角野さんとの二度目のデートは私から誘った。
私は免許は持っているが車を運転しないので、どうしても電車で行けるところになる。
角野さんもそのほうがいいと言ってくれている。
交通費はそれぞれが出すようにしましょうと、言ってくれた。
なんだか中学生のデートみたいだと二人で笑った。
なんとなく食事は私が、喫茶店でお茶をしたときは彼女が勘定をするみたいな図式ができてきた。
それはそれでいいと思う。
私はあの日から律子とは連絡も取っていない。
向こうも何も言ってこないのだ。
飯塚のことなんかも忘れかけてきた。

今日は海遊館にやってきた。
彼女は叔母さんと来たことがあって、これで二度目だという。
「叔母にもね、最近、いいひとができたみたいで、その人と出かけるようになったって」
ソフトクリームを舐め舐め、角野さんが言う。彼女の叔母も独身で、五十半ばだと言っていた。
「いいんじゃない?叔母さんも人生楽しまないと」
「わたしもそう言ったの。応援してるって」
「相手は学校の先生かなにかかな?」
彼女の叔母が神戸女学院の高等部の化学教諭だと聞いていたからだ。
「ううん、出版関係だって言ってた」「ふぅん」
私は、とっさに飯塚の顔を浮かべた。まさかそんなことはあるまい。
だいたい、私と同い年の飯塚が二十も年上の女性に入れ込むはずがないと思った。

海遊館は、さすがに雄大な水槽で、まるで我々が水底にいるようだった。
スキューバダイビング姿の係員が水槽に入って、壁面を掃除している。
そこを銀の刃物の群れのようなイワシの大群が彼を隠す。
むこうに大きな黒い影が動いている。ジンベエザメか?
角野さんは、もうずっと私の手を握ってくれている。
「わぁ、すごい」「なんていう魚だろう?」「アジ…かな」
人の流れに乗って、私たちは暗い水族館を移動した。
金曜日なので、子供たちの姿は少なかった。

海遊館から出てファミリーレストラン「COCO's」で昼食をとった。
結構な混みようだったが、並んで待ち、食事にありつけた。

「今日は、このあと、どこか行きたいとこある?」「ううん、考えていなかったから…戸田さんの行きたいところで」「そう」
私は、まだ二度目のデートでホテルに誘っていいものかどうか逡巡した。
角野さんが、ノースリーブにブラウスをひっかけた夏の恰好をしており、普段地味な彼女からしたら、なかなか大胆な姿だった。
胸もしっかりと主張している。
「ちょっと、びっくりだったな」「え、何が?」「角野さんも、そういう恰好するんだと思ってさ」「やっぱり変ですか?」そういうと、下を向いてしまった。
こりゃ、失言だったか…「いや、かえってあなたの別な面が知れてよかった。似合っているんだから」
「そうですか」と言って照れ笑いを浮かべる。

海を見ると、心が解放されるような気がした。
二人で波止場を歩く。
七月の、梅雨の晴れ間がまぶしかった。
私は家を出る前から考えていたことがあった。
「あの、角野さん」「はい」小さな彼女が、私を見上げる。
「今日、あなたが欲しい」
私は、そういうのが精いっぱいだった。直情的な申し入れに、顔から火が出る思いだった。
角野さんはその言葉を、もう一度自分の中で嚙みしめているように見えた。
軽蔑されるかもしれない。

「戸田さん。じつは、わたしもそういうお誘いを受けるのではないかと思って、今日、来たんですよ」
「ほんとに?」
「ええ、結婚を前提に心づもりをしてまいりました。だから、あなたからのそういうお申し出に、お断りすることは失礼にあたると思っているのです」「はぁ…」
私は、いささか角野さんの丁寧すぎる受け答えに拍子抜けしてしまった。
「あたし、変でしょうか?」「あ、いや」「不躾(ぶしつけ)でしょうか」
まっすぐに私を見る角野さんの目は、微動だにしなかった。
私は射すくめられた。
私の劣情が見透かされたような気がした。
「じゃ、いいんですね」「はい。お供いたします」
なんか時代錯誤な女性な気がしないでもないが、彼女は同意してくれたようだった。

私は大阪環状線で桜ノ宮までの切符を買い、彼女にも渡した。これは、私が払うのだ。
桜ノ宮は大阪のラブホテル街で有名な場所だ。
それは知っているが、私は行ったことがないし、もうイチかバチかの勝負だった。
ここで角野さんに恥ずかしい思いをさせてもいけないし、また慣れた男だと思われるのも嫌だった。
こういう場合、自分のマンションということも考えられたが、目いっぱい散らかっているので選択肢になかった。
電車の中では、私たちは無言だった。
何を話せばいい?これから恥ずかしいことをするのである。
角野さんはしきりに唇をなめている。もう手もつないでくれない。
これから起こることに、とても不安な様子だった。
「やめようか…」正直、そう思った。
それは桜ノ宮についてからでもいい。