ヒンズークシを超えれば、アフガニスタンに入る。
この「インド人殺し」の名を持つ山脈が、違和感なく私たちの前に立ちはだかる。
見るからに恐ろしい山容である。
切り立った崖が屏風のように連なり、そこに蟻の這うような道がついている。
車のタイヤはぎりぎりのところを転がっていく。
運転手のハッサンはそれでも鼻歌を口ずざみながら、軽やかにハンドルを切っている。
ハッサンは警察官で、カイバル峠越えでの規則で、外国人を警備する任務を帯びている。
「カイバル峠越えは昔と違って、安全な道ですぜ」とかなんとか妙な英語で答える。
JICAの大久保さんと、国境なき医師団のアルバート、そして私がこの四輪駆動車に乗り込んでいた。
私はペシャワールでアフガンに行く足を探していた。
バザールで会った井戸掘り名人の大久保悟氏とそこで意気投合し、「それなら三日後に友人のアルバートとジャララバードに行くから乗ってけよ」と言ってくれた。

私は、ある使命を帯びてここに来た。
横山尚子を探す旅だった。
「内外さん、もうすぐ国境だぜ」
大久保さんが、指さす方向に石造りの城門のようなものが見えてきた。
有名な「カイバルゲート」だ。
「簡単に越えられるんですか?」
「パスポートとビザの写しを二枚ずつ持ってきたでしょう?」
「ええ、言われた通りそれぞれ五枚、ペシャワールのよろず屋で取ってきました」
「そんなにいらないけど、十分です」

イミグレーションは簡単なもので、粗末な建物に入ると、パスポートとビザの写しを渡し、ノートにローマ字で名前を書き、パスポート番号を記して終わりだった。

この乾燥した大地に尚子は何を求めてやってきたのだろう?
馬喰町のHRA(ヒューマンライツアソシエーション)の事務所から彼女は忽然と消えた。
HRAの副代表、佐野健司から「横山さんには、しばらく消えてもらうことにしたんですよ」と告げられた。
佐野氏と私は旧知の中であり、同じジャーナリストの道を歩んできた。
佐野氏は次第に人権問題に傾倒していき、紛争地域への援助などに尽力し、大学生をはじめとする意識の高い若者を海外に派遣していった。
横山尚子がHRAに参画するきっかけを作ったのは私だった。
横山が結婚して後藤姓になり、諸般の事情からHRAの仕事もやりづらくなったと聞いてはいた。

「消えてもらうって?」
「いや、なに、海外に飛んでもらっただけのこと」
「佐野さん、あんた、最近、傭兵にも手を染めているそうじゃないか」
「いろいろな協力ができるってことですよ」
不敵な笑みを浮かべて佐野氏は、壁に貼ったペシャワール地域の地図に目をやった。
「平和主義が根底に無ければ、海外協力なんてものは画餅に帰しますぞ」
私は声を荒らげた。
「甘いな。内外さんは」
私は馬鹿にされているようだった。


数日前、日本を発つときのことを思い出していた。
尚子は傭兵になったのだろうか?
ご主人もいるのに、それはないだろう…
もともと、尚子はブラックな社会との関係から、銃器の扱いに興味を持っていたことは私も知っている。
単身でカブールあたりに潜伏するなんてことは、普通の状況では考えられない。
まして普通の主婦がそんな道を選ぶはずがない。
「北朝鮮の連中に追われていたんですよ。彼女」
そう言ったのは、佐野の方だった。
「それは知っています」
「北にも知り合いがいたらしくってね、立場が悪すぎた」
「というと?」
「拉致ですよ。ラ、チ」
「日本人拉致に彼女がかかわっているとでも?」
「本人から聞いたんですから、間違いないでしょ」
私は耳を疑った。
尚子は、自身が拉致されると言っていたが、それに加担していたとは…話がまったく異なってくる。
「だから、北の影響のない場所へ逃がしたんですよ」
佐野が続けた。
私は陰鬱な心持で、佐野から受けた横山尚子の潜伏先の資料を持ってHRAの事務所を後にした。

ジャララバードの木賃宿に泊まり、裸電球の下でアルジャジーラのカメラマン兼記者だというムバラク氏にカブール情勢を聞いた。
この地にはそういう人物がたくさん集まっている。
現地人でなければ、だいたいはどっかの国のジャーナリストだった。
「夜は冷えるね」
「酒も飲めないし」
イスラムでは酒はご法度だった。
そんな会話をしながら、ナツメヤシのドライフルーツをかじる。
「その子はナオボンと言わないか?」
おもむろにムバラク氏が口を開く。
「知ってるのか?」
「ああ、日本の娘だったな。トライバルエリアで道を聞かれた」
ムバラク氏から意外な情報を得た。
「もうカーブルに入っているはずだぜ」
現地では「カーブル」と発音するらしい。
「カブールは戦闘状態なのか?」
私はとりあえず、その都市がどんな状況なのか知っておく必要があった。
「ターリバーンの手に落ちてからは平和だ」
西暦2001年の今年、世界は恐怖に陥れられるだろうと不穏なことをムバラク氏は言うのだった。
※この年の九月十一日にアルカイダによって、アメリカで同時多発テロが敢行されたのだった。タリバンとアルカイダは近しい関係にあった。

大久保さんは、井戸掘りの仕事がジャララバード近郊であるらしく、明日、発つそうだ。
アルバート医師はカブールまで一緒に行ってくれるという。
タリバンは日本人を良く思っていないので心を許すなともムバラク氏は忠告してくれた。
私は身が引き締まる思いでヒンズークシを背にカブール行きの貨客混合の幌付きトラックに乗り込んだ。
料金はしめて七百アフガニー(約14US$)だという。
この便を逃したら足がないので、私はアルバートと一緒に狭い荷台に体を押し込んだ。
「途中、タリバンに襲われるかもしれない」
アルバートが不吉なことを言う。
「そんなことが度々あるのか?」
「ああ。私の友人もそれで亡くなった」
「物盗りじゃないのか?」
「原理主義者は容赦してくれない。物乞いじゃないんだよ」
私は黙り込んでしまった。
「えらいところに来てしまった…」
乳飲み子を抱いて目だけを出したアフガンの女や、うつろな表情の老人、呉越同舟の狭い車内は埃と、汗と乾いた血の匂いで満ちていた。
私は、揺られているうちにまどろんでしまった。

尚子は傭兵になったのだろうか?
同じ疑問がまた頭をもたげる。
私は信じたくなかった。
ほかに目的があるのだろう。
パルミラやバクトリア(バクトラ)に興味があったと、彼女から聞いたことがあった。
古代史跡を訪ねるのが夢だったと。
尚子は「サラディン」の英雄譚をよく話していたっけ。

普通に行けば二時間足らずでカブールに到着するはずだった。

(文責 wawabubu編集委員 内外小鉄)