このコロナ禍で、大学生はリモート授業を余儀なくされている。
大学生は中高生よりも移動が激しいし、酒も飲むし、他府県からの進学者も多いとのことから大学が怖がって対面授業を避けているらしい。
「感染拡大の第三波」を迎え、それが下降に向かうと、そろそろリモートと対面を併用して登校してもらおうというのが大方の大学の姿勢であろうか。
ところで、昨年が「リモート学習元年」だった学校も多い中、その弊害や、これからを考えた教育者、学生も多かっただろう。
特に学生は、苦しい受験勉強と入試を突破し、高い授業料を払って、愚にもつかないリモート講義の毎日に嫌気がさしたのではなかろうか?
大学の価値が今こそ問われている時はないと思う。
これを好機に、学歴偏重社会からの脱却ができたらいいと私などは思うわけだ。
若い貴重な時間を、ほぼすべての学生が受験に割いている不合理。
その親御さんの努力もさることながら、この程度の大学での授業を四年間で消化して社会に出るというのはなんとも無駄なように思える。
ことに理工系や医歯薬系の学部で実験や実習なしに学業を終えるなどということは決してあってはならないと私でも思う。
どうせできないのなら、大学など行かずに、十八で成人なんだから、社会に出て活躍してほしい。
人間の学ぶことなど、高校までの学業で十分である。
それよりか、高校までに充実した学生生活を送ってほしいとさえ思う。
大学受験のために学習するのではなく、自分のために「学問する」ことを高校生までに踏まえてほしいと思うのだ。それは机の前での学問だけでなく、フィールドに出て学ぶこと、体を使って学ぶことなども含むし、仲間と助け合ってやり遂げることや、地域の人々とともに行動して達成するという経験もあるだろう。
心身ともにもっとも伸びしろのある時期だから、スポーツで同じ経験をするのもアリである。
その中の選択肢の一つに大学で専門的に学問を深めたいという生徒がいてもいい。それが健全な進路決定だと思う。
大学を出たから、生涯において所得が高卒より数倍多くなるというような根拠の薄い話を信じるよりも、自分のやりたいことで生計を立てて、家族と共に生きるほうが幸せを感じるのだという価値観の方が「人間らしい」ではないか?
社会も企業も「学歴」を気にせず、人物を見て採否を案じてほしい。
これからの日本はそういう社会になっていってほしいから、リモート授業だけの大学など「袖(そで)」にして、社会に貢献できる人になってもらいたい。
昔は大学の四年間を「遊んで」人生経験を積んだり、社会に余裕があったものだが、今の社会はそれを許さないくらいに熾烈な生存競争の真っ只中にあるといってよい。
私たちの大学生の頃は、授業をさぼってマージャンに明け暮れたり、酒で失敗したりしつつ、社会に出る前のモラトリアムとして過ごし、慣れない煙草にむせながら生意気な青い思想を吐いたものだ。
それはそれで意味があった。
学生運動の熾火(おきび)にも意味があったのである。
「リモート」などという「まやかし」では得られないコミュニティの妙があった。
たしかにその後の人生に、反面教師になったり、ひきずったりして大学生活は機能していたのである。
社会に出たくなければ、大学に残る道だって多くはないがあった。
私のように社会に出たが、いろいろあって、一時、大学に戻って研究に打ち込んだ人もいただろう。
あのときは「バブル崩壊」という社会現象に呑み込まれた形で、やむなくそうなったのだ。
今は「コロナ禍」である。
このように、自分ではどうしようもない社会のうねりに呑み込まれて生きて行かねばならないし、予測がつかないのは仕方のないことだ。
時間の無駄と思えることは、なるだけしないほうがいいのだけれど、当事者にとって何が無駄なのか見極めきれないのも正直なところだろう。
今やっていることを放り出して別な道を探るのもよい。その勇気や決断は周囲に軋轢を生じるかもしれないが、自分の未来のためならやってみたいと思うのならやってみるがよい。
そのときは失敗しても「自己責任」である。その覚悟さえあればなんだってできるのだ。
今の「立場」を墨守するのか、打ち砕いて更地にしてしまうのか、あなた次第である。
地震や津波で人生を「更地」にされた人々も多い。
もうそれは運否天賦なのだ。あなたにどうこうできる代物(しろもの)ではない。
もしできるとすれば「決断」だけである。決断して行動するだけである。
その結果の如何は、問題ではない。すべてあなたの責任だ。
そう思える人が「大人(おとな)」なのだということを私は伝えたい。

「大人」の条件はただひとつ。
自分責任をとる行動をする人のことである。
※「自分で」責任をとる「お人よし」を言っているのではないよ。他人の尻拭いはせんでもよろしい。あくまでも「自分の」(所有格)であります。