曇りの日に、星空を眺めることはできないけれど、星座早見で雲の上の夜空を想像することができる。
星の光は、天に開いた穴だという人がいたが、たいていの人は、星々が私たちの太陽の仲間だということを学校で習って知っている。
あるいは知った気持ちになっている。
ほんとうにそうか?
私に答える術(すべ)はない。受け売りの解説ならできもしよう。
「何光年」という途方もない、光でさえ何年、何万年もかかるというところから星の光は私たちの目に届くのだという「話」でよければしよう。

私たちが身の回りで、たとえば懐中電灯を点(とも)した場合、光の到達どころか、スイッチを入れれば光は時間を感じさせずにそこいらを照らしてくれる。
そんな光に「遅い」だの「速い」だの、言うこと自体が常軌を逸していると思わないか?

しかし、私は科学者の末席を汚す者だ。
光りに速度があって、絶対不変(もちろん媒質によって遅くなることはある)の定数であることを信じこんでいる。

科学の理屈として、そう考えるしか仕方がないというものが多いのだ。
万有引力だってそうだろう?
リンゴが落ちるから、地球がリンゴを引っ張っている(もちろんリンゴも地球を引っ張っている)という話は、疑いをさしはさむ余地がないのだろうか?
疑ってみるとよい。いや、疑うべきだ。

時間は物理量ではないという議論がある。
時間は尺度でしかない。
いったい「物理量」ってなんだというのだ?
時間が尺度でしかないのなら、物の長さもそうだろう。
空間が歪めば、時間も寸法もあやふやになってしまうのだ。
しかし、質量は違うという。
質量が時間を遅くしたり、物の長さを長くしたりするのだと。
質量こそ絶対で、アインシュタインによれば質量はエネルギーそのものだということになるのだった。

質量に光速(比例定数)を掛けたものがエネルギーだからだ。

またも「光速」だ。
ほんとうに光には速度があるのだろうか?
精密な実験によってそのことは実証されているはずである。
太陽の光を私たちは感じているが、それは数分も前の太陽の光なのである。

氷砂糖が水に溶けて、見えなくなるという事実は、どう説明すればいい?
重さは変っていないから、消えてなくなったわけではない。ただ消えただけだ。
なぜ見えなくなったのだろうか?
水も砂糖も分子と言う単位でできていると説明される。
水分子は、砂糖分子とくっつく性質がある。つまり引っ張り合うのだ。
氷砂糖の表面には砂糖の分子がびっしりと隙間なく並んでいる。
そこに水分子が引き寄せられて、激しく当たる。
そのエネルギーは室温などの熱エネルギーである。
水分子は室温の熱で、激しく運動しているのだと説明される。
その水分子が、砂糖分子に当たってくっつき、氷砂糖の塊から引っ張り出すのだ。
そして砂糖分子の周囲には水分子が取り巻いて、「お神輿わっしょい」のごとく担ぎ出して、氷砂糖から引き離してしまう。
どんどん水分子が氷砂糖を崩していって、砂糖分子を離れ離れに持ち去っていくのだ。
ついには、砂糖水となって、どの部分を取り出しても砂糖の濃度は同じ程度に均一になってしまう。
これを「平衡」というのだと説明される。
見てきたようなことを書いたが、本当にそうだろうか?

熱力学ではエントロピーという目に見えない概念でこのことが説明されるのだが、詭弁のようにも感じられる。
それを言っちゃあ、おしまいなのだけれど。

私のような、いい加減な「科学者」ほど、本当のことを理解していないし、まだ疑っている。
皆さんは、私の言うことなど信じてはいけない。
それだけは確かだ。