この人類永遠の疑問に答えることは、実は簡単なことではない。
①青く見えているのは私たち人類だけかもしれない
②太陽の光うち大気層のレイリー散乱によって波長の短い青色が私たちの目に届くからだろう
思考実験していくと、この二つの推論にたいていの科学者は到達する。

太陽光は「白色」とされている。
光の三原色(赤・青・黄)がすべて混ざった光は白色光になるということは簡単な実験で証明できる。
ちなみに絵の具などの「反射光」の三原色は混ざると灰色に近い色になる。
美術系の専門家ならご存じだろう。

①の推論は、医学的な「主観」の問題で、つい最近、唱えられたものだ。
科学的な考え方は常に、主観と客観との闘いであるという好例である。
「空が青い、青いと皆さんおっしゃるが、本当にそうですか?」という誰もが考え付かなかった視点からの疑問である。

物が見えるということは、我々の網膜で起こっている「光電作用」とでも言うべき光の粒子が視覚の刺激となって電気信号に変えて脳に送って、「青い」と感じさせているのだろうという推論である。
そして入力は「青い光」つまり「波長の短い光」である必要があった。

そう考えると、①の推論は、青い光が前提としてすでに存在して後のことを論じるのであって、空が青く見えることの本質的な解答ににはならないように思える。

空というものはその星の大気であると言い換えることも可能だ。
空は大気を大地から、つまり下から見た状態を言うのだ。

惑星はおおむね球体であり、その周囲を均一な厚みで大気の層が包んでおり、星の成因によって大気の厚みや成分はそれぞれの星に固有のものになるだろう。
また重力と自転遠心力によって、大気層の成分、濃さは高度分布が異なるはずだ。
もちろん気象現象とコリオリの力によっても地表近くの大気の運動が様々に異なっている。
大気が流体であるという証拠である。

そんな様々な大気の性質をひっくるめても、だれの目にも空は青く見えるのである。
大気がまったくの透明ならば、青く見えないのだろうか?
ここで「透明」という状態を改めて考えてみたい。
ガラスや水はふつう、透明に見える。
ところが、ガラスを何枚も重ねて物を見るとだんだん緑がかって、しまいにはまったく透けてみえなくなってしまう。
水もどうだろう?
コップに注いだ水は、だれもが透明だと答えるだろう。
しかし、池や海の水はかなり透明度が悪い。
透明度が高くて有名な北海道の摩周湖でさえ、湖底をのぞけば空気中よりも透明ではない(透明度はセッキ板を用いて約21メートルである)。

なぜそうなるかというと、水にも大気にも分子が存在するからである。
真空なら光を散乱させたりすることはないはずで、太陽の白色光がそのまま目に届くはずだ。
月面の空をテレビでご覧になったことがあるだろう?真っ暗だ。
水は大気よりも密度が高いので、水分子がかなりぎゅうぎゅう詰めになっている。
ガラスやアクリル板なども、ケイ酸やポリメタクリル酸メチルの大きな分子が詰まっている。
それでも可視光を透過するのはまだまだすき間が多いからだ。
とはいえ、水もガラスも層が厚くなると、すき間が重なり合って塞がっていき、波長の短い青い光だけが散乱して目に届くから青みを帯びた色になるらしい。
長い波長の赤色などは分子に当たってエネルギーが吸収され減衰してしまうのだそうだ。

大気は水やガラスほど密度がないから、赤い色もけっこう透過してくる。
太陽が白色に見えるのは青色以外もちゃんと目に到達していることを示している。
ただ波長の短い青色だけは、大気の分子(多くは窒素と酸素の分子)に跳ね返されて散乱してしまう。
厚い大気の層を、青色だけが大気層を直進せずに散乱を繰り返しながら我々の目に届いているのだった。
ゆえに太陽の周りの空は青く見えるのである。
これがレイリー散乱の説明である。

分子レベルで光が散乱してしまうのは、その光の波長に由来するのだった。

すると夕焼けが赤く見えるのは、赤色の長い波長よりも大きな散乱体(塵など)が起こすチンダル現象か、見かけの密度が高くなるように大気層の厚い部分を光が透過する(つまり低い位置からの入射、夕方または明け方)場合、短い波長の光はもはや目に届かず、残った赤い光の散乱が届くようになるのである。
※チンダル現象は「ミー散乱」で説明できる。粒子の大きい散乱はミー散乱、粒子の小さい散乱はレイリー散乱とざっくり分けてもらってかまわない。雲が白く見えることを「ミー散乱」であると説明されるのは、水滴や氷の粒子が十分に大きいから太陽光の白色光の、どの光の成分も均一に散乱を起こして私たちの目に届くからである。いわゆる「乱反射」のことである。



合唱の名曲「空がこんなに青いとは」をお送りします。