あるいはまた晩秋の橋桁の下などから醸された苦痛な恐怖感は、あくまで執拗にまといつき、どこまでもしみこみ、すべての存在を嫉妬するかのように、その恐ろしい現実に執着して離れない。
しかし、人間は、できるだけそんなものを早く忘れてしまいたいのだ。
夜の眠りは頭の中の恐怖の傷跡を静かに削り落とす。がしかし、再び悪夢は眠りを追いのけて、また恐ろしい古い傷跡の線をなぞるのだ。
人々は目をさまし、あえぎ、闇の中に一本の蝋燭の灯をともして、ほのかな弱い明りにただ安堵を求めようとする。
そして、甘い砂糖水のように、悲しく蝋燭の慰めを吸うのだ。いったい、人間の心の安定はどんな稜角の上に立っているのだろうか。
ほんの少しばかり回転しただけで、不安な恐怖が影のようにうすらぎ、日常見なれた親しい周囲が再び目に返って来、一本の蝋燭の灯が優しい輪郭を灰色の闇の中にはっきり映し出すのだ。


(『マルテの手記』ライナー・リルケ、大山定一訳)

昨日で、東日本大震災から10年が経った。
「復興」とは、行政や被害を受けなかった私たち他府県の者が言うだけで、現地の被災者はその言葉を使わないと聞いた時、私は、改めて何も知ってはいない自分を恥た。
「復興道半ば」と言われて、良い気がしないのは被災者の方々の心に希望の光が射していないからだ。 
死者や行方不明者の多寡で災害を比較するものではないが、東日本大震災は文字通り未曽有の犠牲者を出したのである。
二万人近い死者と、行方不明者がさらに二千人以上とも伝えられている。
そこに原子力発電所の事故が加わり、阪神淡路大震災とは違った悲劇を生んでしまった。
放射能汚染は明らかに復興を遅れさせ、将来の展望に靄(もや)をかけてしまった。

リルケの『マルテの手記』の一節を引いたのは、その被災者の心情を、なんとか私の中で理解したいと思ったときに浮かんだからだ。
それでも、まだ、目の前で母が、子が、津波に呑まれていく悲嘆を、私の心の内外(うちそと)で共有できていない。
人の死の何と儚いことか。
「稜角の上に立つ」というリルケの表現が、いくぶん近いのではなかろうか?

私はつまらぬ人間である。