世のライターなんかコタツ記事ばかり書いてんだろと思う
あたしの意地が悪いところがあるのかもですがね
ブログはもともと電子日誌であるから、コタツ記事であるわけだ
読まれることを期待していないから書けるわけで、承認要求もかなり少ない
自己満足は書くことにあり、ずいぶん書いたなと思えればそれでいい
承認してもらおうなどと構えて書きはしないのである
地元の児童文学会に寄稿するには、文章訓練も必要であるからブログで「壁打ち」をやるのは、あたしとしては意義のあることのなのである
少子化、恋愛、マネー、格差などについて書いておられるライター達の記事を読むと、お説ごもっともなんだけれど、どこかで読んだような記事だったりして目新しさ、学びがない
「みんな、それについては知ってんだよ」とつっこみをいれたくなる
格差のどん底にあるあたしから、上から目線で俯瞰されて「いいこと書いてる」風を吹かせられたんじゃ、頭にも来るさね
そんでコタツ記事書いて、お代を頂戴しているってのが腹立たしい
学者や学歴なんてクソだと思いつつ、高学歴の文化人は本などを簡単にものし、利いた風なことを世間に垂れ流す
あたしは、この平和ボケした日本の世の中がきらいではない
平和ボケこそ日本人たる「らしさ」であり、あたしたちにとって、対岸の火事のやじうま根性が単調な毎日に色どりを添えるのだ
若い人は簡単に人を殺し、世間に背を向けてゲームばかりしている(あたしのイメージ)
言葉も通じないし、タイパしか考えていない人たちと交わる気は毛頭ない
とはいえ、中高生には勉強を教えなければならない
ことに中学生はおさなすぎるように見える
家庭に事情を抱える子たちだから、大人になり切れない、将来を見据えられないのは仕方がないのかもしれないが、どこか病んでいるように見えるのはあたしだけだろうか?
愛着障害という言葉もある
片親の子も多いし、再婚する親も多い
連れ子とのあつれきもある
身内からの性的なものを含む虐待もある
勉強のできる子は、裕福な家の子だけになってしまい、貧困にあえぐ家の子は勉強などやりたいと思わないようだ
教育にお金をかけられる家の子供だけが貧困とは無縁の、高学歴社会で生きていく
勉強などしても無駄と、すでに諦めている14歳付近の青少年に教えることは難しい
机の前に一定時間すわることさえままならないのだから
勉強の場に筆記具すらもってこない子は、あたしたち大人に対する抵抗なのか?
それは社会への反目だとも思う
昔のようなはっきりした非行少年やツッパリはいない
むしろ反社的思想は潜在化して、ときおり爆発するのだ
自分も人も傷つけることを予測しない
命は、彼らにとって守るほど大切なものではないらしい
平和ボケは、浸っている大人は無責任なのである
子どもたちは、偏った情報に常時さらされ、夢と現実を区別できず、死=リセットと考えて簡単にやり直せると思うらしい
これがいつまでも続く日本という国は、世界の中で大きくバランスを欠いている
累卵之危とはこのことか?
あたしの意地が悪いところがあるのかもですがね
ブログはもともと電子日誌であるから、コタツ記事であるわけだ
読まれることを期待していないから書けるわけで、承認要求もかなり少ない
自己満足は書くことにあり、ずいぶん書いたなと思えればそれでいい
承認してもらおうなどと構えて書きはしないのである
地元の児童文学会に寄稿するには、文章訓練も必要であるからブログで「壁打ち」をやるのは、あたしとしては意義のあることのなのである
少子化、恋愛、マネー、格差などについて書いておられるライター達の記事を読むと、お説ごもっともなんだけれど、どこかで読んだような記事だったりして目新しさ、学びがない
「みんな、それについては知ってんだよ」とつっこみをいれたくなる
格差のどん底にあるあたしから、上から目線で俯瞰されて「いいこと書いてる」風を吹かせられたんじゃ、頭にも来るさね
そんでコタツ記事書いて、お代を頂戴しているってのが腹立たしい
学者や学歴なんてクソだと思いつつ、高学歴の文化人は本などを簡単にものし、利いた風なことを世間に垂れ流す
あたしは、この平和ボケした日本の世の中がきらいではない
平和ボケこそ日本人たる「らしさ」であり、あたしたちにとって、対岸の火事のやじうま根性が単調な毎日に色どりを添えるのだ
若い人は簡単に人を殺し、世間に背を向けてゲームばかりしている(あたしのイメージ)
言葉も通じないし、タイパしか考えていない人たちと交わる気は毛頭ない
とはいえ、中高生には勉強を教えなければならない
ことに中学生はおさなすぎるように見える
家庭に事情を抱える子たちだから、大人になり切れない、将来を見据えられないのは仕方がないのかもしれないが、どこか病んでいるように見えるのはあたしだけだろうか?
愛着障害という言葉もある
片親の子も多いし、再婚する親も多い
連れ子とのあつれきもある
身内からの性的なものを含む虐待もある
勉強のできる子は、裕福な家の子だけになってしまい、貧困にあえぐ家の子は勉強などやりたいと思わないようだ
教育にお金をかけられる家の子供だけが貧困とは無縁の、高学歴社会で生きていく
勉強などしても無駄と、すでに諦めている14歳付近の青少年に教えることは難しい
机の前に一定時間すわることさえままならないのだから
勉強の場に筆記具すらもってこない子は、あたしたち大人に対する抵抗なのか?
それは社会への反目だとも思う
昔のようなはっきりした非行少年やツッパリはいない
むしろ反社的思想は潜在化して、ときおり爆発するのだ
自分も人も傷つけることを予測しない
命は、彼らにとって守るほど大切なものではないらしい
平和ボケは、浸っている大人は無責任なのである
子どもたちは、偏った情報に常時さらされ、夢と現実を区別できず、死=リセットと考えて簡単にやり直せると思うらしい
これがいつまでも続く日本という国は、世界の中で大きくバランスを欠いている
累卵之危とはこのことか?