えられている。
性的に倒錯していた部分もあったらしい。
同級生の男子に恋慕していたふし(相手は保阪嘉内か?)もあるので、思春期には同性愛の面もあったのだろう。
もっともこの頃の学生は全寮制で男子校だったから、だれしもその嗜好はあったと考えられる。

賢治が春画を蒐集していたというのも伝わっている。
今でいえばエロ本である。
「禁欲はなんにもならない」などと嘯(うそぶ)き、猥談もけっこう友人どうしでやっていたらしいから、健全な男子だったのではないだろうか?
ただ、このような賢治の言動にはブレがあり、たいていは禁欲的な態度をとったという。
性欲を発散するために牧場に出かけて徹夜でその欲望と闘ったなどというエピソードであるが、もしかしたら、自慰行為を野外でおこなってきたのか、雌ヤギを相手に獣姦をおこなったのかもしれない。

そこで気になるのが妹のトシとの関係である。
トシは兄賢治の作品の一番の理解者であり批評家であった。
またトシは頭脳明晰で、学校(県立花巻高等女学校)ではつねにトップの成績で、東京に出て日本女子大の予科に進学することになった。これには逸話があって、花巻高等女学校の音楽教師と恋仲だと噂が立ち、その間を割くためにトシを東京に行かせたのだというのだ。
そこには、賢治の入れ知恵があったのではなかったか?
その後の、病に伏していた妹への賢治の献身は実の妹に対するものというより、愛人への接し方に近いものだった。
近親相姦…そう周囲が懸念してもおかしくなかったという。

永訣の朝 (宮澤賢治)

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆぢとてちてけんぢや)→「みぞれをとってきてよ、けんぢ兄さん」の意(尚子註)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆぢとてちてけんぢや)
青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに→曲がった鉄砲玉のように(尚子註)
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆぢとてちてけんぢや)
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から→「蒼鉛」とはビスマスのこと(尚子註)
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆぢとてちてけんぢや)
***以下略***

高瀬露(たかせつゆ)という年下の女性との関係にも触れておく必要があるだろう。
賢治を慕って、露女が「お世話をしたい」と近寄ってきたのである。
最初は賢治も「助かる」と好意的だったが、いつごろからか露女を毛嫌いするようになったらしい。
二人の間に何があったのかわからないけれど、「うっとうしい」を通り越して賢治は「嫌悪」を抱く。
露女が来ると「女臭い」と部屋の窓を全部開け放ち、彼女の作った料理を食べずに他人にくれてやるなどし、しまいには、気が触れたふりや、自分は業病(らい病)を患っているなどと嘘を言って追い払うのであった。

私は、その裏に、妹トシへの賢治の恋慕があったのではなかろうかと思っている。
トシに比べて、露女は「肉感的」であり、禁欲的な賢治には「強すぎ」たのではなかろうか?
押しの強い露女に、賢治は辟易したのだろう。
※賢治は頑固なベジタリアンだった。「命あるものを食べて生きるなら、自分は命を投げ出してもよい」という強い思いがあった。父親の信仰する浄土真宗は「命を頂いて生きること」を肯定するので、賢治とは相容れないところがあったのだろう。彼の自己犠牲の精神は作品にも現れているし、それは彼が幼いころからずっと貫かれていた芯のようなものだ。

とはいえ、私は賢治とトシの間に「肉の関係」はなかったと信じたい。
そういう一線は越えない潔癖さを賢治は持ち合わせていたし、トシを汚すことはもとより賢治の本意ではなかったはずだ。
彼の童話や詩を読めばわかる。
彼は潔癖であればこそ、小さな命を愛で、虐げられた者へ手を差し伸べる、無償の愛があるのだ。
そしてわが国では、同性愛、殊(こと)に男色は清いのである。
国柱会に身も心も捧げたのも、賢治の清廉さがそうさせたのだろう。
耶蘇(キリスト教)にも、彼の思いがあった。

私は宮澤賢治の不思議な作品世界に、特別な思いを持っているものの、もし賢治がそばにいたら、それはそれで困ったものだと思うだろう。
あまり、お友達にはなりたくない存在である。
『銀河鉄道の夜』にはその片鱗がある。