雨に煙る里の風景は、一幅の水墨画に似て、静寂を切り取ったようだ。
磨かれた縁側は黒く沈んで、あたしの足をぼんやり映していた。

郭公が筒を叩くような声を響かせ、静寂を破る。
「静中之動」と墨書する。
躍動感が足りない。
静謐(せいひつ)を破る「動」の勢いが足りない。

墨の香がほのかに鼻をくすぐり、湿気を帯びた山の空気と混ざっていく。

文鎮をのけ、たった今書いた書をわきにずらす。
良安(りょうあん)禅師の魚板を叩く音がした。

昼食(ちゅうじき)の時間らしい。

昨夜、禅師と「蒟蒻問答」の話をした。
あたしが、上方で修行していた折、落語の師匠についていたことがあったのを、ほのめかしたら、そういう話になった。
禅師が冷酒をすすりながら、マグロの刺身なんぞをつついているのを見て、あたしが「般若湯に赤豆腐ですか」と戯れの言葉をかけた。
あたしが利休鼠(りきゅうねずみ)の法衣を新調したので、試しに袖を通していたら、「ときに尚子(しょうし)殿は蒟蒻問答をご存知か?」と禅師が訊くではないか。
あたしは禅師の前で肌を見せないように、そそくさと法衣をととのえた。
「ええ、まあ」
「あれは、なかなかおもしろい」
あまりお笑いにならない禅師が、にっこりとされた。

「こんにゃくもんどう」とはだいたい次のようなお話である。
ある若い男が江戸で身を持ち崩して、旅の空で行き倒れになる。
その男がこんにゃく屋の主人に助けられて、なんとか一命をとりとめた。
男は行く当てもなく、主人に仕事を紹介してもらう。
この何もとりえのない怠け者の男に、村の鎮守の寺で和尚のいない荒れ寺があるというので、そこの和尚に収まれと勧めた。
坊主になれば、檀家の法事に呼ばれて適当にお経を唱えさえすれば、お酒や食い物にありつけると吹聴するので、男も乗り気でニセ坊主になるわけ。
ところが、そうは甘くない。
法事など頻繁にあるわけもなく、すぐにひもじい暮らしになってしまう。
そこへ、旅の禅僧が尋ねてくる。
問答の試合を申し込まれ、男は自分が住職なのに、恐れをなして「住職は不在でして」と嘘で取り繕う。
禅僧は「待たせていただく」と帰る様子はない。
「これは大変なことになったぞ」
禅問答の試合に負けると、寺を追い出されることになるからだ。
困り果てた男は、こんにゃく屋に駆け込み、ことの次第を打ち明けて、こんにゃく屋主人が住職として受けて立つことになった。
にわか僧体となった主人は、客人のいる本堂に坐した。
「そちらが和尚殿か?」「いかにも」「では問答を受けていただく」
こうして息の詰まるような「問答」が始まる…
端で聞いていてもなんのことやらさっぱりわからない。
こんにゃく屋主人のニセ和尚は、終始無言だ。
「貴殿は無言の行の最中(さなか)とお見受けいたす。しからば拙者も」と手で小さな輪を作り、前に差し出す。
こんにゃく屋はそれを見て、少し大きめの輪を作って返す。
旅の僧はうやうやしく引き下がり、今度は両手を広げる。
こんにゃく屋は片手で五本と示し。
旅の僧は、今度は指を三本立てて示す。
するとこんにゃく屋は、なんと「あっかんべー」をした。
旅の僧は、平身低頭して「参りました」と引き下がり、「拙僧の未熟さを思い知りました」と帰っていきました。

一部始終を陰で見ていた男は、旅の僧を追いかけて、「なんで降参しちまったんです?」
「いやぁ、お恥ずかしい。大和尚はすべて完璧にお答えになった。最初の小さい丸は「天地の間は?」の問いであり、大和尚は大きな丸で「大海のごとし」とお答えになった。次に両手を広げて「十法世界は」と問うと、大和尚は五本指を立てて「五戒を保つ」と示された。そして最後に三本指で「三尊の弥陀は」と問うと、大和尚は「目の下にあり」とアカンベーをされた。いやはや恐れ入りました」
そういって、恥じ入るように禅僧は消えていったのだった。
男が寺に帰って、こんにゃく屋に「すごいですな。みんな正解だったと舌を巻いていましたぜ」と報告すると、
「なんの、ありゃニセ坊主よ。おれがこんにゃく屋だってことを見抜いて、値切ってきやがったんだ。はじめは「おまえのこんにゃくは小さい」と言ってきやがったから「これくらい大きいわい」と返したんだ。十(とお)でいくらだって言うから、五百だって言ってやったら、やっこさん、三百に負けろってんだ。いやだから「あっかんべ」ってしてやった」

ま、そういうお話。

雨はあがったみたいだ。
日も射してきた。
暑くなるだろう。
セミの声も聞こえだし、にわかに山はにぎやかになる。

「お~い、尚子殿、早う昼食(ちゅうじき)にせぇ!」
そうだった、あたしはあたふたと書院からはじけ飛んでいった。