あたしの住む宇治の偉人として「山宣(やません)」こと「山本宣治」がいる。

この人は代議士(衆議院議員)だったが、当時の治安維持法改正に反対し、衆議院で反対討論をする予定だったが、右翼の人間に刺殺された(享年39歳)。
この治安維持法改正法案は衆議院で討論無く強行採決され可決されたのである。
今、共謀罪の法案やテロ対策の法案が政府自民党によって強行採決され、山宣の時代を再演されているかのようだ。

山宣が生まれて今年で128年も経つ。
彼は京都市内の商家(雑貨屋か?)に生まれて、敬虔なクリスチャンとして育った。
そこそこお金持ちの家柄らしく、宇治への関係は、今も宇治川のほとりにある「花やしき浮舟園」という料理旅館が彼の経営(開業は彼の父)したものだということだ。
「花やしき浮舟園」は山本家の別荘であり、病弱だった学生時代の宣治のために両親が建てたものだと伝えられ、その後、旅館になったらしい。
大正時代の文人墨客の集う料亭だった。

山宣は、東大の理学部(動物学科)に進んだ理系人で、京大講師の職にありながら、のちの産児制限、性教育を広める活動を展開した画期的な人物としても知られる。

山宣の底辺の人々へのまなざしが政治活動につながったのは、早くから動物に愛情を持ち、生きとし生けるものの平等を強く思ったからにほかならない。
両親の教育のたまものだろう。

水平社や左翼思想家との交流は、山宣のそういった反骨精神に磨きをかけ、一層、軍国主義に傾斜する当時の日本政府に対したてつくことになる。

山宣の強い産児制限の考え方はマーガレット・サンガー女史との交流から始まったのではなかろうか?
望まぬ妊娠は女性の地位向上の妨げになり、日本の「家制度」の改革にまで彼の論調は広がる。
当然、保守層からは激しい反発を食らい、山宣を「破廉恥漢」呼ばわりする者さえ出てくる。
また、これもひどい話だが、山宣の死後、彼の墓は辱められ、彼の息子たちも理不尽な扱いを受けたそうです。

あたしは、山宣のこの急進的ともいえる反骨精神に敬服する者だ。
日本の民主主義の歴史を語る上で、山本宣治の業績をぜひとも見直していただきたい。
今の日本の政治に必要なものがきっと見つかるはずだからだ。

山宣は「手淫」を「オナニー」と言い換えた人物としても知られます。
「オナニー」衝動は健康な男子の証拠であり、なんら不健康ではないと説いたのです。