擬宝珠(ぎぼし)は京都では橋の欄干などによく見られ、子供でもその名前を知っています。
一説に、形の似ている「ネギ坊主」から「ぎぼし」になったとか。
ただ「擬宝珠」と書くからには、正真の「宝珠」があるわけです。
「宝珠(ほうじゅ)」に似せた物ということで「擬宝珠」と書くというのが仏教界の説ですので、決してネギ坊主が語源ではないということらしい。

「宝珠」は仏塔のてっぺんとか、そうね、双眼鏡で見ないとわからないけれど五重塔の「九輪(くりん)」の先っちょにあるのがそうです。
「擬宝珠」の先だけの、スライム君みたいな形をしています。
宝珠はありがたい珠であり、吉兆であり、正月の縁起物の「宝船」にもいくつか乗っかってます。

で、「擬宝珠」なんですが、あれが橋の欄干などに据えらえているのは、実は丸太棒の切り口そのままだと雨水が入って腐ったり、割れてきたりするから、青銅や銅でできた被せものをしたかったわけ。
でもそのまま蓋をするのでは芸がないし、美しくないから「擬宝珠」型にしてみたら、受けが良かったってことですかな?
橋にはいろいろ、言われがあり、結界であったり、水害で壊れないように願ったり、出会いの場所だったり、軍事的にも要衝だったりするわけで、魔除けやら願掛けで縁起のよさげなものが欲しいのよ。
欄干を赤くベンガラや丹(に)で塗るのも腐食止めもあるけれど、魔除けの意味もあるのね。

私は、しかし「擬宝珠」の形に、なにやら淫靡なものを感じるのです。
そういう説はないのだけれど、あれって「男根」に似てませんかね?
各地に「生殖器崇拝」のご神体として「陽石(ようせき)」なる、自然にできた「男根」のような石を祀る風習があります。
「金精様(こんせいさま)」なんて言ったりして、自然石のみならず、漆塗りの「おおまら」まであるようだ。
女どもは、良い子が授かりますようにと、それらご神体にすりよったり、またいで、こすりつけたりのやりたい放題。

だから「擬宝珠」だって、そうじゃないの?
あの「くびれ」具合が、なんともそそりますでしょう?
京都では「カリ高」が多いのですが、「鎌倉式擬宝珠」は柱の径より「宝珠」が小さめで、どこか貧弱に感じます。
五条大橋の上で「さすが都(みやこ)だべ」と坂東武士が言ったとか、言わなかったとか。

私がそう思うには、もう一つ根拠があります。
電気部品の「圧着端子」です。
あれの「雄型」が「ぎぼし」と呼ばれています。
形が「擬宝珠」型だからなんだけど、そのくびれは「雌型」から抜けないようにするためです。
まさにペニスの用法そのものじゃないですか。
それが「ぎぼし」だなんて…みんな考えることは一緒だなぁ。
イヤホンのジャックとか、そういえば「擬宝珠」型になってんじゃん。

カリ高の男性は、女の子に引っ掛けて楽しむんだよね。
女の子もそれが気持ちいいから、カリ高が好きなんだよ。
失礼しました。
3000回以降も、こういうノリでいきまっせ。