雲が山を転がるように降りてくる。
カール・ヴィルヘルム・シェーレと山師イェルム、助手のローザの一行は、ファールン銅山の入り口で、近衛部隊の制服の衛兵にウプサラ大学の紹介状を見せて、鉱山内に入れてもらうことができた。

ファールン銅山の歴史は古く、坑道が無数に開けられ、もはや銅を産しない廃坑が山体の南部に集中していた。
シェーレは稼働中の坑道に興味はなく、廃坑の一つで輝水鉛鉱やガーネット(ザクロ石)の出るところがあり、イェルムによってその在り処(ありか)が示されていたのである。
「先生だけに教えまさぁ。ガーネットは粒が大きいんです」
「わたしは宝石には興味はない。ローザと分け合ったらよかろう。輝水鉛鉱がどんなものか知りたいのだよ」
「新しいマテリアが含まれると思ってるんですね」
「ああ、あれは鉛なんかじゃない。もっと別な金属だ」
「そうですかね。方鉛鉱と変わらないように思いますがね」
「ちがう!」
ローザは二人のやり取りを聴きながら、足場の悪い道を廃坑に向かっていった。

不吉な「13番坑」と書かれた木の板が入り口の枠の梁(はり)に打ちつけてあった。
間口は幅が大人一人が横に寝られるくらいで、高さは、ローザがしゃがまずに通れる程度だった。
日の当たる外は、少し暑いくらいだったが、坑道の中は冷えていた。
それに湿っぽい。
地下水が足元に水たまりを作っており、鉄分を含んで赤茶けている。
イェルムがランタンを点けた。
「この坑道はね、二十年ほど前に放置されたんですよ。おいらなんかまだよちよち歩きの頃だ」
「ああ、ここは氷河に削られる前の地層だ」
「古いんですか?」
「何万年も前だろうね。詳しいことはわからんが、そういう本を読んだことがある」
「巨人や竜がいたころでしょう?」ローザが口をはさんだ。
「ローザはメルヘンが好きなんだね」
「じゃ、聖書にでも書いてあるんですかい?」とイェルムが混ぜっ返す。
「ばかな。あんなもの作り話さ」
「神父に聞かせてやりたいね」
馬鹿話をしながら歩くのは、この一行のやり方だった。
退屈で、恐ろしい山行も三人なら難なく歩けるのだった。
めいめいが自分のランタンをかざして、奥へと進む。
坑道は、奥へ行くほど、幸いにして広く、高くなっていった。
「先生、ここがガーネットの層ですよ。ほら」
イェルムが壁を照らしてほじる。その指先に、暗い色の石がのぞく。
「ふぅむ」シェーレが化鉄枠にはまった拡大鏡を近づけて観察する。
「大きいね」「でがんしょう?」
ローザも付近を捜す。
「あら、ここにもあるわ」
「十個もあれば三月は暮らせますぜ」
「まぁ、好きにするがいい。私は先を急ぐぞ」
「へいへい」

坑道を二里ほど歩いただろうか。行き止まりに達した。
「ここまで、ほぼ水平に来たな、イェルム」
「水銀柱(気圧計)は海抜五十尋(ひろ)を指してます」とローザ。
「坑道の口の標高が七十尋ぐらいだったはずだ」
「少し下に降りましたね」
「方位は?」
「坑道から北西に進んでいます」
「まあ、地下では方位磁石も狂うことがしばしばだ、あてになるまい」
「そうなんですか」と心配そうなローザだった。

先に壁の下などをピッケルでつついていたイェルムが、しゃがんだ。そして這いつくばる。
「どうしたイェルム」
「この地層が先生の言うモリブダンを含む岩ですぜ」
「どれ」
ランタンを近づけるシェーレだった。
「ほう。確かに方鉛鉱にそっくりだな」「でしょ?」「が、しかし、方鉛鉱より軽い」
落ちている同じ石の金づちで割りながらシェーレが答えた。
「そうかなぁ。おれにはわかんねぇなぁ」

グスタフ三世直属の鉱山管理官イェルハルドの話では、この南部廃坑はもともと鉄分含む赤土(現在で言うヘマタイト)が豊富で、当初、それが銅だと思われていたらしい。
ローザが赤い水たまりを指摘したのはヘマタイトの色だったのだ。
この赤土は、以後、ファールンの色「ファールンレッド」と呼ばれていわゆる「ベンガラ壁」に使われたようである(日本のベンガラ壁はファールン産ではなく「ベンガル地方」のものだからその名がある)。

「あの場所の銅鉱は早くに尽きて、今、掘っている北部の坑道のほうが銅は豊富なのだ」とも言った。
シェーレも数年前は、銅鉱の副産物を調べたことがあったが、フロギストン(燃素)の研究に忙しくなって、鉱物研究を閑却してしまっていた。
ローザもフロギストンの発見がシェーレ先生によって必ずや、成し遂げられると信じて手伝いをしていたのである。
錫(すず)を燃やすとその灰の重さが、何度、実験しても重くなる…という事実。
実験の誤差ではありえないのだった。
銅や鉄で実験しても同じだった。
シェーレの方法を応用したイェルムの炭(炭素)と、その灰を燃やすと、元の輝く金属に戻ることから、燃やすことで「何か」が増えたり減ったりするのだと気づいていた(のちの還元反応。しかし同時に起こっている酸化反応を彼らは見過ごした)。
それが「フロギストン」だとしたら、なんとかして「単離」しなければ証拠にならない。

後にフロギストンなる「元素」は存在せず、それは酸素という新しい気体の発見によってフロギストン説は幕を下ろすのだった。
酸素の発見はイギリスのプリーストリーとされているが、実はシェーレ先生のほうが早かったのである。シェーレは論文にして発表することを怠ったために、プリーストリーに先を越されてしまったのだった。
「酸素(oxygene)」の命名者ラボアジェはプリーストリーの実験の追試をおこなったが、同時にシェーレからも酸素についての書簡を受け取っていたという。
ラボアジェはシェーレの実験の方が早かったことに気づいていたのかもしれない。

ローザたちは、そんなことを知る由もなかった。

数週間後、ローザたちはストックホルムに戻ってきていた。
シェーレは薬剤所の実験室で、ファールンから持ち帰った輝水鉛鉱を砕いて、ミョウバンと硝石から得た強い酸(硝酸である)で洗い、イェルムに命じて、石炭の粉とともに焼かせた。
そして得た銀色の金属…それは決して鉛なんかではなかった。
「見よ、鉛より硬い」シェーレ先生は小刀でこすりながら言った。
「輝きがちがいますね」とイェルム。
「ギリシャ語で輝水鉛鉱も方鉛鉱も区別せずモリブデナイトと言うから、こいつをモリブダン(モリブデン)と呼ぶか」
「賛成!」とローザが声を上げた。

こうして新しい元素「モリブデン」が発見されたのであった。
※モリブデンと命名したのがシェーレかどうかは不明です。

(おしまい)