松本零士先生が平和主義者なのは、幼時に戦争を経験されているからであり、戦後の苦しい時代を体験され、その中で、日本人が失っていったものへの憧憬(しょうけい)があるからだと思う。
単に「平和、平和」とおっしゃっているのではないのだ。

氏の戦争賛美ではない戦争マンガとして「戦場まんがシリーズ」(コックピットシリーズ)がある。
これは広く読まれてよい作品である。
メカニカルな部分が忠実に取材されていることと、人間の尊厳に裏打ちされた洋の東西を問わない普遍性の物語だ。
※「零士のメカゾーン①、②」(毎日新聞社)も併せてどうぞ。

氏はまた、クラシック音楽にも造詣が深く、「FMレコパル」誌に音楽家の漫画を寄稿していた。
戦争と音楽をからめた作品もあった。

さらに氏の作品の随所にみられる昆虫に関するエピソードである。
その名もずばり「インセクト」という小品があるし、「銀河鉄道999」にも虫たちの世界が多く出てくる。
パンツァービートルや、ウォーターメロン星の番虫などである。
幼少のころから昆虫採集に夢中になっていた松本先生だった。
これは同時期の手塚治虫氏や北杜夫氏、養老孟司氏がそうであったように、物のない時代に昆虫は少年たちを虜にしたのであった。
特に蝶は、醜い芋虫から華麗な姿に変身するゆえに、古来より日本人の心をつかんで離さなかった。
それはさながら、神の姿にも見えただろう。

私は、かねてより平和主義に世代間のギャップがあることに気付いていた。
金子兜太氏に代表されるような、軍隊経験者が発する平和主義と、松本零士氏に代表されるような、子供時代に戦争を経験した人の平和主義、そして、「戦争を知らない子供たち」の言う平和主義である。

また、こうも長く平和な時期が続くと、「戦争を知らない子供たち」の間でも世代間ギャップが生じる。
「べ平連」や「学生運動」時代を生きた世代と、平和教育を受けた私たち世代、そして平成生まれの人々とでは、かなり平和や戦争についての考え方が異なっている。

戦争を体験していない世代は、戦争に対してある種のロマンを感じたりし、戦争を美化した状態で受け入れてしまいがちだ。
人間の魂の叫びが戦争という刹那の場面で狂おしくも昇華するような話づくりは、戦争の悲惨さを見誤らせるだろう。
そして今の日本人が失いかけている愛国心や民族の魂の存在、祖先への敬意に、今一度、問いかけたいという気持ちで作家たちがお話を作ることもある。
民族は精神でつながっている…
この言葉は、麻薬のように、迷える人々を捉える。
個の時代と言われて久しいが、そういう時期こそ「つながりたい」「承認されたい」という欲望が強くなるものだ。

私は平和主義にいろいろあっていいと思っている。
岡林信康が歌うように平和には矛盾が含まれるのだ。
私の平和が、あなたの平和とは異なることも十分にある。
平和は普遍的価値ではない。
私は最近、そう思うようになった。
私は、私の平和を希求する。