私の「科学の蔵(くら)」に収まっている、宝石にもたとえらえれる公式を愛でて見ます。
アインシュタインの導いた「E=mc²」です。
ここでEはエネルギー、mは質量、cは真空中の光速(定数)です。
エネルギーと質量は同じものだということをこの等式は示しています。
まさに「ダイヤモンド」になぞらえられる式です。

この式を味わうためには、慣性系(ガリレオ系)における、慣性の法則(ニュートンの力学第一法則)と運動の法則(ニュートンの力学第二法則)を知っている必要があります。
このような力学(質点の力学)は、同じ時期にデカルトも記述していました。
※「質点(しつてん)」とは質量だけがあり、面積や体積を概念しない「点」を要素とする理論力学です。体積のある固体は質点の集まりと考えるのです。

そして、ニュートンの『プリンキピア』にある「ガリレオの相対性理論」を念頭に置いてから、アインシュタインの「特殊相対性理論」に至って初めてこの等式のすばらしさが理解されようというものです。

慣性の法則は「運動している物体が止まるときに、その物体がまだ運動を続けようとする性質を慣性」といい、その反対に「止まっている物体が動き出すときに、その物体が止まっていようとする性質をも慣性」というような内容です。
特に運動している物体は、慣性の法則によって「等速直線運動を続ける」という結論に達します。
実際は摩擦力や空気抵抗力、重力などの外力による等速直線運動を妨げる力によって物体は、曲がったり、いずれは止まってしまうのですが、仮想空間では慣性の法則による運動物体は永遠に直線の運動状態を続けるのでした。
ところが、私たちは電車などの運動している物体の中に乗って移動している時に、電車が止まると進行方向に前のめりになって、場合によっては倒れてしまいます。
これを厳密に観察すると、電車の座標系と、乗客の座標系が異なるのではないかということになります。

ガリレオ系では、これを「電車の慣性系」と「乗客の慣性系」の二つが存在しているといいます。
そして走っている電車の慣性系がと乗客の慣性系が一致しているときは両者の運動も一致しています。
しかし、いったん、電車の慣性系が止まっても、乗客の慣性系は同時には止まらないことは私たちが経験しています。
質点の力学では慣性系の座標系が同じであることが前提で議論されましたから、この電車の状況のように、慣性系の座標系がそれぞれ独立しているとき、電車から見て乗客、乗客から見て電車という「相対性」がある見かたをガリレオの相対性原理というのです。
両方の慣性系の変換を「ガリレオ変換」といいます。
この相対的な慣性系の本質には、「電車」も「乗客」もそれぞれ等価であるという前提が必要です。
(「等価」とは、特殊相対性理論のように「光速」で運動したり、途方もない質量で空間が歪むなどという、普通の私たちの生活では起こらないような「普通の慣性系」だということと思ってください)

ニュートンは前掲書『プリンキピア』において「絶対時間」と「絶対空間」を定義しました。
絶対時間とは「外界と関係せずに一様に流れ、これを持続と呼べるもの」とし、絶対空間とは「外界とは関係せずに、つねに均質で揺らぎないもの」としたのです。
「絶対」とは「独立性」と意味するものだと考えられます。

ところがガリレオやニュートンが構築した力学は、その後、光の性質が研究され、一方でマックスウェルらの究めた電磁気学において「当てはまらない」事例が指摘されるようになってきました。
ニュートンのもう一つの著作『光学』によれば、光が回折現象を起こすことはイタリアのグリマルディによって報告された(1665年)とあり、グリマルディがどのようにこの現象を解析したかを述べています。
ニュートンやグリマルディの結論は「光は波である」ということでした(波動説)。
イギリスの天文学者クリスチャン・ホイヘンスは「宇宙空間で光が伝わるのはエーテル(aether)が宇宙空間を満たしているからだ」と推論しました。
波である「光」が空間を伝わるには、水や空気のような媒体が必要だという前提から、宇宙空間はまったくの真空ではなく「エーテル」という物質が満たされているのだというのです。
ところがマックスウェルは電磁気の関係を調べているうちに、自身の導いた方程式から電磁波の速度が、光の理論速度に等しくなった結果を得て、「光は電磁波だ」と言い出したのです。
それは「光の波動性」を裏付ける結論でもあったのですが…
しかしエーテル空間の座標系を仮に考えるときに、エーテルに対して静止している「絶対静止系」というものがあるのか?
もしそのような「系」を考えたら、これまでの「ガリレオの相対性理論」と食い違いができてしまうではないでしょうか?
「エーテル」の存在はだんだん怪しくなってきたのです。
しかし完全に否定する証拠もない。
だた「マックスウェル方程式はガリレオ変換の下では不変ではない」としか言えない状況が続きます。
マイケルソンとモーリーは「エーテルの存在」を前提に、光速を測定しようと実験に励んでいました。
彼らは地球が「エーテルの流れ」の中で公転の速度がどのように影響を受けるかを実証しようとしていました。
つまり地球が等速運動しているときに「エーテル」の抵抗を受けているはずだと言うのです。
「エーテル」の一様な流れ(これも仮定に過ぎない)のなかで、地球が太陽の周りを公転しているとき、エーテルとの相対的な位置関係も変わっていきます。
すると地球の公転軌道の位置によって光の速度がエーテルの流れの向きによって影響を受けてその速さを変えるだろうと彼らは考えたのでした。
結論を先に言いますが、マイケルソンとモーリーの実験は失敗に終わるのです。
前提がすでに間違っていて、疑似科学の色合いの濃い実験だった。
しかしその失敗によって、得られた経験はその後に大きな影響を及ぼします。
褒められるべき偉大な「失敗」だった。
「エーテルなど存在しない。光は絶対真空の中を進むことができる」のです。

アインシュタインは、エーテルの存在を仮定せずに、マイケルソンとモーリーの失敗から「真空中の光の速度は不変だ」という前提と、「ガリレオの相対性原理のすべての慣性座標系は等価だ」という前提を定義して「特殊相対性理論」を構築したのです。

「エーテルの存在」が「絶対静止系」を必要としたので、ニュートン力学とマックスウェル電磁気学の食い違いが説明できなかったのだから、「エーテルの存在」を全否定するしかないのです。
現在も、エーテルは見つかっていません。
※有機溶剤の「エーテル(ether)」とは綴りが違いますので全く関係がありません。

アインシュタインの特殊相対性理論によれば、「4元運動量の保存則」という定義があります。
運動量保存則は、質点系でもおなじみの法則であり、それは「相対性空間」でも同じだというのです。
「4元運動量」とは「三次元空間と時間の一次元をあわせて記述した運動量」を指し、「三次元空間運動量の四次元時空への拡張として、一般化したもの」と言い換えることもできます。

そしてもう一度、アインシュタインの唱えた「特殊相対性理論」を確認します。
「物理法則はすべての慣性系で同一である」
「真空中の光速はすべての慣性系で等しい」
となります。
「4元運動量の保存則」は、すべてのエネルギーE、静止質量M、4元運動量ベクトルp、光速cとすれば、
E²/c²-|p|²=M²c²
E²=M²c⁴+p²c²
この等式の右辺第一項は静止エネルギー、第二項は運動エネルギーを示しています。
それらの総和が全エネルギーEであるということね。
この式を見て「あ、ピタゴラスの定理だ」と思った人はするどい。
斜辺をE、垂辺をpc、底辺をMc²とすれば、まさにピタゴラスの三角形ですね。
この直角三角形の関係が成り立つのは、系が静止しているときだけではないか?
E=mc²が成り立つのは系が静止しているときだけだ。
ところがね、運動している系でも成り立つんです。
底辺に当たる「運動エネルギー」の部分がね、古典的な運動エネルギー(ニュートン力学の)とは違って「曲がる(嘘)」んです。
古典的運動エネルギーは英語で「kinetic energy」ですが、相対論の運動エネルギーには時空の因子が込められており(四元運動量)、英語では「momentum energy」とちゃんと区別してるんです。
さきほど「曲がる」と書きましたが、底辺が外側に曲がると、斜辺はそれだけ伸びますよね。
静止系の場合の全エネルギーより、運動している系の場合の方が全エネルギーが大きいのです。
当たり前か…
この古典と相対論の差額のエネルギーを2次元(もしくは3次元)で示すことは困難ですので、「曲がる」と表現したのですが、実際は曲がらない。
そんな数式はありませんから。
とにかく、ピタゴラス三角形で相対論を論じるときには、非ユークリッド空間になるとでも言いましょうか、静止系と運動系では差ができるということを説明したかったのです。

与式の右辺に、慣性系の相対速度をv、運動中の物体の質量をmとして静止質量M=m/√(1-v²/c²)と、運動中の物質の運動量p=mvを代入します。
m²(1-v²/c²)c⁴ +(mv)²c²m²c⁴-m²v²c²m²v²c²m²c⁴
ゆえに
E=mc²
静止系なら運動量p=0なので、やはり同じ式が導かれます。

※ここで、dt/dτ=1/√(1-(v/c)²)を「ローレンツ因子」といいt(座標時)をτ(観測者固有時)で微分したもので、静止系と運動系の座標変換に必要な因子です。


ではこの式の定数項である「真空中の光速」とはどんな数字なのでしょうか?
こんにち、真空中の光速cは
c=299792458 m/s
と決められています。
よく1秒間に「地球を7周半」進むのだとか言われます。
(アマチュア無線技士の国家試験で電波の進む距離として問われます)

だいたい「秒速30万キロメートル」だとSF小説にはよく出てまいります。
紀元前に、アルキメデスは光は瞬時に伝わるとし、速度を考慮していなかったようです。
エンペドクレスは、アルキメデスより前に「光の速度は有限だ」と述べていました。
西暦1000年ごろ、バグダッド(現イラクの首都)のイブン・ハイサムは「光の速さは、媒質の密度が高いと遅くなる」という示唆に富んだ言葉を残しています。
確かに、そうなんです。
光速不変の現代においてもその不変性は真空の中での話であって、水中では少し遅くなるから、チェレンコフ光が見えるわけです。
水中では、原子崩壊による放射線の速度が、水のために遅くなった光速を追い越して、原子炉の中であの青白い光が見えるのです。
まさに音速を超えた物体が出す衝撃波のように、光を発生するのがチェレンコフ効果でした。
チェレンコフ

光速についてはいずれ別に触れたいと思います。

アインシュタインの公式E=mc²と光速が得られたので、実際にこの式を味わってみましょう。
質量とエネルギーが等価であるとこの式は言っています。
運動する物体が、速度を増していくとその質量はエネルギーに変化していって、元の質量は目減りしていくのです。
そんなことがあるのでしょうか?
私たちの身の回りで、動いたからと言って質量が減った事実など見たこともないでしょう。
化学の世界でも「質量不変の法則」というものがあるくらいですから、この式とは矛盾しませんか?
化学反応の前と後で、全体の収支の質量が変わらないのが化学の前提です。
実は、変わっているんだそうです。
全質量のわずかに0.1%程度減っているらしい。
テーブルでおこなう実験でなら実験誤差に含まれて「ロス」として見過ごされているレベルです。
この「変化」と「誤差」を分離することは、とても見極められないし、その手段を私たちは持ちません。
一方で、力学で問われる位置のエネルギーと運動エネルギーの変換によって、物質の質量は変わっているのかというと、やはり落体の前後でわずかに「減っている」らしいのですが、この差も私たちには見極められないぐらい小さいのです。

ところが、素粒子になるとそうではない。
素粒子反応から全体のマクロな物理学に演繹されているというのが正直なところです。
「対消滅(ついしょうめつ)」という反粒子反応があります。
陽電子と電子の消滅が起こるが、これは100%の互いの質量が消滅し莫大なエネルギーに変換されます。
※「対消滅」と「対生成(ついせいせい)」が同時に起これば200%のエネルギーが生まれるのですって。

クォークとグルーオンが原子核の結びつきの原因となっていますが、そのエネルギーと質量の関係の実験が2008年に発表されて、このアインシュタインの式が仮説から実証されたことになっています。
長らく、人々の間に流布していながら最近まで証拠がなかったのですね。

E=mc²
この式を触ってみましょう。
1gの物質、そうですね手元に1円アルミ硬貨がありました。
これはちょうど1gであると国が設定しています。
この1円玉を使ってみましょう。
するとアインシュタインの公式はどうなりますかね。
計算が簡単になるよう、光速を秒速3.0×10⁸mとします。
E=0.001㎏×(3.0×10⁸)²=1.0×10-³×9.0×10^16=9.0×10^13 [kgm²/s²]
ここで力(ちから)の単位を介して
1[N]=1[kg]×1[m/s²]=1[kgm/s²]
1[㎏]の物体を、1[m]動かすときに要する力が1[N]であるということです。
このときに要する熱量(仕事ともいう)を1[J]とするのでした。
つまり
1[J]=1[N]×1[m]=1[Nm]
です。
一円玉の質量が持つエネルギーはなんと
E=9.0×10^13[J]
にもなるのです。
そんなばかな…いえいえ、1gの物質はそれだけのエネルギーを秘めているのです。
このアルミニウムの塊をすべてエネルギーに変換できればということですがね。
1カロリー≒4.2ジュールと定義されています。
1g(0.001㎏)の水を1℃だけ温度上昇させるに必要な熱量を1カロリーというのでしたね。
すると一円玉一つで9.0×10^13[J](90兆ジュール)ものエネルギーだと、2.1×10^10[kg](=2100万トン)もの水を1℃上昇できるということになります(桁合ってるのかな?)。
もう、べらぼうな数なんで、一桁くらい間違ってるかもしれません。

この公式一つで、今日も随分遊べました。
おやすみなさいませ。