商店街のほうから漂ってくる、お好み焼きやらホルモンのにおいが、すきっ腹にこたえる夕方だった。

俺は物干し台に座って、沈み行く西日を浴びていた。
「たけしちゃぁん」
下の路地から、声変わりしたての甲高い声で俺を呼ぶヤツがある。

はす向かいに住んでいる中西徹(とおる)だった。
徹と俺は同級だけれど、クラスは同じになったことがない。

「なんやぁ」
「ヤスイに行かへんかぁ」
あ、そうか。
安井模型にウォーターラインの新しいのを見に行くと、徹と約束してたんやった。

「下りるわ」
そう、言い捨てて、俺は自分の部屋に引っ込み、小銭入れをズボンの後ろポケットに入れて階下に降りた。
どた、どた、どた・・・

「もう、お兄ちゃん、家が揺れるし、静かに下りて」
妹の和美がふくれっ面で言う。
母親に似て、口うるさい。
「わぁってるて。俺、徹とプラモ屋に行ってくるし、オカンに言うといて」
「またぁ」
「言うといてや」
「ふん」

つっかけを履いて、玄関の引き戸を開けた。
「ほな、行こか」

「加賀と赤城がやっと出たやろ」
「そやねん、待ってたんや」
二人して、道々、軍艦の話に夢中だった。

繁華街のはずれに安井模型があった。
名前とはうらはらに、一円も引きよらへん、安くない店やった。

「ちゃーす!」
入ると、中に横山がいた。
「なんや、なおぼん、来てたんかいな」
「谷口君に、中西君・・・」
驚いた表情で横山尚子が振り向いた。
肩まである髪を一つに束ねている。

尚子も同級で、俺とは同じクラスやった。
こいつは、女のくせにプラモが好きな変なやつやった。
俺らも、話が合うので、あまり女子やということを意識してなかった。
まあ、同好の仲間ってとこや。

「何、見てんねん?なおぼんは」
「あたしな、こないだタイガーⅠ型を作ったやん、あれと組み合わせるジオラマをな、ちょっとな」
「ああ、あれ難しかったやろ。キャタピラ、ゴムやのうて組んでいかなあかんやろ」
「それがええねんがな。ええぐあいにたるみが出て」
いつも、尚子とはこんな具合だった。

「そや、アフリカ戦線やったら、ハーフトラックはどうや」と徹。
「それな、あたしも考えててん。お小遣いがちょっとな」
軍艦はそっちのけで、尚子の相談に乗ってやることになった。

俺は「赤城」を買って、徹は「加賀」買った。
横山は、結局ミリタリーシリーズの人形のセットを買ったみたいやった。

三人で通りに出て、たこ焼き屋に寄った。
お金を出し合ってたこ焼きを一フネ六個入りを買って、その店の中で食べるのだ。
丸椅子に腰かけて、三人がぺらぺらのテーブルに着いた。

「徹のクラスは、文化祭、何すんねん」と俺は訊いた。
熱いたこ焼きになんぎしながら、徹が
「上映会。あつぅ」
「映画すんの。なんの?」
「ないしょ。はふ、はふぅ」
「おいら、芝居すんねん。なぁ、なおぼん」
「そうや。一寸法師」と尚子が言う。
「いっすんぼうしぃ?幼稚園か」
「ちゃうねん。ちょっと大人のハナシになってねん」
「ほぉ」

たこ焼きを食べ終えると、もう日は暮れてしまって、真っ暗だった。
「なおぼん、送るわ」俺は店の暖簾から顔を出して、先に出た横山に声をかけた。
「ええよ。もう、そこやし」
「男二人がついてたほうが心強いやろ」
「ほな、たのむわ」
えくぼを見せて尚子がうなずく。

俺らは、繁華街を外れ、横丁に入り、何軒かのスナックの並ぶ、あまり風紀のよろしくない通りを通っていった。
「この店、朴井の家やろ」
「ああ」と徹。
スナック「ファラン(花郎)」の二階が朴井鉄三という俺らのクラスの厄介者の住まいだった。
母親がここのママで、親父はいないらしい。
別に、乱暴者というのではないけれど、学級会とかでいつも変わった意見を出してみんなを困らせるのだった。
彼特有の「理論」で、やり込められることもしばしばだった。
いつも斜に構えて人付き合いの悪い生徒だが、俺は賢いヤツと密かに思っている。

「朴井は在日や」徹がおもむろに言う。
「そうや。朝文研に入ってるからみんなも知ってる」と、俺が応えた。
「うちらの学校は、多いからな」と尚子。
「打田先生は、朴井らに韓国名で名乗れて言うてるらしい」
打田先生とは俺のクラスの担任だ。
「そんなん、いまさらなぁ。やっぱり、ボクっていうんかな。僕、ボクですって」
「そやろ。向こうの読みやったらパクかもね」
俺と尚子がアホなことを言いながら歩いていると、横山と表札の上がった二階建ての家の前に着いた。
「ほな、谷口君、中西君もありがとう」
「どういたしまして。またあした」
「うん。さいなら」

尚子は引き戸をカラカラと開けて家の中に消えていった。
「ただいまぁ」という彼女の声が背中で聞こえた。

俺らは、月夜の街灯の少ない道を戻って行った。
「なおぼんって、変な子やな」
俺は、何を言うでもなく、そんなことをつぶやいた。
「へぇ、たけし、あいつんこと、ええなって思ってるやろ」
にっと歯を出して笑う徹。
「そんなことあらへん。そら、かわいいなとは思うよ」
「ほら、みてみぃ」
「徹、おまえはどうやねん」
「おれ?べつにぃ」
スキップしながら徹が「加賀」の箱をカタカタいわせている。

行く手に、こうこうと宵待ち月がかかっていた。

横山尚子・・・俺は、少し気になってきていた。

※あたしは、谷口健史君のこと、好きやったよ。プラモのこともよう教えてくれたし。今は、どんな大人になってるかな?会っても、たぶんわからへんやろなぁ。