梅の花の季節です。
宇治市の南側にある城陽市の青谷梅林も今が盛り。
東風(こち)吹かば にほひおこせよ むめのはな あるじなしとて 春を忘るな(春な忘れそ)
(東の暖かい風が吹いたら、香りを放てよ、梅の花よ、わたしがいなくても、春を忘れてくれるなよ)
という菅家(菅原道真)の御歌が有名です。
道真公がハメられて大宰府に左遷されることとなり、京の都を離れるときに、自宅の庭のまだ蕾の固い梅の木に語りかけたんでしょう。
学校の古典の時間にはカッコ書きの方の句で教わりました。
「な~そ」の係り結びですね。
※「な~そ」は近所の塾教師の兄さんに訊いたら「係り結び」やないとのことです。ほな、なんやねん?陳述用法や。チンジュツヨーホー?聞いたことないわ。陳述の副詞ということで暗記してくださいだと!文系らしいなぁ。
あたしの手元にある「大鏡(おおかがみ)」という平安期の書物には「春を忘るな」とあります。
どっちが正しいのかは国文学の先生にでも伺ってください。
漱石の『吾輩は猫である』には越智東風(おちとうふう)という人が登場しますが、「東風」を「こち」と読ませるよう、本人がしつこく言う段がありましたっけ。
東風は春の季語です。
西の風(ならい)は北風のごとく寒く、春まだ遠しですが、それが東の風になると暖かくなるんですね。
西高東低の気圧配置が緩んだことを示します。
春一番が昨日吹きました。
宇治市の南側にある城陽市の青谷梅林も今が盛り。
東風(こち)吹かば にほひおこせよ むめのはな あるじなしとて 春を忘るな(春な忘れそ)
(東の暖かい風が吹いたら、香りを放てよ、梅の花よ、わたしがいなくても、春を忘れてくれるなよ)
という菅家(菅原道真)の御歌が有名です。
道真公がハメられて大宰府に左遷されることとなり、京の都を離れるときに、自宅の庭のまだ蕾の固い梅の木に語りかけたんでしょう。
学校の古典の時間にはカッコ書きの方の句で教わりました。
「な~そ」の係り結びですね。
※「な~そ」は近所の塾教師の兄さんに訊いたら「係り結び」やないとのことです。ほな、なんやねん?陳述用法や。チンジュツヨーホー?聞いたことないわ。陳述の副詞ということで暗記してくださいだと!文系らしいなぁ。
あたしの手元にある「大鏡(おおかがみ)」という平安期の書物には「春を忘るな」とあります。
どっちが正しいのかは国文学の先生にでも伺ってください。
漱石の『吾輩は猫である』には越智東風(おちとうふう)という人が登場しますが、「東風」を「こち」と読ませるよう、本人がしつこく言う段がありましたっけ。
東風は春の季語です。
西の風(ならい)は北風のごとく寒く、春まだ遠しですが、それが東の風になると暖かくなるんですね。
西高東低の気圧配置が緩んだことを示します。
春一番が昨日吹きました。
にっぽん語って美しいですよね。
昨今では製品名は横文字だったり、アルファベットの製品番号なのが淋しく思うばかりです。
子どもの頃の記憶なので、明確ではないのですが、家にあった洗濯機は「うずしお」とかだったんですよ。他にも日本語の製品名が結構あった気がするんです。
昭和はまだそういうネーミングがかろうじて生きていた時代なんでしょうね。
回顧趣味に走り過ぎて、現在を否定しても仕方ないのですが、なんだか淋しいのです。
本来の日本語がもつ美しさや、幅広い表現を持っていた旧かなづかいも、政府が富国強兵のために、政府の方針をズバっとわからせるために変えられてしまった経緯があるんですよね。
当時それに怒ったのは鴎外だとか。
今の文壇にはそういう人いるんでしょうかね。