二回生の夏休み、ワンゲルの合宿から帰ってきたころだった。
ボーイフレンドから夜遅くに電話をもらった。
両親も寝ていたので、電話のある階段の下で、ぼそぼそと話していたのを思い出した。
内容とて、たいしたことはなく、とりとめもない話題だったと思う。
「暑くって、なにもする気になれへんわ」と彼。
「本でも読めば?いつも古本屋に行ってるやん」
「こう暑いと、本も開きたくない」
彼は下宿生だった。
「じゃあ、なにしてんの?」
「なおのことを考えて、オナニーしてる」
「わお」
私は、どきっとして、受話器を落としそうになった。
そんなことを言う彼じゃないのに…
言っておくが、彼とはセックスもしたことがないし、誘われたこともない。
ただ、有機化学実験でいっしょになったりして、女子の少ない大学だったから、彼の方が積極的に私と話すようになっただけだ。
そのうち、帰宅の時に商店街の古本屋巡りをいっしょにしたり、喫茶店でお茶したりするような仲にはなっていた。
彼の下宿にも行ったことはない。
「どうしたの。なお」
私が黙りこくってしまっていたので、不安になった彼が尋ねてきた。
「ううん。ちょっとびっくりして…あんたがそういうことを言うなんて」
「ごめんね。でも本当なんだ。なおのこと、好きだから」
「やめてよ。そういうの」
私は、嬉しかった半面、安直な告白に冷めていた。
たぶんそういうことを言いたくて、合宿から帰った日を狙って彼は電話をかけてきたのだろう。

私は、彼が童貞だろうと踏んでいた。
工科大学の男子など、童貞に決まっている。
ところが私は、処女ではなかった。
すでに、二人の男性と経験済みだった。
だからというわけではないけれど、彼の夢を壊したくなかった。

恋情とか「恋ごころ」なんていうファンタジックな妄想を持ち合わせていなかったリケジョの私は、それでも「男に恥をかかせてはいけない」というデリカシーは心得ていた。
「じゃあ、おやすみ。ごめんな、変なことを言って」
彼の方から、電話を切ろうとしてきた。
「待って」
「うん?」
「切らんといて」
「ああ、何?」
「あたしも、好きよ。だからあたしで、してもいいよ」
「なんだよ」
「ほかの子で、しちゃいや」
「わかってるって。なおでしかしないよ」
「じゃ、おやすみ。やりすぎないでね。疲れるよ」
「わかったよ。じゃおやすみ」
おそらくこんなやり取りで電話を切った覚えがある。

私は、オナニーをあまりしない学生時代だった。
まったくというわけではないけれど、必要でもなかった。
でも、その晩はしてしまった。
彼の顔や声を妄想しながら。
すぐに逝きついたのを覚えている。

あくる朝、母から、
「きんの(昨日)、遅うまで電話してたな。彼氏か?」
と、突っ込まれて、私はたじたじだった。