仕事をしながら、ラジオを聴いている。
いつもの夜。

夜が来る
昔からこうして、一人の時間を持っていた。
とくに私が引きこもりだとは思っていなかったが、世間ではそうだと言われる。
ひとに誘われても、断ることが多くなり、次第に、誰からも誘われなくなった。
振り返れば、両親が亡くなってからは、その傾向がひどくなったように思う。
夫とは、もともと会話が少なかった。
そのうちに、彼は脳出血で倒れ、ほぼ寝たきりになって今に至っている。

孤独かと言われたら、そうなるだろう。
私は無自覚な孤独を気取っていたが、子供でもいればそれなりに充実した毎日だったかもしれない。

幼いころから、絵を描いたりすることは好きだった。
図工の時間を待ち望んでいた小学生だった。
中学生になって人の絵を見る楽しみも知った。
有名な画家の絵を美術の教科書で見て「クレーってええなぁ」などと言っていたものだ。
パウル・クレーは今も好きである。
書道をやり始めたのは、小学生のいつだったか思い出せないが、師範について本格的に学んだのは高校生になってからだった。
それでも三年生にもなると大学受験を控え、書道を辞めることになるが、ずいぶん経って勤めてから、ひょんなことから別の老師範の師範代として再び筆を持つことになってしまった。
その老師範は糖尿のくせに、すけべな人で、私も可愛がられてしまった。
しかし、師範からいただいた書や漢字の知識は今も役立っている。

俳句趣味は母の影響である。
母は文学少女のまま大人になったような人で、彼女が遺した蔵書は膨大である。
父も母も高等学校しか出ていないが、本はよく読んでいた。
私は、しかし、思春期の頃まで、文学作品らしきものはまったく手を付けず、図鑑や戦記物ばかり読んでいたのである。
これは同居していた父の弟、当時、大学生だった叔父の影響であろう。
アマチュア無線や海外短波放送受信、プラ模型、ラジコンはすべて叔父の勧めで始めたものだけれど、同級生の男子にも受け入れてもらえ、友達には苦労しなかった。
思えば、あのころは引きこもりではなかった。

母は、俳句関係の本をたくさん所持していた。
だからか歳時記や草花に詳しかった。
借家の猫の額ほどの庭で、いろいろ花を育てていたっけ。

今になって、私も母の蔵書をひも解くことがある。
俳句はもちろんおもしろいのだが、俳人という人種の多様な生きざまに惹かれるのだ。
わずか十七文字の文学に生涯を掛ける男や女の生きざまである。
それも明治から戦後の復興期までの激動の歴史の中で、日本が日本として成り立っていく中で、十七文字がいかにその花を咲かせたか…江戸期の芭蕉や一茶や蕪村にはない、近代俳壇の歴史はそのまま日本の近代化の産みの苦しみを表しているように思えてならない。
そして私も拙い俳句を詠んでみたりする。

したがって、こんな理系の女でも文学作品を読んでみようかとこのごろになって思うのだった。
読書はやはり、楽しい。
孤独を和らげてくれる。
本を通じて、作者の世界を疑似体験し、私にとって物理的には無理な見聞を広げることができるからだろう。
他人の考えに触れるには、とくに故人の場合、その人が遺した文章によるしかないのだから。
それがデカルトであり、ショーペンハウアーであったりするわけだ。
私が化学を専攻したために、哲学と科学が密接であることに遅まきながら気づかされた。
大学は最高学府であり、そういう意味で貴重な殿堂なのだ。
科学史を履修すると、人類の進歩がどのように歩んできたかを知ることになり、苦手だった数学や物理にも興味が湧くようになった。
私の数学の解き方はひどいもので、回りくどく、高校の数学の先生にはよくあきれられたものだ。
ただそれでも正解にたどり着いていたので、先生は及第点をくれたのである。
この紆余曲折が、おこがましくも人類の進歩に似ていると私は思ったのだ。

驚くべき結果を公開して迫害を受けた先人もいたが、それでも真実に近づこうとした数学者の命がけの取り組みを知るにつけ、受験数学で苦しんでいる私など、取るに足らないではないかと思うようになり、遠回りでもいいから、数学に対してもっと謙虚に「味わう」ことにしたのである。
数学は「数楽」であるとだれかが言っていた。
小平邦彦先生や矢野健太郎先生の著書でそのことを実感したものだ。

叔父や両親が相次いで亡くなり、仕事に行き詰まりも感じて最初の会社を辞め、相続を経験して興味を持った法律の勉強でもしながらしばらくぶらぶらして、社会のことを少しでもわかろうとした。

転機は突然訪れた。夫が倒れたのだった。
もう勝手気ままには生きられなくなったのだ。

今の会社に入って、そろそろ十五年になるが、新型コロナ禍の中、CAD(図面作成ソフト)を使う機会が増えて幾何学に興味が出てきた。
CADで遊ぶことを覚えたからだ。
それまで人の描いた図面の寸法直しとかのフィードバックをしていて、無味乾燥な仕事だったのだが、私のCADの師匠の女性が幾何学の問題を出してくるもんだから、面白くなって、夢中になっている。
折り紙で幾何学をやったり、パズルを購入して枕元でごちゃごちゃやっているとすぐに時間が過ぎてしまう。

小平先生の影響で「ユークリッド原論」を読破してみようと思い、昔に買ったのを引っ張り出してきた。

昨年、新型コロナ禍で始まった蟄居生活で、科学趣味インテリアを飾っていた。それはいまも少しずつ充実させているけれど、ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサントの影響だった。
「箔検電器」や「フレミングのぶらんこ」や「鉱石ラジオ」などを作って、化石や鉱物標本と並べて飾るのである。
そこには共通して科学の原理が流れていなければならない。
二十二年寄り添った飼い猫の死もあって、気分的に冴えなかったが、科学が私のよりどころになった。

観天望気や天文、地球科学、SDGsも自分なりに面白みを感じて実践している。
ジュール・ヴェルヌが法律家の父の期待に背いて、密航して冒険を企てたとき、失敗して連れ戻され、厳しく叱責されたと伝えられている。
その彼が、父に従い、想像の中で冒険をすると誓い、SF文学で身を立てた。
私も、想像の中で、自由な旅をしてみたい。
いや、それしかできないだろう。
こうして、図上旅行がはじまった。
私の一人旅は始まったばかりだ。
私の脳内旅行である。

そうだ、大きな地球儀を買おう。