NHK大河ドラマ『いだてん』は、いよいよ後半部にバトンタッチされ、東京五輪への道筋が語られます。
そのつなぎとして、太平洋戦争に突入する前の昭和初期に彗星のごとく女性ランナーが登場します。
「人見絹江」です。
失礼ながら金栗四三よりも有名ですものね。
なぜなら、
①日本人女性で初めてオリンピックに出場した
②その初出場の大会で見事に銀メダルに輝いた
以上です。
岡山県出身で、女性ながら体格に恵まれ「六尺さん」とバカにされることもあった彼女が、そんな中傷をはねのけて、走り幅跳び、三段跳びに、短距離走(50および100メートル)にいそしみ、果ては投擲種目にも挑戦するという「陸上女子」になったのです。
数々の女性初の記録を叩き出し、1928年アムステルダムオリンピックに出場した。
そのときの人見さんを女優でダンサーの菅原小春さんが好演しました。
彼女の走る姿も堂に入っていて、私は最初、女優さんじゃなくって、本当の陸上選手を起用したのかと思いました。
ダンサーですから、体も柔らかく、姿勢がいいんですね。
そしてフォームをまねるのが上手なのも、ダンサーならではなのでしょう。
でもそれだけではない。
人見絹江がたった一人の日本人女性選手としてアムステルダムに赴くことの重圧を、菅原さんは懸命に演じます。
内気で、内面は古い日本人女性、大和なでしこなんですよ。
そんな彼女が国内で次々に、男顔負けの記録を叩き出す。
すると賞賛どころか、「化け物」呼ばわりされる始末。
その誹謗や奇異の目にさらされる人見さんの苦悩を菅原さんは体当たりで演じる。
その圧巻が、アムステルダム100メートル走の予選敗退のシーンです。
彼女は実は走り幅跳びや三段跳びの選手だったし、それなら自信があった。
アムステルダム大会でやっと女性に競技参加の門戸が開かれたのでした。
ところが女子の陸上競技に三段跳びと走り幅跳びはなかった。
やむなく、人見さんは100メートル走にエントリーするんですね。
もちろん、短距離走も実績を積んでいましたから、日本人女性初のメダル獲得なるかと期待を一身に受けての出場でした。
結果は予選敗退でした。
悲嘆に暮れる人見さん、そして男子選手団の面々。
実は男子も結果が散々でした。
「このまま、私は生きて日本に帰ることはできません」
「このままでは、せっかく女子の体育向上への期待が潰えてしまう」
菅原さん扮する人見さんが涙ながらに、監督に訴えます。
ここ、すごいです。感動します。

そして、あろうことか、
「女子800メートル走にエントリーさせてください」と懇願するのでした。
短距離の選手が、走ったこともない800メートルに出走して、結果を出せるわけがない。
男子選手や監督もその申し出を一蹴します。
「でも、わたしはこのままでは帰れません。男性は帰るところがあるでしょうが、わたしにはない!」
絶叫に近い、人見絹江の訴えに、監督も息をのみます。

ここまで人見絹江に言わせたのは、二階堂トクヨ(のちの日本女子体育大学の創始者)の力が大きく働いています。
寺島しのぶ扮する二階堂は、人見の人並みならぬ体格と努力家であることに早くから注目し、彼女こそ、日本の女子を代表するアスリートになるべき人材だと見抜いていました。
そして、オリンピック選手に育て上げたのです。
二階堂は、ともすれば周囲の心無い誹謗に負けそうになっている人見絹江を激励し、「あなたならできる、あなたにしか、未来の女性の体育向上を託せる人材はいない」とまで言うのです。
それが重圧にもなり、また、新たな挑戦に人見絹江を立ち向かわせることになりました。
「どうか、わたしを800メートルに出させてください」
監督も男子選手陣も、人見絹江の熱意に心打たれます。
「そうだ、やってみよう。やってやれないことはない」
男子の長距離組選手が、人見絹江に中距離走の要諦を伝授します。
すでに一流の選手だった人見絹江でしたから、呑み込みは早い。
でも時間はありません。すぐに800メートル決勝です。

ライバルは、ドイツのリナ・ラトケ、その人に絞ります。
「最初から飛ばすな」「体力を温存しろ」「脚が重くなったら手を大きく振れ」
男子選手たちから応援を受けながら、人見は好位置につけます。
やはり、だんだん疲れが出てきて、ラトケとの差が開いてくる。
三位の選手も追ってくる。
「手を振れぇ!」
その声が届いたのか、人見は大きく腕をふり、ストライドを稼ぐ走りに転じます。
ラトケとの差は縮まりつつありました。
ゴール前のストレート、デッドヒートになるかというところで、人見の意識が遠のくのです。
危機一髪で棄権をまぬかれ、ラトケに次ぐ二位で銀メダルに輝いたのでした。
この快挙をだれが予想したでしょうか?
人見さんが、命を賭して打って出た800メートル。
恩師二階堂トクヨだって、予想しなかった。

その快挙にもかかわらず、日本での女性の地位向上は遅々として進まず、日本は戦争への道をひた走るのでした。
そして人見絹江さんは、帰国後も数々の大会に出場し、後進を引っ張って女子陸上の礎(いしづえ)を築きます。
新聞記者を務めながら、女子陸上への寄付金を募る活動も自らおこない、そのお礼に各地を巡る生活が続いて、ついに心労で病に倒れてしまい、24歳の若さで亡くなってしまいます。

菅原小春さんの演技が光った一話でした。