私は中学生と高校生の数学を教えている
すると彼ら、彼女らの見ている数学の景色が違うことに気づかされる
A君は平方根が見えていない、Bさんは負の数の概念が危うい、C君は連立一次方程式の文章題に取り組んでいる、高校2年生のDさんはすでに難しい数学Ⅱに挑んでいた
ただA君は数の概念(自然数、整数、有理数、無理数)がわかっているので、中学数学のハードルは越えつつあった。
しかしBさんは、正負の数がもうひとつわかっていない。同じ間違いをしてしまう
モデルを使った説明をするが、抽象的な数式の処理において間違う
移項でのプラスマイナスの入れ替えができない
私が中学の時はどうだったろうか?
機械的にやることでハードルを越えてきたと思う
数直線での負の数の理解でつまづくことがなかった
私は代数より幾何のほうが苦手だったように思う
三角形の重心が対辺の二等分線を1:2に分ける内分点と重なることのほうが「何で?」となる生徒だった
高校数学でデカルト座標と幾何学の結合を学んで、遅まきながら理解できた
つまり代数的アプローチによらなかれば理解できなかったのである
大学の線形代数でふたたびつまづくのであるが…
ヘロンの公式が小学校で習った合同な三角形と同値であること、中学で習う円周角の定理が正弦定理と重なること、x³=8なる三次方程式の解が複素平面で正三角形を表現していることなどを気づくにつれて私の数学の景色は万華鏡のように変わってきた
そこにはガウスやオイラーの天才的発想があったわけであり、デカルトが数直線や二次元平面、三次元空間を座標として概念してくれたからである
二次方程式の解の公式は抽象的ではあるが、ここに到るために因数分解、式の展開の基本事項、数の概念、四則演算、計算法則すべての知識を投入し、平方(正方形)をもとに公式を導く
この景色を美しいとながめられる人と、まったく暗闇に見える人がいることを私は彼らを通して理解した
「視座」という言葉がある
視座が違うと、見える景色が異なる
それどころか何も見えないと言う人がいる
教える側は自分の視座から降りる必要があるのだ
彼らの視座の少し上に立ち、闇を照らさなければならない
高い場所からの投光では暗闇を照らすことはできない
二次方程式の解の公式がx軸、つまりy=0との交点(接点の場合もある)を求めるものだった
それが高校では円の方程式と交わる直線、放物線と交わるまたは接する直線を求めるのも、実は同じ手続きだった
解の公式の判別式Dが視覚的に理解できると景色は変わる
D=0なら接線、D>0なら交点、D<0なら交わらないし、接しもしない
円の方程式にしろ、二次曲線にしろ、結論は同じである
そして小学生なら知っている、円の中心から引いた接点への直線は接線と直交するのだった
これも代数幾何であきらかになる
なんとかして彼らの景色を変えられないか、日々、考えている
すると彼ら、彼女らの見ている数学の景色が違うことに気づかされる
A君は平方根が見えていない、Bさんは負の数の概念が危うい、C君は連立一次方程式の文章題に取り組んでいる、高校2年生のDさんはすでに難しい数学Ⅱに挑んでいた
ただA君は数の概念(自然数、整数、有理数、無理数)がわかっているので、中学数学のハードルは越えつつあった。
しかしBさんは、正負の数がもうひとつわかっていない。同じ間違いをしてしまう
モデルを使った説明をするが、抽象的な数式の処理において間違う
移項でのプラスマイナスの入れ替えができない
私が中学の時はどうだったろうか?
機械的にやることでハードルを越えてきたと思う
数直線での負の数の理解でつまづくことがなかった
私は代数より幾何のほうが苦手だったように思う
三角形の重心が対辺の二等分線を1:2に分ける内分点と重なることのほうが「何で?」となる生徒だった
高校数学でデカルト座標と幾何学の結合を学んで、遅まきながら理解できた
つまり代数的アプローチによらなかれば理解できなかったのである
大学の線形代数でふたたびつまづくのであるが…
ヘロンの公式が小学校で習った合同な三角形と同値であること、中学で習う円周角の定理が正弦定理と重なること、x³=8なる三次方程式の解が複素平面で正三角形を表現していることなどを気づくにつれて私の数学の景色は万華鏡のように変わってきた
そこにはガウスやオイラーの天才的発想があったわけであり、デカルトが数直線や二次元平面、三次元空間を座標として概念してくれたからである
二次方程式の解の公式は抽象的ではあるが、ここに到るために因数分解、式の展開の基本事項、数の概念、四則演算、計算法則すべての知識を投入し、平方(正方形)をもとに公式を導く
この景色を美しいとながめられる人と、まったく暗闇に見える人がいることを私は彼らを通して理解した
「視座」という言葉がある
視座が違うと、見える景色が異なる
それどころか何も見えないと言う人がいる
教える側は自分の視座から降りる必要があるのだ
彼らの視座の少し上に立ち、闇を照らさなければならない
高い場所からの投光では暗闇を照らすことはできない
二次方程式の解の公式がx軸、つまりy=0との交点(接点の場合もある)を求めるものだった
それが高校では円の方程式と交わる直線、放物線と交わるまたは接する直線を求めるのも、実は同じ手続きだった
解の公式の判別式Dが視覚的に理解できると景色は変わる
D=0なら接線、D>0なら交点、D<0なら交わらないし、接しもしない
円の方程式にしろ、二次曲線にしろ、結論は同じである
そして小学生なら知っている、円の中心から引いた接点への直線は接線と直交するのだった
これも代数幾何であきらかになる
なんとかして彼らの景色を変えられないか、日々、考えている