わたしは、旧帝国海軍の戦記物の中で水兵さんが支給品の羊羹を楽しみにしているというような記事を読んだことがあった。
そういえば『どてらい男(やつ)』というドラマで主人公の西郷輝彦が扮する「もうやん」の上官である「鬼軍曹」(藤岡重慶)が赤い羊羹をまるかぶりしていたシーンもあった。これは旧陸軍での話だが。

すると、重労働の兵隊生活では甘いものが要求され、羊羹はかっこうの携帯食になったのだろう。
海軍羊羹」なるものが「さかくら総本家」という横須賀の和菓子店で販売されている。
由来も明治時代から海軍御用達という歴史だった。この「海軍羊羹」は高級品で、軍艦内の売店で売られていたそうで、配給品ではなく一棹が「1円(今なら約2000円)」という、しっかりとしたお値段だったようだ。

海軍特務艦のひとつである給糧艦「間宮(まみや)」の艦内で作られたらしい「間宮羊羹」なるものもあり、どうやら海軍は自前でも羊羹をこしらえていたようだ。
「間宮」では、パンも開発されていたらしく「スネキ」というデニッシュのような渦巻き型パンが試作されていたらしい。「スネキ」とは「スネーク」つまり「蛇」のことだろうか?
1930年頃の間宮[1]
給糧艦「間宮」1930年ごろ(Wikipediaより)

Wikipedia「間宮」によれば、艦内でアイスクリームやモナカ、ラムネなども作っており、軍属の腕の立つ職人が乗船していたという。なんといっても生鮮品を大量に保管できる冷蔵および冷凍設備がととのっていたことが昭和初期としては画期的な艦だったということだ。
「間宮」は海軍では主力艦なみに大事にされ、船足も遅いのでその行動は単独が多かったものの、護衛の駆逐艦が「間宮」の周りを固めるという厳重さだった。
その意義は、糧食や酒保をあずかる艦なので、万が一沈没となると艦隊の士気にかかわるからだった。
命をかけた戦場での「オアシス」のような「間宮」がことほどさように大切にされたのには当然の理由があったのである。
また「間宮」に乗艦させられた軍属職人の待遇は良く、他の艦の水兵たちよりも衛生面重視から入浴が制限されることなく、戦時下とはいえ快適な生活を約束されていた。
さらに「間宮」は病院船の任務もあり、その設備も充実していたし、主力艦隊から離れて航行していることが多いために最新の通信設備を備えて「傍受」と「中継」の「通報艦」としての任務も帯び、歴代艦長には通信のエキスパートが選ばれていた。

太平洋戦争中は輸送艦としての任務が中心となって蘭印やフィリピン、マリアナ海域の海戦に従事し、危ない目にも遭っている。
「間宮」は、昭和十九年十二月二十一日に運命の時を迎えた。
南シナ海で米海軍の潜水艦「シーライオンⅡ」の発射した水雷が命中して沈没してしまったのだった。

「間宮羊羹」は「呉風月堂」で賞味することができるそうだ。
海軍の支給品(陸軍では加給品と呼んだ)にはたばこ一日20本、甘味(和菓子)、サイダー、酒類などがあったらしいが、上記の「海軍羊羹」は高級品であり、もっと廉価な羊羹もあったのだろう。おそらく「間宮羊羹」は廉価なものだったのではないだろうか?ほかに饅頭などが人気だったらしい。
大隊などでは烹炊員(ほうすいいん)が饅頭を現場でこしらえて配給していたという話も聞く。
サイダーは、巡洋艦クラス以上の艦では製造工場(設備)が艦内に備わっていたらしい。
海軍航空隊では出撃前にパイロットたちは巻きずしを支給され、恵方巻のごとくまるかぶりして搭乗したそうだ。なんでも、海苔巻きなので手が汚れず、酢飯の酸味で唾液が出て飲み物がいらないので好まれたらしい。太巻きではなく、かんぴょう巻きのような細巻き寿司だったようだ。
※ちなみに少なくとも関西以西では「かんぴょう巻き」を食べる習慣がまったくないので、その名前すら知らない人も多い。関東に出張したり、嫁いだりして「初体験」した関西人が驚きをもって「なんや?これ」というリアクションをした人が多い。

長崎の佐世保や佐賀県のほうには陸軍御用達の菓子舗がのきをつらねていたそうだ。
江戸時代に西洋文化が入ってきた長崎から「シュガーロード」が生まれたのも無関係ではない。
やはり羊羹は人気で、北九州地方は炭鉱町でもあって肉体労働者は甘味を好んだという下地もあり、和菓子の菓子舗が活況だった。これは「銘菓ひよこ」(吉野堂)の説明書にもある。

お菓子から戦争をながめるのも有意義なことだ。
「間宮」という特務艦を材料に何かお話を書けたらと思う。