緊急事態宣言延長で、多くの人が「もう限界」と悲鳴を上げているそうだ。
だから新宿などは人出が増えている。
深夜の飲食店の営業が禁じられているからか、二十代ぐらいの男女たちが路上で酒盛りをやっているのだった。
私は、彼らが酒盛りをすること自体は自由だと思っている。
同情もする。「あれも、これもダメだ」となれば、いい加減、辛抱もたまらなくなるだろう。
そんなことよりけしからんことは、彼らが去ったあと、空き缶やたばこの吸い殻のポイ捨てがとても多いことだ。
これはモラルの問題だ。
大人がそういうことをしてはいけないだろう?
警察官がかいがいしく、路上の掃除をなさっていた。
ちゃんとゴミを持って帰れよな!
新型コロナがどうのという前の問題だ。
路上飲み会の後、若者が街をきれいにして立ち去り、美しい新宿の朝が迎えられました…となれば、私は「あっぱれ」だと言いたい。

ところで、そんなに家にいることがストレスなんだろうか?
各家庭での事情もあるだろうから、一日中、家族と狭い空間で顔を合わせていれば不満も溜まろう。
私のように、宇治市という郊外に住んでいて、都会の喧騒から遠ざかり、はたまた家には体と口に不自由な夫が一人いるだけで、もう十年もこの隔絶された生活をしていると、新型コロナのこともどこか遠い国の話のように思える。
確かに、ちょっと買い物に出るのにマスクが手放せないとか、仕事がリモートになってほぼ出勤しなくなったとか、こんな私でも生活の変化はあった。
それでも、「外で飲みたい、騒ぎたい」という欲求は起こらない。

元来、私は「引きこもり」の気(け)があるのだった。
社会が苦手で、初対面の人と話すのはやっかいだ。
人の多くいる展示会などに会社から駆り出されるのも嫌だった。
今は、それほど嫌ではないのだが、初日はいつも億劫である。
そして、こうやって「家内工業」が続くと、たまさか会社に出頭するのもめんどくさくなる。
電話やメールで済まそうとか、そういう選択肢を選びがち。

FM放送を聴きながら、ステンレスパイプを研磨する毎日。
疲れたら万年床にひっくり返って寝てしまう。
目が覚めたら枕元に積んである本を適当に手に取る。
また寝る。
ごはんの支度にとりかかる。旦那のトイレ介助が一時間ごとに入る…
晩酌に一合の酒を温める。
「この本、読んだっけ?」
なんてことがまた始まる。
今日が何曜日なのかも、しばらく考えないと出てこない。

ジッポーの火をながめているときもあった。
ノギスに油をさして、摺動の具合を見ているときもある。
新聞の詰将棋を考えて見たり。
ネコの「みすゞ」がいなくなって、その寂しさは今もある。
縁があれば、またネコを飼いたい。

「水飲み鳥」が止まっている。
自然に動き出すこともあったが、もう数日、止まったままだ。
寒いと、エネルギーの循環が途絶えて、なかなか「エッジ」の摩擦に打ち勝つほどの運動を生み出せないでいる。
こういうときは、この鳥のお腹に当たるガラス球の部分を手で握って温めてやる。
すると中の有機溶剤が手の熱で膨張し、鳥の首(ガラス管)を昇って、顔に達する。
そうすれば「水飲み運動」を始めるのだった。
熱と運動の平衡に達するまで、外気温にもよるが、数日はこれで動き続けるはずだ。
外気が十分暖かく、湿度も梅雨時のように高くなければ、ほぼ永久に(永久機関ではない)動く仕組みなのだ。
一人でいるとき、私はこの「水飲み鳥」をながめて、いろいろ思索にふけることがあった。
「スターリングの機関」がこの鳥のおもちゃに活かされていることも知った。
大学生の頃、熱力学の成績があまり良くなく、苦労したのに、人生の半ばを過ぎて、この鳥によって「ああ、そういうことか」と気づかされたのである。
科学というものは、経験と発見なのだなと思う。
その前に「疑問に思う」ことが大切なのだ。
「そんなもの」とやり過ごしていると発見はない。

すると家の中に、いろいろ不思議なものが存在することに気づく。
例えば、乾湿計だ。
乾球と湿球の温度差で湿度を見る温度計だが、水の蒸発潜熱(気化熱)、ひいては水の比熱という熱力学的な考察に行きつく。
注射の時に消毒で塗られるアルコールが冷たく感じるのも気化熱のせいだとは、小学校の時に予防接種のお医者さんから教えられた。
夏の「打ち水」、濡れた体で扇風機に当たるとよく冷えるとかも。
幼いころの経験が、すべて科学で解けるのだという不思議。
私が中学の頃に「同じ現象だと思われること」を集めることに夢中になったときがあった。
乾湿計、打ち水、冬の息が白いこと、洗濯物の乾き方…

一人で考える習慣は、そのころからあったように思える。
別にそれで、立派な科学者になったかというと怪しい。
ただ私の中で「納得するまで考える」ことには役立った。
私は納得しないと承知しない性分だったからだ。
納得の程度は「浅い」ものだが。
そこそこで折り合いをつけるようになったのは大人になった証拠かもしれない。

何の話だったろう?
こうやって一人時間を過ごすことに、私はストレスを感じないからか、早くコロナ禍が去ってほしいとは思いつつも、「外へ出て騒ぎたい、人に会いたい」とは思わないのである。