「みのるほど こうべ(頭)をたれる いなほ(稲穂)かな」
とは、年配の方なら修身とか道徳の時間に習ったのではなかろうか?
私は、この五・七・五で「稲穂」という季語も入っているから、てっきり俳句だろうと思っていた。
それで誰の作なのか調べたら、どうやら作者不詳(広辞苑)だそうで、ことわざに分類されている。

実りの秋を謳ったものというより、「人間は年を取って成長するにつれ、謙虚にならないかん」ということを実った稲穂に例えているのだと。
「姿勢が低い」ことを、いよいよ充実して重くなった頭を下げる稲穂に例えたわけだ。
「充実」と「謙虚」は表裏一体のものなのだと教えられる。
この京都府南部でも稲の刈り取りがほぼ終わったようだ。
田は、地面を見せ、鳥たちが落ち穂を拾っている。
「秋津洲(あきつしま)」らしい風景だ。
とは、年配の方なら修身とか道徳の時間に習ったのではなかろうか?
私は、この五・七・五で「稲穂」という季語も入っているから、てっきり俳句だろうと思っていた。
それで誰の作なのか調べたら、どうやら作者不詳(広辞苑)だそうで、ことわざに分類されている。

実りの秋を謳ったものというより、「人間は年を取って成長するにつれ、謙虚にならないかん」ということを実った稲穂に例えているのだと。
「姿勢が低い」ことを、いよいよ充実して重くなった頭を下げる稲穂に例えたわけだ。
「充実」と「謙虚」は表裏一体のものなのだと教えられる。
この京都府南部でも稲の刈り取りがほぼ終わったようだ。
田は、地面を見せ、鳥たちが落ち穂を拾っている。
「秋津洲(あきつしま)」らしい風景だ。
作者不詳・・・そうですか・・・
成句なのにね・・・
頭で思い出すのは李白
習字で書いた覚えがあります。
自分の 幼稚な字が 好きです。
自己愛よりも 見栄が大事な
江戸っ子が 気分的にあるのでしょ・・
静夜思<李白>
牀前 月光を看る
疑うらくは是 地上の霜かと
頭を挙げて 山月を望み
頭を低れて 故鄕を思う