九月に入ると雨が多くなった。
瀧子は、窓を打つ雨を見るでもなく、眺めていた。
月のものが始まったせいか、お腹がしくしく痛く、一層彼女を憂鬱にしていたのかも知れなかった。

「お嬢様、おくるまの用意ができました」
下男の辰吉(たつきち)が慇懃に礼をして、瀧子の背中に語りかける。
「わかったわ。すぐ行きます」
そっけなく瀧子は答えて、暗い廊下を洋間の方へ歩いて行った。
洋間から玄関に連なっており、そこに当家の車寄せがあった。

京極家と言えば、この街で一二を争う篤志家である。
その長女が瀧子であり、その下に女ばかり二人の妹がいた。
いずれも、美人と噂の高い彼女たちであった。
だから、なにかと世間の耳目を集めたものである。

瀧子が伊勢崎の女学校に入学したとき、楢本のご令息とお見合いをなすったとき、そしてご卒業あそばされたとき、いずれの出来事も街の噂になったものだ。

楢本喜十郎様とはお付き合いをされたものの、先方様から一方的にお断りの使者がお見えになってそれっきり沙汰止みとなった。
なんでも、瀧子様が「未通女」でなかったとかで、先方様、いたくご立腹のご様子だったなどと・・・
根も葉もないことで面子を傷つけられたと、当主でかつ父親の京極欣太郎は楢本家と即刻絶縁を申し付けて、今に至っているのは皆の記憶に新しい。

実は、根も葉もない訳ではなく、瀧子は下男の辰吉と密かに愛し合っていたのだった。
辰吉が学校に上がったばかりのお嬢様を送迎(おくりむかい)する大役をおおせつかって、お年ごろになられたお嬢様を言葉巧みに誘い、淫行に及んだのだった。
お嬢様が破瓜を経験されたのは若干十三歳である。

もとより、絶倫で獣性を隠し持って京極家に仕えた辰吉である。
その後、姉はおろか、二人の妹君までも手にかけるありさまだった。
しかし、彼女たちの口は硬く、その淫靡な行為が露見することはなかった。

こんな話をすると、辰吉が恐ろしい男だと思われるかもしれないが、まったく正反対だった。
彼は、紅顔の美少年がそのまま壮年期を迎えたかのような、無邪気なところを多分に残していた。
瀧子たちも辰吉の屈託のない性分にすぐに惹かれていったのだった。

上州育ちの辰吉は、口減らしと街に出たい一心からこの街で車夫となり、京極家に出入りするようになって、主人の目に留まり、娘たちの学校への送迎と力仕事を頼まれて雇い入れられたのだった。
このような大きなお屋敷には珍しいことだったが、京極家には男手が少なく、当主以外には庭師の老人が一人いるだけなのであった。

「お嬢様、どうぞ」
辰吉は瀧子の手を取り、雨に濡れないよう傘をさしかけ、人力車に乗りやすいよう誘導した。
庇髪と矢絣の着物に袴姿の瀧子は信玄袋を手に車内に収まった。
辰吉は赤ゲットを彼女の膝にかけてやった。
「では、よろしいでしょうか?」
「出して」
秋雨のそぼ降る中を、一輛の人力車がゆく。

両替町を過ぎ、香取橋を越えてその南詰めにカフェーがあった。
もちろん、車夫と主人の娘の関係でこんなところに入る訳にはいかない。
何を噂されるかわかったものではないからだ。
浪人谷までくると人家もまばらになり、雨も小止みとなった。

二人が目指す竹里館(ちくりかん)はもうすぐである。