私が、世の中の動きに「ついて行けへんなぁ」と思うようになって、振り返れば、早や十数年。
体力的に「そうなる」のはわかっていても、精神的にもそうなってしまっていた。

当然、お手伝いしている塾の生徒さんとは「別な生き物」かと思うくらい距離感があって、そうね、ネコと会話しているみたいだ。

私には二十から三十代の知り合いがほとんどいないので、テレビで見る彼ら、彼女らとも、おそらく同じくらい、遠い存在のように思えるのではないだろうか?
ゲームの話をされたら、歯が立たないから、私、逃げるね。
二年ほど前、夫が通う施設に、ある若い介護士の女性がいたんだけど「ツムツム」の話ばっかだったもんね。今はどうしてるか知らないけれど。あと、あの業界の人はパチンコする人が多いわ。「海物語」の話で盛り上がったり…

ゲームなんてのは碁将棋とマージャン、花札、カブ札、チンチロリンしか知らない『じゃりン子チエ』の世界で生きてきた私だから、スマホでゲームはついて行けへん。目ぇが見えへんし。還暦近くになってあの画面はつらいものがあるのよ。
だいたい老眼になってからスマホデビューしたんだからしょうがないのよ。
私の仕事が顕微鏡の下でやるものが多いので、老眼になるのも早かった。

そうそう『じゃりン子チエ』と言えば、私は、アニメっていうのは大人になってから観てないな。
今の、美しすぎるアニメはちょっとなぁと思う。それなら実写にすれば?とさえ思うのよ。
映画だって根気がないから、すぐ寝てしまうような失礼な私だった。
そんでも『ワイスピ(ワイルドスピード)』は全部観た。あれは寝てられないくらい面白い。
だったら「本はよく読むでしょう」と言われるとつらい。これまた、数ページでいびきかいて寝てるらしい。
私は本をたくさん持っているが、読むのはとっても遅い。
知らない単語や漢字が出てくると「広辞苑」を引いたり、時代物だと年表を調べ、地名は地図帳を当たったりするから、さらに遅くなる。
そういうのが読書だと思っているし、楽しいからだ。
ゆえに「積ん読」が増えるわけだ。
ある日、莫大な蔵書で二階が落ちてしまった人のニュースを見て、私は、そら恐ろしくなったことがある。
だったらKindleにすればと思うのだが、本は紙でないとだめなんだなぁ。古い人間ですからね。
内藤陳が「読まずに死ねるか」といって、莫大な本の中で亡くなった。
私もそうありたい。

塾生の中学生の奈津子(仮名)に「チックトック」と言ったら、笑われた。
「なおぼんせんせ、ティックトックやろ」ってね。
サンドウィッチマンの「つっこみ」みたいに言われたわ。
「ニジュー」なのか「ニジウ」なのか、私にはいまだにわからんし。
そういえば、フランス人の先生に「アジュー」って言って「?」みたいな顔されたっけ。
私は「アデュー」(さいなら)のつもりやったんやけど。

瓜生(うりう)さんってのが知り合いにいて、そのかたは「うりゅー」と発音するんだけど、まわりの人々は「うりう」とはっきり呼ぶのね。
「ほんとは、うりふなんだ」と、うりゅーさんが告白し、私はさらに混乱した。

「ラァディカル・スキャベンジャー、ユーノゥ?」
「あいしー、あいしー、らじかる・すかべんじゃ。おっけぇ、ぷりぃず」
なんてことをやっている化学者が私だ。

通じるときは通じるものである。
相手も人間だから。