東風吹かば にほひおこせよ むめの花 あるじなしとて 春な忘れそ (菅家

春は、香りに敏感になる。
もっとも私は花粉症なので、鼻が利きにくいけれど。

雨と強い風の影響で京都府南部では花粉の被害は出ていないのかもしれない。


すれ違いざま、誰かのたばこの香りに幼いころの記憶がよみがえったりする。
はヘビースモーカーで、天気の良い日など、縁側でよくたばこをくゆらしていた。

父は、仕事が不規則だったのか、私が学校から戻ってきても、煙草をくわえながら新聞をひろげて爪を切ったりしていた。

幼いころ、私は父によく肩車をしてもらった。
すると父の吐く煙がけむたくって、私は父の頭をはたいたり、耳たぶをひっぱたりして抗議したものだ。
「けむいって!」
「すまんね」
それでもその父の香りが今は懐かしい。

私は、大学生のころに、たばこを覚えた。
父の香りを探していたのかもしれない。

このごろは、たばこも高くなり、吸う場所もなくなってしまった。
学校を卒業し、危険物を扱う仕事に就いたので、次第に煙草を口にしなくなった。
私は火災がもっとも怖いのだ。
健康被害よりも、火災防止のために私は、たばこを遠ざけた。

私は、さみしさから「わかば」を買った。
一番安い、たばこだ。
二階の書斎で古本に囲まれながら、一服つける。

「しかし、ようけの(たくさんの)本やな…」
紫煙を吐きながら、父を想い、ほこりの積もった彼の本の山を見る。
父は「ハイライト」派だった。
スカイブルーの箱に赤いテープが似合う、けっこうヘビーなたばこだった。
私も成人してから、父をまねて「ハイライト」をのんでみたが、いやはや目が回ってしまった。
俗に「労働者のたばこ」と異名をつけられた逸品だったそうだ。

化学者になって「ニコチン」と「ニコチン酸アミド」の人体への作用に興味を持った。
どちらも骨格はニコチン酸由来なのだが、アルカロイドの「ニコチン」には依存性があり、「ニコチン酸アミド」はビタミンB群(ナイアシン)の一種で、人体に必須の物質である。
ニコチンは人体のなかで代謝されて発がん性のニトロソアミンとなるので問題なのだ。
ニコチンを、たとえば、硝酸で酸化してやるとニコチン酸となって無毒化され、ニコチン酸もまたナイアシンを構成するビタミンB群である。
これの酸アミド型がニコチン酸アミドなのだった。
ナイアシンが不足するとペラグラ病になるといわれる。
日本人生化学者鈴木梅太郎が「抗ペラグラ因子」としてナイアシンを発見するも、これがニコチン酸、ニコチン酸アミドを含む混合物だということがわからなかった(1911年)。
※ペラグラ病は重度の皮膚障害や光線過敏症を引き起こし、脳症に発展し発狂して死に至る恐ろしい病気である。トリプトファンというアミノ酸が不足し、それによって生体内でニコチン酸アミドが生合成されなくなってしまうことから起こると言われる。トウモロコシを主食とする中南米の風土病とされていた。

ニコチンは「ニコチアナ属」、つまり「タバコ」という植物の属名に由来する。

ニコチンを摂取すると、脳内血流が増して、学習能力、作業能率が向上するといわれ、快感も伴うので依存症になりやすい。
たしかに「頭がすっきり」するような気がする。
ただ喫煙となると、血管収縮が起こり、体温が低下するという症状も見られる。
だから片頭痛には喫煙は禁忌である。
よけいに頭痛がひどくなるからである。

ニコチンは喫煙摂取が主だが、経皮吸収もされるので、たばこ農家の人が中毒を起こすことがあるらしい。
葉の収穫には手袋や長袖の着物がかかせないそうだ。

たばこの副流煙による間接喫煙(受動喫煙、二次喫煙)が問題になって、どこでも吸えなくなった。
こちらは煙に含まれるタール成分の毒性が根拠である。
また呼吸器の弱い人には、どんな煙でも敏感に反応し、喘息などの重い症状を惹き起こす。
たばこのタールには発がん性の極めて高いベンツピレンやポロニウム210という放射性元素が含まれる。
ポロニウム210がなぜ含まれるのかというと、タバコという植物が放射性元素を選択的に摂取し、生体濃縮するからだと説明されている。
これはあらゆる植物にある性質で、福島原発事故の際、ヒマワリを植えて土壌の放射性元素を吸収させ、除染することが行われたことと同じである。
なおポロニウム210は、実は人工的な放射性元素でその出どころは核実験であった。
核実験が盛んなころのタバコの葉にはかなりの高濃度のポロニウム210が含まれていたそうだ。

春の香りから、物騒な話になってしまった。
では、また。