こういう面白い本を、灯台の書庫から引っ張り出してきた。
一つは、瀬戸内寂聴の『求愛』で、御年九十五にして愛の掌小説を著した。
数年前のものだが、私が買って「積ん読」のまま行方不明になっていたものが、出てきたってわけだ。

求愛・平賀元義

寂聴氏の愛の遍歴を彷彿させる、佳作が「これでもか」と連打される。
その数三十。
「この一年間、オレたちは一〇四二時間、一緒にいた。六三〇時間電話で話し、一二七回セックスし、キミが一三八回イき、オレが八七回イッた。…(以下略)」
万事こんな感じの短編集だ。九十五歳の尼さんだぜ。
もちろん、尻切れトンボな作品もあるし、「なんじゃこりゃ?」というのもある。
でも元気が出てくるね。こういうのを読むと。
「あたしも、生きてていいんだ。書いてていいんだ」って思えた。

もう一冊は『平賀元義歌集』。たぶん母が生前に買ったものかもしれない。
短歌や和歌の好きな人だったので。
この灯台の書庫には、私のゆかりの人が残した本もあるのだ。不思議な場所である。

しかし平賀元義って誰?
調べると、万葉調の和歌をよくした江戸時代の歌人で、本居宣長や賀茂真淵みたいな「国風ヲタク」であるらしい。

五番町石橋の上に わが麻羅を手草(たぐさ)にとりし吾妹子(わぎもこ)あはれ
(五番町の石橋の上で、おれのチンポを手に取ってさすっている愛しいお前は、かわいいなぁ)

これが代表作で、かつ、有名(笑)。
実はこの本を読んだ後、手元にあった正岡子規の『墨汁一滴』の中で平賀元義を激賞している一文を発見した。
「万葉以後一千年の久しき間に万葉の真価を認めて万葉を模倣し万葉調の歌を世に残したる者実に備前の歌人平賀元義一人のみ」と。

斎藤茂吉が編註しているのも、わかるような気がする。

私の灯台島「Joseph von Coe 島」はギルバート諸島の東の果てにある。
発見者の名前が付けられているが、この人がフンボルトの弟子だったこと以外は伝記が残っていない。
こんな南海の孤島で、本に出会えるとは、私の人生も捨てたもんじゃないナ。