結婚までして子供をつくらなかったことについて、最近「親不孝をしたな」と思うわけ。
子供をつくらないなら結婚なんてしなけりゃよかったのよ。
生物として、子孫を残さなかったのは非常に残念だ。
若いうちは、気づかないんだね。
「アリとキリギリス」の寓話のように、世間から外れる生き方を謳歌していた私。
年を経ると、そういう考えがいかに浅はかで身勝手なものかを思い知るのだ。
後悔だけが残る人生。
悔恨の人生。

妊活にいっしょうけんめいになっているカップルを笑えない。
昔は斜に見ていたはずなのに。
「がんばれ」と応援している。
私の分もがんばって、子供を授かってほしいと。

婚活も妊活も、もはや笑えない。
彼らは、まっすぐに生きたいのだ。
人として、まっすぐに、親に孫の顔をみせてやり、安心させてやりたいのだ。
それが一番の親孝行だろう。
昔も今も変わりはしない。
ただ、子供の考えが変わってしまい、親も子供に気を遣ってしまう。
よく「価値観が変わった」というが、はたしてそうか?
誰しも、人生の終わりに近づいてから「ああ、なんと自分勝手に生きてきたのだろう」と思うのではなかろうか?
結婚し、子をなした人はあまりそういう後悔はしないだろうが、結婚もせず(できず)、子供も残せなかった人は、たいていそう思うはずだ。
ただ、もはやどうにもこうにもならないから、強がって「私の人生に悔いなし」なんてうそぶく。
本当のところは、後悔だらけなのだ。

親の死に目に遭い、孫の顔を見せられなかった自分を嫌悪したことはないか?
「なんというひどい人間だろう」と一瞬でも思いはしなかったか?
バブルの頃、自由気ままに生きて、結果的に親の期待を裏切り、自分が老いてから悔恨する。
思えば、最低の人生ではないか?
私がそうだ。
まったく、どうしようもない。
私には、障がい者の夫を看取るだけの人生しか残されていない。
自業自得のつらさは、人に言えない事だろう。
自己責任でしでかした事は他人に聞いてもらうことができない。
黙って、墓場への道をとぼとぼと歩くほかないのだ。

師走の街に出ると、子供を挟んでカップルが楽しそうに歩いている。
自分を親として庇護を求める我が子の愛おしいこと。
「さあ、なんでも買ってあげるよ。欲しいものを言ってごらん」
クリスマスが近づいたこの頃、そういう親子の姿を見るとほほえましい。
兄弟げんかも知らないし、姉妹で贈り物をすることも知らない。
私は一人っ子だったから。
その分、甘やかされていたが、そのことが老境に入ったときに自分に重くのしかかろうとは思いもしなかった。

やり直せるとしたら…
寝床で考えることはそんなことばかり。