私が幼稚園の年長さんだったころだと思うんだけど、父が「デズニーランド」に連れてやると言うてくれた。
父は「ディズニー」を「デズニー」と発音した。

しかし、よく考えてほしい。
私は昭和37年生まれであり、その私が五歳の時に、日本に「ディズニーランド」は存在しなかったはずである。
でも父は連れて行ってくれると。
そのころ、私は「ダンボ」がマイブームで、アニメ映画も母と一緒に観て大好きになっていた。
だから仕事がちで家族サービスなんかできなかった父が、一人娘のゴキゲンを取ろうと「ディズニーランド」行きをのたまったのだった。

で、連れて行ってもらったのは、なんと奈良の「ドリームランド」だったのだ。
父に言わせれば「デズニーの日本支店」だと言うではないか。
後で知るが、父は、こういう「出まかせ」を言うのが常で、「スイカの種を食うと尻から芽が出る」とか、「力道山は肉を食いすぎて死んだから、肉を食う時は野菜も食え」だのと、幼い私に吹聴し、私が「ええ歳」になるまで信じ込ませ、世間で大恥をかくことになっても、その時にはもう、父は草葉の陰に、お隠れになっていたのだった。

それでも「ドリームランド」は、私にとって楽しく、ミッキーさんや、ダンボや、シンデレラはいなかったけれど、異国情緒たっぷりで、父が好きだった「ウェスタン」風の汽車ポッポが園内を走り、私も父母も「ごきげんさん」だったのが思い出される。
※父は映画が好きで、西部劇とチャンバラとヤクザ映画にどっぷりだったのよ。

私は、最後に「お馬に乗りたい」と所望した。
そう、園内でロバに乗せてもらえるアトラクションがあったので、子供らが並んで乗せてもらっているのを私は「いいなぁ」と思って見ていたのだった。
「あれはロバやで、なおこ」
「ロバでもええから、乗りたい」
「よっしゃ、乗せたる。ほんで写真を撮ろや」
「うあ~い」
そうして、おしっこ臭いロバに乗っかって、写真に納まったのである。

「ドリームランド」は、しかし、夢の国らしく、高度成長期の核家族のレジャー施設として名を馳せ、近畿圏では知らない人はいないくらいに繁盛していたのである。
じきに、大阪万博がやってきて、大阪はつかの間のお祭り騒ぎで湧くのだが…

すると、母の思い出も書かねばなるまい。
ある日、父の行きつけの喫茶店に母と私も伴って行ったことがあった。
そこは、その頃では珍しい、いろんな国のコーヒーを飲ませてくれる本格派のショップだった。
父はコーヒーとタバコとお酒があれば口は寂しくないという人だったので、こういうお店をたくさん知っていたらしい。
反対に、母は、下戸だし、コーヒーなんて、はいからなもんを口にしない人だった。
※母は、父のタバコをかすめて、隠れて吸っていたのを見たことがあった。なんでそんなことをしていたのだろう?

父はいつもの「ブレンド」を頼み、母は逡巡してやっとメニューから「ブラジルサントス」を選んだ。
おそらく、コーヒーといえば「ブラジル」と母の頭の中では直結していたのだろう。
私は子供だったので、ミックスジュースをもらった。
母がコーヒーを一口すすったところ、
「せんぶりみたいやね」
と言って顔をしかめた。
「ほうかぁ?どれ」と、父が母のカップを取って一口飲んだ。
「こんなもんやろ?コーヒーは苦いもんやで。お前は、茶ぁばっかし飲んでるからわからへんね」
「そやろか?もっとお砂糖入れな、せんぶりやわぁ」
「せんぶり、せんぶりて言うな、あほ。ママに聞こえるやんけ」
と、父がたしなめる。
ママと呼ばれた、このお店の女性は、にこやかに「奥さん、ブラジルサントスは苦いもんです。モカマタリなんかが、やわらかい味でお口に合うかもしれませんね」と言ってくれた。
「すんません。味のわからんもんで」と、母が謝る。
私はミックスジュースを、ズビズビとストローで吸いつつ、そんな会話を聞いていた。

母の言う「せんぶり」とは「虫下し」のお薬で、漢方か民間薬か知らないが、在所の人たちの間では有名な薬だった。
「千回振って煮出しても、まだ薬効(苦味)がある」というほど苦いのが特徴で、それが名前の由来だと後で聞いた。
そんだけ苦いものを、お腹(なか)に入れれば、腹の虫も驚いてお尻から飛び出すというのである。
きしょく悪い(気色悪い)話だった。
とはいえ、「ブラジルサントス」が「せんぶり」に、たとえられては形無しである。

思春期になって、男の子が自分で慰めることを「せんずり」だと言うのだと聞いて、私は「せんぶり」を思い出してしまった。

開高健(かいこうたけし、1930~1989)が、ウィスキーの話で、フランス人は「スコッチは南京虫の匂いがする」といってバカにしながらも、高いスコッチをイギリスから輸入してまでも好んで飲んでいると書いていた。
いったい南京虫はどんな匂いがすると言うのだろうか?
かつて、ある酒好きの男友達に、酒の席で訊いたところ、
「そんなら、スコッチの匂いを嗅げばいい」と、至極まっとうなアドバイスを受けた。
たしかに、スコッチの匂いが南京虫の匂いだというのだから…
あれからスコッチはいろいろ口にしたが、ハイランド系やアイラ系のピート臭の強いものがそうなのかもしれないと思った次第である。
化学者になって、その系統の香りはスモーキーとかフェノリック(フェノールもしくは石炭酸)と表現されるものだと知った。
日本人なら「正露丸」の匂いといえばしっくりくるだろう。
ピート(泥炭)を燃やして、麦芽を乾燥させるのでそこから由来する成分にフェノールやナフタレン系化合物があるのだった。
すると、南京虫(とこじらみ)にその成分があるのだろうか?
海外旅行に行くとよくもらってくる虫で、欧米では「bed bugs」と呼ばれて苦笑される。
それだけ普通にいる害虫なのだそうだ。
私は、匂う虫は「カメムシ」しか知らなかった。
驚くなかれ、トコジラミはカメムシ目で、カメムシの一種だったのである。
すると、スコッチの匂いはカメムシのしつこいあの匂いか?
中国語では「臭虫」と書くらしい。
う~ん。
「ボウモア12年」を嗅いでみた。
口に含んでみた…
そういえば…そうかもしれない。
でもおいしい。