九月になって新学期が始まった。
早い台風がもう南海上に現れて天気はいいが、風がきつい日だった。
あたしは、生理がまた始まってプールの授業を休んだ。 
「なおぼん、顔色悪いで」と、クラスメイトの前田敬子が さらに日焼けした顔で覗き込む。
「あかん、お月さんや」
「痛むんか?薬あげよか?」
「効くかなぁ」
「はい、セデス。あたしはノーシンとかはきつすぎるねん」
白い錠剤の入ったシートを切ってくれた。
「ありがと」
あたしは水筒のお茶で一錠、飲んでみた。

 今日は、二学期最初の部活動がある日だった。
エマーソンの実験(明反応と暗反応の 定量的考察)をやろうとあたしたちは計画を立てていたので、そのことを山本真理子先生と相談するのだった。

参考文献として、化学同人の「実験で学ぶ生化学」が与えられていて、あたしはその分厚い本を山本先生から借りていた。
プラマーという博士が書いた本格的な、大学生が読むような本だった。

放課後、ちょっと時間が早いが科学実験室に向かった。
「しつれいしまぁす」
戸は開いていた。
しかし、中には誰もいなかった。
仕方がないので、あたしは実験台の一つにカバンを乗っけて、丸椅子に座った。
そして「実験で学ぶ生化学」の本をカバンから出してめくった。

カタン…
どこからか音がした。
「準備室?」
すると準備室のすりガラスに人影が見えて、ドアがあいた。
長谷川さんだった。
長谷川さんは三年の中島部長が引退されたので、部長を引き継いだのだった。
あたしを見て、とても驚いたような表情をした。
「あ、来てたんか…前からいた?」
「ううん、今、来たとこです…けど」
長谷川さんは、なんか変。
カッターシャツの裾がズボンから出てるし、寝てたんかな?
「どうしたんですか?探し物?」
「い、いや。あ、そうそう。ほら、光合成の実験やろ?なんか資料がないかなと思ってな」
取り繕うような受け答えで、怪しく思ったけど、あたしは気にせず座っていた。
丸椅子がくるくる回るので、回ってみたりして。
みんなが、三々五々、集まってきた。
「ちわーっす」
西村さんやら、佐野さんやら、市原君と杉本君。
そのとき、山本先生が準備室から出てきたのには驚いた。
え?長谷川さんと先生はずっとあそこにいたんや…
山本先生の顔色はすぐれず、髪の毛も乱れてるし、なんかあったんやろか?

それに…ブラウスの胸のボタンが、掛け違っている…
あたしは、そっと近づいて、耳打ちした。
「せんせ、胸のボタンが…」
「あ」
そう言って、胸を隠すようにして出て行かれた。
ものすごく慌てた感じで。
たぶん、トイレに行ったんやろうな。

「みんな、集まってや」
長谷川部長の声がした。
あたしは席に戻った。

あたしは実験のことなど、うわの空で、長谷川さんと山本先生が何をしていたのか想像していた。
「どっちが誘ったんやろ?」
先生が生徒を誘惑するなんてことがあるんやろか?
それとも、あの長谷川部長が先生を?

生理中のあたしは、イライラしがちで、なんもかんも嫌になってしまった。
「あの」
「なんや、なおぼん」
部長が答えた。
「ちょっと体調が良くないので、帰らしてもろてええですか?」
「そうか…しゃあないな」
長谷川さんも、ばつが悪そうで、許諾するしかないという感じだった。
あたしは、山本先生から借りた本を長谷川さんの前の実験台に裏返して置いた。
「本、ここに置いときますから」
その裏表紙には「山本真理子」とあった。
あたしは、そそくさとカバンを取って実験室を出た。
なんか悔しくて、泣けてきた。
山本先生とすれ違ったけれど、あたし、何も言えなかった。

おしまい。