八十八夜も過ぎ、宇治は茶摘みの真っ盛りです。

方丈に 今とどきたる 新茶かな (高浜虚子)

こんな俳句も思い出されます。

春蝉という昆虫をご存知の方、どのへんで鳴いてますかね。
私は、いまだにこの蝉の鳴き声を知らない。
高野素十(たかのすじゅう)は医師であり、俳人なのですが、彼は昆虫をよく詠む。

松蝉や 二つ三つづつ 鳴き揃ふ (高野素十)

「松蝉」とは「春蝉」のことらしく、今の時期に松林で、よく鳴き声が聞かれるのでこの名があるそうな。
素十は茨城の人で、学生時代は新潟に寄宿していたとか。それで東京帝大医学部に入られる。
先輩に水原秋櫻子(しゅうおうし)がいて、彼もまた医学部生だった。
東大俳句会に二人は参加し、句を競ったそうな。
スポーツも好きで、当時入ってきたばかりの野球に熱中し、素十と秋櫻子のバッテリーも組んだという。
若いっていいなぁ。
あのころの東大は、人材のるつぼだったんだね。
優秀な人々が集まり、それがまた引力になって、もっと優秀な人々が集まる。
もちろん、良い家柄に育って、恵まれた人たちだったのは今も昔も変わらないけれど。
素十は「ホトトギス」に初投句して入選した。

卯の花の匂う垣根に、時鳥(ほととぎす)早も来、鳴きて、しのび音(ね)漏らす、夏は来ぬ
佐々木信綱のこの詞は、テンポよく、口ずさみやすい。

「卯の花」はウツギのことで、この花が咲くのは「卯月」、つまり四月である。
よってこの「夏は来ぬ」は、五月になる前の初夏(立夏より前)を言っている。

そして、ホトトギスが鳴くのも四月ごろだという。
「しのび音」は、その語感から「ひそかに鳴く鳴き声」のように捉えられがちだが、ホトトギスやカッコウは「キャッキャッ」とかなり、やかましい鳴き声だ。
人によっては「テッペンタケタカ」と聞こえるといい、いや「ホトトギス」って聞こえるよともいう。
仲間のツツドリは「ポンポン」と竹筒を叩くような声だからその名があるし、ただ彼らは五月から夏本番にかけては夏山の名物鳥であり、やや人里から離れた森林ではよく鳴き声が聞こえる。
じゃあ、どうして「しのび音」を「漏らす」ように鳴くなんて言うのだろう?
その季節に初めて発声する「初鳴き」をそういうのかもしれない。
別に、ホトトギスは、今年初めて「えー、みなさん」と、こっそり鳴くのではなく、ド派手にギャアギャア鳴くんだけれど、最初は遠慮がちに鳴いてんじゃないのという詩情を、俳人や歌人が言葉に込めたんだろう。

ホトトギスにはいろんな故事があるようで、正岡升(のぼる)が「子規=ホトトギス」という俳号を名乗ったのは彼が肺を病んで、喀血したことを、「ホトトギスは血を吐くまで鳴く」という故事になぞらえている。
ホトトギスの口の中が目立って赤いことからそんな故事が生まれたのだろうと、鳥類学者らは言う。
宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」にもホトトギス(カッコウ)の故事が出てくる。

漢語で「子規」と書けばそれは「ホトトギス」のことであるらしい。
徳富蘆花の「不如帰」も「ホトトギス」であるが…
そういうわけで、子規の興した近代俳壇の同人誌が「ホトトギス」と銘打たれた(創刊はひらがな表記)。

柿の花 土塀の上に こぼれけり (正岡子規)

この人は柿が好きなんだなぁ。
私も、高安の家(父方の祖父母の家)に行ったときは、柿の木が何本か屋敷にあったので、柿の花を知っている。
壺井栄の「柿の木のある家」という童話が、まさに私の幼いころの高安の家にそっくりだったので、今も懐かしさの余り、本を開くことがある。

柿の花は地味で、大きな丸い葉っぱに隠されてよく見ないと気づかない。
その花もじきに、小さな実をつけ、青い柿の実をたわわに成らせる。

初夏は、なにやら気持ちがそわそわして、落ち着かない。
栗の花の香りがそうさせるのかもしれない。
匂いに満ちている季節なのだった。