昨日、イチロー選手の引退会見がありました。
どこのニュースもこの会見でもちきりだったようです。
平成になって彼がプロ野球の世界に入り、オリックス・バファローズで阪神淡路大震災を経験し、「がんばろう神戸」を旗印に仰木監督を胴上げしたあの日を、私は思い起こします。
「鈴木一朗」という、失礼ながら何の変哲もない普通の名前の選手が、つぎつぎに記録を打ち立て、もちまえの足の速さで内野安打を量産しました。
CMはもちろん、古畑任三郎のドラマにも出たりして、豊かな才能を見せてくれました。
私は、彼の活躍を見るにつけ「この人、野球アンドロイドではないだろうか?」と思った時もあったのです。
どこかロボットのようで、人間臭さがないような…
しかし昨日の記者会見で、彼の、とても人間味あふれる話しぶりを見られてよかったと思います。
奥様の「内助の功(この言い方、好きではないですが)」も彼を支えたと新聞にはありました。
二千個以上のおむすびをイチロー選手のために握ってきたとか。
まあ、どこのお母さんも、息子や娘のお弁当に、それくらい握ってるかもですけどね。

イチローが最後の方で言った「外国人になってはじめて人の気持ちをわかるようになった」という言葉を、とても重く私は受け止めました。
アメリカに単身、乗り込んで、メジャーの洗礼を受けた者だけが知る、日本人への差別。
それを跳ね返す活躍をして初めて認められる苦しみ。
イチローはアメリカにわたって好きな野球ができることよりも、苦しみのほうが大きかったようです。
順風満帆に見えた「アンドロイド」でも実はプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのでしょう。
つまり「アンドロイド」などでは決してない、「人間イチロー」にほかならない。
彼は若い人に言います。
「やってみたいと思ったら、やってみることだ。その結果がどうであれ、自分がやりたいことだったら受け入れられるはずだから」と。
世の中、ぜったい成功するという保証は何もない。
だからといって挑戦しないのはもったいない。
「せっかく生を受けた君は、なにもしないで眺めているだけかい?」
そのように言われているような気がしました。
そう言えば、私も挑戦したなぁ…結果惨敗でしたがね。
勝てない自分に嫌気がさしたこともあったっけ。
それを「努力が足りないからだ」と自分を追い詰めていったこともあった。
イチローは意外にも「人より頑張れない自分」と自身を評しています。
「みんなよく頑張れるなぁ、ぼくには無理だ」というのです。イチローが。
皮肉でも何でもない、彼の本心だと思うのです。

もうひとつ思ったことは、彼の名前です。
さっきも書いたように、普通の名前です。
今、イチローなんて名前、つけないですよね。
私も「小沢一郎」くらいしか思い浮かばない。
それでも世界一になれる。
名前負けなんて考えてもいない。
つまりね、キラキラネームをつける親たちに言いたい。
子を思う気持ちはわかるが、他人が読めない名前はよしたほうがいい。
そんな立派(?)な名前で、普通の人にしかなれなかったら、その子がかわいそうだ。
それよりも誰にもなじみやすい、ありふれた名前の人が、こんな「すごい人」として歴史に名を刻んだら、それこそ「してやったり」と思いませんか?
ただ「一郎」ではなく「一朗」というところに親御さんのこだわりが見えます。
いい名前だと、私は思います。

私ね、イチローが今回日本で大リーグの開幕戦をすると聞いてね、もしかしたら「引退?」と思ったんですよ。
それはね、かれのヘルメットを取ったごま塩頭を見た時に、思ったというか感じた。
「ああ、年取ったな。イチロー」
案の定、巨人との親善試合でも打てなかった。守備はさすがだったけれど。
自分への「ギフト」だと言った、意味が会見で明らかになります。
昨年、彼はマリナーズの裏方に回った。
若いチームメイトの補佐、練習相手に徹したんですね。
それはある意味、イチローにしかできないことだと、彼自身もそれを誇りに思うと言っていましたね。
そしてそのまま静かに選手生命を終えるのかな…と。
ところがマリナーズのトップは彼にもういちど舞台に立たせたかったのだと思う。
有終の美を飾るには、メジャーの開幕を彼の祖国「日本」で、日本のファンの前でやらせてあげたいと。
それくらいの人なんですよイチローは。
人知れず消えていくなんて、イチローには味わわせたくない。
たしかにもう、彼の限界だったのです。
ファンの期待に応えられないこともよくわかっていた。
ならば、あの日をおいてほかにないじゃないですか。

ありがとう、イチローサン。