自灯明法灯明(じとうみょうほうとうみょう)は仏陀が死の直前に弟子に伝えた言葉だ
何か迷うことがあったときには、自分に聞け、自分が行く道を照らす灯明になると
それでも迷うのなら、私が説いた仏法をもう一度思い起こせ、それが行く道を照らすだろう

アンジェラ・アキの『手紙 拝啓十五の君へ』の歌詞にもあった
「誰の声を信じ歩けばいいの?」「自分の声を信じ歩けばいいの」
と大人になった「私」が十五歳の「自分」へ指し示す
これはまさに「自灯明」なのだと思う

仏教には宗教的側面と、哲学的側面がある
東洋哲学に依拠する仏教哲学だけれど、洋の東西を問わず普遍的な思想を含んでいる
四大文明、マヤ・アステカ文明を加えれば五大文明を誇った人類は、思想の爆発ともいうべき紀元前500年ごろを迎え、同時多発的に思索することを深めた
それが哲学なのだった
考えを言語化し、文字で記録することが飛躍的に進んだ時代である
現代よりむしろ、アタマの使い方が優れていたのではあるまいか?そうにちがいない
哲学は数学に通じ、論理学として、また天文学に多くの示唆を与えた
自然科学の発展はアリストテレスの「観察」から理路整然と自然を記述することを広めさせた
科学技術は戦いなしには発展せず、兵器と城壁建築で磨き上げられた
農工は庶民の暮らしの礎となり、やがて国家の基盤となる
それでも超自然的な力を信じた長い歴史は存在した
生老病死は防げぬとわかっていても、呪術やあやしげな医療が病んだ人々のよりどころとなった
宗教的側面はそういった心のすき間に入り込む
大乗仏教と浄土思想は庶民のどうしようもない不安を和らげるために急速に広がったし、キリスト教もまた同じだった

生きることは苦、したがって死後の世界に希望を持たせるのが宗教の「飴」であり、信者を集める壮大な詐欺を企てたのだった
おそらく多くの宗教がそうなのだろう
現代において「法」とは法治国家の法律のことであるが、古代で「法」と言えば宗教典が戒める法(たとえば仏法、キリスト教の戒律)であった
つまり、民を治めるにはシバリが必要なのは為政者が考えることだ。そのために宗教が利用されたのであろう
天国に導くには地獄をつくり、恐怖におののかせて、道徳を学ばせ、おとなしい民にする教育を宗教が担った

ありもしない天国とか浄土に、はかない期待を持たせるのは詐欺行為にほかならない
私は門徒であるが、このような考えを持っている信徒である
背徳的だろうか?
阿弥陀如来はそれでも救うとおっしゃる

南無阿弥陀仏

ほんとうだろうか?
法然も親鸞も疑っていたというのに…