森田検索が「横山さんって、なんで横山なんですか?本名は〇〇なのに」と不躾にも訊いてきたので、
「横山エンタツ師匠にあやかってんの」と答えてやった。
本当はエンタツ師匠じゃなくって、「横山やすし」のつもりだったけれど。
「やすし」は「エンタツ」の直弟子の「ノック」弟子になるそうだ。
「やすし」には年上なのに弟弟子の「プリン」がいる。
「やすし」の弟子は「横山たかし、ひろし」となるようだ。

横山エンタツは花菱アチャコとのコンビで戦前の漫才界を切り開いた偉人だ。
現在のしゃべくり漫才の元祖が「エンタツ・アチャコ」だったのである。
色黒で背が高かったので「煙突(えんとつ)」とあだ名されたのが、関西訛りなのか「エンタツ」と発音され、それが芸名に定着したと伝わっている。
関西人ならエンタツ師匠の息子に「花紀京(はなききょう)」という吉本新喜劇の名優がいたことを知っているはずだ。
エンタツの二代目にふさわしく、彼のギャグ、芸風は吉本新喜劇の黄金期を築いた。

横山尚子とは、そういう由来のペンネームである。
「尚子」についても、当ブログでいろいろエピソードが述べられているがいずれも思いつきであり、根拠はない。
ただ、私の親しい友人に「なおぼん」と呼ばれていた「尚子」さんがいるので借用したことは本人には内緒である。

歴史的な背景の物語を創作するする場合、「横山尚子」は「横山子爵の令嬢」という優遇された立場で、当時の軍部や研究機関に、女だてらに認められているという風にさせてもらっている。
もちろん「横山子爵」というのは、いるかもしれないがそれは偶然であり、私とは何の関係もない。

じゃあ父の実家の「高安家」はどうだ?
これはね、私が小学校に入学したときに集団登校の班長さんの背の高い六年生のお兄さんが「高安君」と呼ばれていて、私のあこがれの、おそらく初恋の人からいただいた苗字なんだね。
彼は六年生だったから、その一年しか一緒に登校していないので、すぐに中学生になってしまって別れ別れになってしまった淡い思い出があります。
だから苗字の「高安(たかやす)」しか知らない。

私の生い立ち、つまり父方の故郷の交野市では知る人ぞ知るので、実名は出せない。
仮名でならば、思い出を細かく描写できるので、そうしている。
ゆえに「高安」での思い出はほぼ事実を詳細に記述しています。

従弟の「浩ちゃん」のことも。

私は門真で育ってきたけれど、浩ちゃんはずっと交野市で育った。
夏休みとお正月に私が交野市に泊まりに行って、いろいろと遊んだわけだ。
お餅つきや、裏山の探検、エッチな遊び…

横山尚子はいい具合に育ってくれた。
もう私の分身と言ってもいい。
ほんとうの「なおぼん」は、しとやかで、童話の世界に住んでいるような女性であるけれど、ここでの「なおぼんR」は奔放で、厚顔無恥な女である。
本人に知られないことを祈っている。

「じゃあ、ほんとのあんたは、何者?」と、森田。
「それは、言えない。あんただって、素性が知れたら役所に困るでしょうが」
そう、彼は宇治市役所の役人なのだった。