「アビリーンの逆説」というお話が毎日新聞の7月6日朝刊『余録』に載っていた。
あたしは、初耳なんだけど、こういったことはとても身近であり、自身に心当たりさえある。

「アビリーンの逆説」とは「余録子」さんによるとこうだ。

夏の午後、退屈した家族の一人が「隣町に食事に行こう」と言い、そろって出かけた。だが暑さとほこりで道中も食事もさんざんだった。帰ると全員が口々にぼやいた。「みんなが行きたそうだから行ったが、私は本当は家にいたかった」


どうだろう?
いますよねぇ、こういう人。
あたしだって、いいオトナだから口にはしないけど、心の中で思ってたことはあるし…



アビリーンとは地名で、この話に出てくる「隣町」のことだそうだ。

だからか、アメリカなどでは集団でものごとを決める時にしばしば「われわれはアビリーンに向かっていまいか?」と注意喚起されるのだそうだ。

余録子さんは、先の英国の国民投票のことを指して「アビリーンの逆説」を持ちだしたのね。

日本ももうすぐ、国民投票で「改憲の是非」問われるはず(次の参院選では自公連立+維新で三分の二以上の議席を確保する見込み)なので、「アビリーンに向かわない」ようによくよく考えて国民も取り組まねばなりません。
※あたしは野党に入れたいが、今回は完敗すると予想してます。

それよりも、英国では、余録子さんもご指摘のように「(EU離脱の)言いだしっぺたちが次々に逃げ出す…」始末。
国民をウソの公約でミスリードしたリーダーたちが「目標は達成された」と言って責任ある立場から次々に退いて行く。
「後はよろしく」ってたってねぇ。

余録子さんは最後に、
「公約にウソや扇動はないか。結果に責任を負う情熱や判断力に欠けてはいないか。英国民のアビリーンへの旅も他山の石とすべきわが参議院選挙である」
と締めくくっておられます。