「ネタニヤフ調書」という映画を観た
パレスチナでの戦闘が止まない現実を知ることができるドキュメンタリーだった

「あんぱん」の総集編も観た
逆転しない正義への問いかけが私の心に訴える

そうだ、このブログを始めたころは平和主義を貫こうとしていたはずだ

「国のために命を懸ける」ようなまやかしの愛国心を国民に植え付けないような思想が私たちに必要なのだ

戦後民主主義が日本人にもたらした平和主義は日本をダメにしただろうか?
保守主義者はそう言うのだが

私はそうは思わない
火中の栗を拾うのが日本のこれからの平和主義なのだから
なんと言われようと、愚直に平和を説くのが日本の立ち位置だ

日本国憲法前文を今一度読んでみよう
格調高い、押し付けられたと言われる前文を
押し付けられないと、わからなかった当時の日本人だったから仕方がない
鬼畜米英に助けられたわけだ
今も彼らには頭が上がらない
永続敗戦国「日本」と説かれるのも意味のあることだろう
だからといって暴力を許すのは論点がずれている

覆らない正義があるとしたら、それは非暴力だ

正しいことと「正義」は微妙に違う。ことによっては大きく異なる

数学では「三角形の内角の和は180°である」と説く
これは「正しい」が、ユークリッド幾何学の範囲でのこと
非ユークリッド幾何学、たとえば球面幾何学の世界では成り立たない

これを非正義と同じとは暴論だが、見方を変える視座のたとえとしては許されるだろうか

また視野を広げるたとえとして、
有理数と無理数、実数と複素数と世界が広がるとき、景色が大きく変わるだろう
自然数や整数だけの世界では見えなかった世界が

「正しい」が数学の世界では「真」と言い換えられる
真偽の「真」である
「正義」には「不正義」とか「不義理」とかが反対語になるだろうか
問題なのは「義」という漢字だ
これが立場によって意味が違ってしまうから、諍(いさか)いが起こるのだ
この儒学が教える「義」がそもそも受け取る側に問題を起こす
法律の世界でも「信義則」などというあいまいな言葉が平気で使われる
こういうのを忖度(そんたく)を助長する言葉だと私は思うのだ
忖度とは、主観と客観のずれ、憶測が憶測を呼び、ねじまがっていく悪しき感情だ
それは、相手の気持ちを推し量る、深謀遠慮であるという意見もあるだろうが
「深謀遠慮」?
それも「謀」、つまり「はかりごと」ではないか?

邪(よこしま)な心が「謀」だ
「信義」にもとるとはこのことだ
だから正義は「義」によってねじ曲がってしまうのだ

「義」は覆る
人の心に巣食う「義」はさまざまな誤りを犯した
信じた心を裏切るのだ