今日は『石狩挽歌』を取り上げます。
北原ミレイの歌唱で、超がつくくらい有名な演歌ですね。
作詞が、なかにし礼であり、詞の良さでも比類ない。
曲は浜圭介です。八代亜紀の『舟歌』の作曲家でもあります。

ごめ(ウミネコのこと)が鳴くから ニシンがくると
赤いツッポ(筒袖)のやんしゅ(若い衆)が騒ぐ


この歌い出しで、荒々しい北の海と男たちの姿が聴く者の眼前に広がります。
行ったこともない北海のニシン漁の風景。

「ニシン御殿」が威容を誇り、カネが舞い、女が男に群がった。
ニシンが近くに来ると、それを目当てにウミネコが騒ぐのですね。
「やんしゅ」とは漁業の季節労働者で、必ずしも若いわけではないのですが、ニシンが豊漁のときは手が足りないから、若者があちこちから集まってくるのでしょう。
それはウミネコになぞらえらえる。
そのニシンがもう来ない…
あの饗宴はまぼろしだったのか?

あれからニシンはどこへいったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で
オンボロロー オンボロボロロー


「問い刺し網」は、浮きのついた刺し網らしい。
ニシン漁では定番の網なのでしょうか?
詳細は分からない。私は「鳥刺し網」だと、ずっと思っていたんです。

このように「石狩挽歌」には、私にはなじみのない単語がたくさん出てくるんです。
だから北海道の、蝦夷地の荒々しい情緒が、かもしだされるのでしょうが。
なかにし礼の緻密な取材による作詞であることがうかがえます。

「笠戸丸(かさとまる)」という船の名が出てくるのですが、聴いただけでは船の名だと気づかないかもしれない。
「かさ泊まる」(?)と私は思っていました。
それでも意味が分からないよね。
船の名だとして、それはニシン漁の漁船なのだろうか?

調べると「笠戸丸」は、元ブラジル移民船で、太平洋戦争で徴用され撃沈されたのですが、戦争前には、漁業に従事していたそうです。
戦前はニシンの加工船として漁業会社(主に日本水産)の船籍になって転々としていたらしく、この歌詞もその頃のことを歌っているのだろうと想像できます。
つまり漁業会社はニシンの卵「数の子」を内地に運搬するのに「笠戸丸」を使っていたのですね。
この高級食材こそ、ニシンを「御殿」に変える「金の卵」だったのです。

「朝里(あさり)の浜」は銭函(ぜにばこ)と小樽の間にある浜であり、なかにし礼の故郷なのでした。
彼がニシン漁について詳しいのは当然でしょうし、この血の通った歌詞は、なかにし氏でなければ書けないでしょう。
「ソーラン節」は、北海道の民謡として全国に知れ渡っているけれど、この歌こそ、ニシン漁の労働歌なのでした。
春を告げるニシンの産卵期、ウミネコは騒ぎ、海はニシンで銀色になり、オスは海が白くなるほど放精するらしい。
「おたもい岬」もそのあたりにある岬なのでしょう。
ニシン御殿が立ち並んだ岬らしく、その跡が残っているそうです。

変わらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの夢を見る


と、歌は静かに締めくくられます。

挽歌であるから、あの輝かしい思い出はもう「死んだ」のです。
「古代文字」はアイヌの文字でしょうか?
彼らは文字を持たなかったと聞いているのですが…


今、日本の漁業が危機に瀕しています。
サンマも、カツオも、マグロも、シャケも、イカもかつての豊漁に恵まれません。
災害と温暖化によるものか、乱獲によるものですかね…
いずれの原因もあるのでしょう。

石狩挽歌が、心にしみるのは、このご時世だからでしょうか?