2026年が明けた
2年前には能登半島地震があった
なんとも悲惨な災害だった
災害関連死が半数以上を占めたということも記憶にある
国も、自治体も無策だった
あろうことか大阪関西万博開催に力を注いだのだ
成功・不成功、さまざまに議論されているけれど被災者には響かない

過疎地は放置されたのだ
物理的に近づけなかったという不便な地域だったことは認めよう
しかし、やりようがあっただろう

地球は生きている
青森・八戸そして吐噶喇(とから)列島なども群発地震で安心できずにいる

避難訓練や耐震化に積極的な自治体もいるし、国も防災庁に力点を置くと言うが、演技のように思えてならない
災害には覚悟がいるのだ
財産を顧みず、わが身一つを守り抜くか、決死の覚悟かである
そして助からない地域からは、できるかぎり移住するほかない
私は京都府宇治市に住むからそんなことが言えるのかもしれない
最初から安全な、便利な町に住んでいるから勝手なことが言えるのだ

生まれたところ、住んだところで引き当てる命の重みが格差として存在する
移動の自由が保障される日本なら、そこは仕方のないことかもしれない
日本に生まれたことがすでに、災害と共に生きる覚悟を強いられるのだった

どこにいようとも、いつでも死ぬ覚悟ができておかねばならないとつくづく思う
若い人にそれを説くのは難しい
前途洋々の彼らにそのような老婆心を説いても無駄だからだ

執著(しゅうじゃく)しないこと
思索の末、悟りを得ること
無明と無常を知覚することだ

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり