清美の娘阿騎子は、女性経験の乏しいぼくが言うのもなんだが、変わっていた。
近頃珍しい「昭和」の雰囲気で、事実、話の内容も二十二、三歳にしては時代がかっているように思えた。
ぼくは、キリスト教信者の中島清美宅で、彼女の娘、阿騎子に娶(めあわ)せられたのだが、母親に従順な「お嬢さん」だった。
髪を三つ編みにして垂らしているところがすでに時代錯誤的だと思えた。
「ええ、大学では国文学を…」と、儚(はかな)げな声で言う乙女だった。
ぼくは、まったくその方面は不案内だったので、話の穂先を継ぐことができないでいた。
母親のほうが見かねて、
「岩崎和明(かずあき)さんは、いろいろ経験もおありな方で、母さんも自信をもって阿騎子に勧められるのよ」なんて、尻のこそばゆいことを言う。
「お、お仕事は何をされているんですか?」と阿騎子が尋ねる。
ぼくは、昨日から用意しておいた答えを言うことにした。
「フリーランスでね、このご時世ですから、在宅でIT関連の仕事をしています」
などと、噓八百を並べたのである。
清美は、薄く笑い、まんざらでもない様子。
冷めた紅茶をすすりながら、ぼくは、部屋が暑いのか、冬なのに汗をかいていた。
喉も渇いているのでとうとう紅茶茶碗を干してしまった。
それに気づいた清美が新しい紅茶をティーポットから足してくれる。
阿騎子の顔は、悪くない。むしろ整っていて、清美を若くした感じで好感が持てた。
「あの、男性とはおつきあいなんかしたことは?」と、不躾な質問を阿騎子に投げる。
「ありません…」うつむいて、蚊の鳴くような声で答える。
「この子は、ネンネだから。和明さんが教えてあげてね」
とても母親が娘の前で言う言葉とは思えなかったが、清美は本気のようだ。
こうして自分の家族にぼくを取り込んで、小さな世界を築こうとしているのではなかろうか?
ただ、阿騎子の父親との関係や、父方の祖父母との関係はどうなるのだろうか?
阿騎子が用足しに立った時に、清美にそれとなく訊いてみた。
「あの子はね、最初から父親に引き取られることに不満を持っていたの。祖父母の家でずいぶん我慢して暮らしてきたのよ」とこぼした。
やっと、自立して祖父母や父の呪縛から解放されようとしているというのだった。
「阿騎子ちゃんもクリスチャンなんですか?」
「まだ決めかねているみたい。あっちの家からは私が狂信者のように吹き込まれているらしいから、私とのこともその点では和解で来ているとはいえないわ」
「まあ、ぼくだって入信の決意はできてませんけどね」
しばらくあって、
「いいのよ。それは。強制することはできないもの」と、清美はカップの紅茶を含んだ。
阿騎子が手洗いから戻ってきて着席した。
「じゃあ、阿騎子、いちど和明さんとお付き合いしてみたら?」
「はい、母さんがそう言うんだったら…」
なんとも主体性のない娘だった。ぼくのほうは別に構わないが…
「岩崎君、おねがいね」「はぁ。どうなるかわかりませんが…」
その日は、中島さんの家で夕食をごちそうになった。
鍋料理をふるまってくれたが、驚いたのは、この母娘の酒の強いことだった。
あのおとなしい阿騎子が顔色も変えずに、ビールから日本酒、焼酎のお湯割りと続いて、清美が奥から「サントリーローヤル」なんかを出してきて、ロックで飲(や)りだすのである。
だからといって、弱いぼくに強要することはなかった。ただ、自分たちが飲みたいだけで酒を楽しんでいたのである。
阿騎子は酔っても、饒舌になることもなく、姿態を崩すこともなかった。
清美のほうが、口数が多くなり、あれこれと食べ物を勧めてくれる。
ぼくもかなり酒を過ごしてしまい、寝てしまった。
炬燵の中で横になってしまったらしく、上に肌掛けがかけられていた。
石油ストーブの上のやかんがしゅうしゅうと沸いていた。
もう、ここに泊まっていくほかない…そしてまどろんでしまった。
遠くで母娘の会話が続いているようだった。
(つづく)
近頃珍しい「昭和」の雰囲気で、事実、話の内容も二十二、三歳にしては時代がかっているように思えた。
ぼくは、キリスト教信者の中島清美宅で、彼女の娘、阿騎子に娶(めあわ)せられたのだが、母親に従順な「お嬢さん」だった。
髪を三つ編みにして垂らしているところがすでに時代錯誤的だと思えた。
「ええ、大学では国文学を…」と、儚(はかな)げな声で言う乙女だった。
ぼくは、まったくその方面は不案内だったので、話の穂先を継ぐことができないでいた。
母親のほうが見かねて、
「岩崎和明(かずあき)さんは、いろいろ経験もおありな方で、母さんも自信をもって阿騎子に勧められるのよ」なんて、尻のこそばゆいことを言う。
「お、お仕事は何をされているんですか?」と阿騎子が尋ねる。
ぼくは、昨日から用意しておいた答えを言うことにした。
「フリーランスでね、このご時世ですから、在宅でIT関連の仕事をしています」
などと、噓八百を並べたのである。
清美は、薄く笑い、まんざらでもない様子。
冷めた紅茶をすすりながら、ぼくは、部屋が暑いのか、冬なのに汗をかいていた。
喉も渇いているのでとうとう紅茶茶碗を干してしまった。
それに気づいた清美が新しい紅茶をティーポットから足してくれる。
阿騎子の顔は、悪くない。むしろ整っていて、清美を若くした感じで好感が持てた。
「あの、男性とはおつきあいなんかしたことは?」と、不躾な質問を阿騎子に投げる。
「ありません…」うつむいて、蚊の鳴くような声で答える。
「この子は、ネンネだから。和明さんが教えてあげてね」
とても母親が娘の前で言う言葉とは思えなかったが、清美は本気のようだ。
こうして自分の家族にぼくを取り込んで、小さな世界を築こうとしているのではなかろうか?
ただ、阿騎子の父親との関係や、父方の祖父母との関係はどうなるのだろうか?
阿騎子が用足しに立った時に、清美にそれとなく訊いてみた。
「あの子はね、最初から父親に引き取られることに不満を持っていたの。祖父母の家でずいぶん我慢して暮らしてきたのよ」とこぼした。
やっと、自立して祖父母や父の呪縛から解放されようとしているというのだった。
「阿騎子ちゃんもクリスチャンなんですか?」
「まだ決めかねているみたい。あっちの家からは私が狂信者のように吹き込まれているらしいから、私とのこともその点では和解で来ているとはいえないわ」
「まあ、ぼくだって入信の決意はできてませんけどね」
しばらくあって、
「いいのよ。それは。強制することはできないもの」と、清美はカップの紅茶を含んだ。
阿騎子が手洗いから戻ってきて着席した。
「じゃあ、阿騎子、いちど和明さんとお付き合いしてみたら?」
「はい、母さんがそう言うんだったら…」
なんとも主体性のない娘だった。ぼくのほうは別に構わないが…
「岩崎君、おねがいね」「はぁ。どうなるかわかりませんが…」
その日は、中島さんの家で夕食をごちそうになった。
鍋料理をふるまってくれたが、驚いたのは、この母娘の酒の強いことだった。
あのおとなしい阿騎子が顔色も変えずに、ビールから日本酒、焼酎のお湯割りと続いて、清美が奥から「サントリーローヤル」なんかを出してきて、ロックで飲(や)りだすのである。
だからといって、弱いぼくに強要することはなかった。ただ、自分たちが飲みたいだけで酒を楽しんでいたのである。
阿騎子は酔っても、饒舌になることもなく、姿態を崩すこともなかった。
清美のほうが、口数が多くなり、あれこれと食べ物を勧めてくれる。
ぼくもかなり酒を過ごしてしまい、寝てしまった。
炬燵の中で横になってしまったらしく、上に肌掛けがかけられていた。
石油ストーブの上のやかんがしゅうしゅうと沸いていた。
もう、ここに泊まっていくほかない…そしてまどろんでしまった。
遠くで母娘の会話が続いているようだった。
(つづく)