右脳と左脳という脳科学の分類があるが、これを人間の性格にまで拡張するのは根拠がないらしい。
横山尚子も以前に「ヒトデ」の話題で書いていたことがあった。

たとえば「右脳人間」だとか「左脳人間」などというステレオタイプ(紋切り型)の見方だ。
左脳は「論理」、右脳は「情緒」などという分け方もそうだろう。
はたまた女性は「右脳派」であり、男性の多くは「左脳派」だとまで言われてしまう。
性差は脳の半球で決まるものではないし、性格もそうだ。
なぜなら、だれでも右脳と左脳を均等に使っているからだ。
Jeffrey S. Anderson et al." An Evaluation of the Left-Brain vs. Right-Brain Hypothesis with Resting State Functional Connectivity Magnetic Resonance Imaging"
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0071275

しかし解剖学的に脳が右脳と左脳の半球に分かれていて間に脳梁でつながっていることも事実だ。
「脳機能局在論」では脳のあらゆる場所の地図が明らかになっている(ブロードマンの脳地図)。
これらは外科的に実証された貴重なものだ。

この脳が左右に分かれているのは、一般に「補償」のためだと言われる。
不幸にして左右のいずれかが損傷した場合に生命を守るために残った半球でこれまで通りに近い状態にやってのけることができるのである。
つまり「保険」だ。
そして脳科学では約9割のヒトにおいて左脳が言語、右脳が視覚をつかさどっていることがわかっている。
それは左脳を損傷した患者が失語症になってしまったり、右脳を損傷した患者が幻覚を見てしまったりする症例からわかった。
しかし、ごく一部に左右が逆転していたり、手の右利き、左利きで言語野が右半球(俗に右脳)に存在することも知られている。

つまり右脳と左脳とでは、する仕事が異なり、分担しているが、いざ片方が壊れた場合に、不自由ながらもその代わりを買って出るだけの能力を秘めているのだ。
苦しいリハビリの末、元の能力を取り戻した患者も多い(脳の可塑性)。

決して右脳人間、左脳人間がいるわけではないのだ。
人の性格や性差はもっと脳の深いところで産みだされる。
環境や、生来のものもあるだろう。
つまりまだわかっていないのだ。
ただ脳の左右で絶望的になることはないということは確かであり、だれでも努力すればそこそこの結果を出せるのである。
諦めてはいけない。

そういうことよりも、脳を使わない現代社会の環境が人を危なくさせていることに注意を向けるべきだろう。
「ゲーム脳」や「スマホ脳」だ。
論理的に物事が考えられず、短気になったり、片づけられなかったり、料理ができなかったり、会話ができないなんていう悩みが普通に生じている。
コミュニケーション障害やゴミ屋敷問題は脳の問題だとされているくらいだ。
そうすると、浪費したり、我慢ができなかったりして社会的な問題を抱え込むことになる。
簡単に物が買えるネット社会では浪費に拍車がかかり、買ったもので溢れ、そのままゴミ屋敷になってしまうのだそうだ。
買ったものは、かたっぱしから忘れて、二度買いしたり、冷蔵庫が賞味期限切れ食品で溢れかえってしまっている。
これはもう病気である。
歩きスマホや大音量でiPodを聞き続け、聴力障害を起こし、果ては後ろから近づく窃盗犯にカバンをひったくられたり、最悪、車にはねられて命を落とすことにもなる。
夜遅くまでスマホが離せない生活が安眠を妨害し、脳をむしばむことも取りざたされている。
若くして認知症のような障害を訴える人が増えているのも、そのような生活態度のせいだろう。

IT機器を使うなとは言わないし、今の時代、使わないと生活できないだろう。
ならば、受け身の使い方ではなく、アグレッシブに使ってほしい。
たとえば、検索だけで満足するのではなく、自分でしっかり文章を編み、調べて自説を補強し、反論に備えるなどの努力をしてブログで発表するなどである。
ゲームも思考系の対戦型の将棋や囲碁、チェスなどをスマホですればよい。
歩きながらできないゲームだ。
本気で将棋をやると、おそらくあなたの歩みは止まり、どこかに座ってじっくり考えることになるだろう。
簡単に射幸心をあおるような、そんな安っぽい達成感で満足しないゲームがよい。
加藤一二三さんの、御年77歳で、あの記憶力とアドリブの絶妙さに舌を巻いた人も多かろう。
棋士という、特殊な職業は頭をやわらかくするようだ。
歳は関係ないのだ。
多少、空気の読めないところがあるみたいだが…それはご愛嬌だ。
(彼がアスペルガー症候群だという説があるが根拠がない。アスペルガーの人にも加藤氏にも失礼な話だ)

「ながら」が悪いわけではない。
ランニングなどのフィールド系スポーツには「音楽を聴きながら」やると成果が上がるらしい。
「聴きながら」は昔からやられており、作業能率向上にBGMがよく知られている。
家事などでもラジオを聴きながらするのがよろしい。
しかし「テレビを見ながら」はいけない。
「歩きスマホ」と同じで「視覚」を妨げるからだ。
さっき「脳の左右」には視覚と言語(聴覚)の仕事が振り分けられていると書いた。
まさにそのことなのだ。
作業は「視覚」、ながらは「聴覚」という絶妙なバランスが脳を快適にし、そのまま脳トレになっている。

そして、「紙の本」を読めとも言われる。
Kindleでいいじゃないかと思うが、やはり違うらしい。
頭の使い方が違うのだろうか?
根拠がわからないが、私の経験からも紙の本のほうが頭に残りやすいのだ。
「頭がしんど」がるようなものをめんどくさがらずにやるのが、「脳トレ」の近道なのかもしれない。