ネトウヨのような「井の中の蛙」が勝手なことを言うておるけれども、「愛国心」というのとはほど遠い。
アジアの中の日本だとか、グローバルな視点でものを考えるだとかいう自称「国際派」の輩も、新左翼とさして変わらぬ。
アメリカでMBAなどを取ったとかいう「臭い」詐欺師的経済学者がよく口にする。
「中華思想」に対するものは「大和魂」であろうか。
「恨(ハン)」に対極するのが「大和魂」であろうか。
「特攻」するのが、「大和魂」か?
あほな。
そんな「やすけない」もんやない。
「過去の無辜の人々の無念の死があって、今の我々が生かされている 」という、聞き惚れるような、歯の五メートルほど浮くような若者の声を聴くにつけ、情けなくなる。
だから靖国に参拝して英霊に感謝するだと。何も知らないガキのくせに。
そう言う奴に限って、敵前逃亡するか銃弾の音で小便をちびるような小人(しょうじん)なのだ。
彼らの口は饒舌である。
南京の虐殺があったとかなかったとかは、この際問題ではないと言えば、中国人は激怒するだろう。
虐殺された人数が、当時の南京市民より多いのは中国人が水増ししただからだと日本人が言う。
どっちが本当か知らないが、日本人に殺されたり、犯された中国人がいたことははっきりしているのよ。
人数の問題ではないの。虐殺は。
でもね、戦争だからしかたないじゃないという見方もあるわね。
戦争した方が悪いし、誘ったほうも悪いだろう。
市民は悪くないか?軍人が悪いのか?財閥か?傍観していた列強諸国か?
戦争になったらそれは、災害と同じで、朝鮮人が強制連行されたとしても、もはや請求権を放棄したのだからいまさら言うなというのもうなづける。
キリがないから。
一番いいのは、忘れることよ。
過去を語り継がないこと。
やっぱり、人間は過ちを繰り返すだろう。
それは、語り継いでもいっしょなんだ。
今の日本のネトウヨ族をみたらわかるでしょう。
過ちは繰り返されるの。
過去は忘れて、あたらしい国際関係を築くしかないのでしょうね。
いがみ合いながら。
よりましな「落としどころ」で決着するというのが。
先送りもありですわ。そのためには。
棚上げ論ですね。大人だから。
別に、今を生きている我々が、戦争で命を落とした人々「だけ」のおかげで生かされているわけではない。
虐殺で命を落とした他国の人々、自由民権運動で命を落とした人々、開国のどさくさで命を落とした人々、津波で飲まれた人々、震災で下敷きになった人々、絞首刑でぶら下がった人々、善悪いろんな人々が作った歴史の上で我々は生かされているのだ。
失われた命の選別をしてはいけない。
英霊などないのよ。
死んだらおしまい。
愛する人のために生きて、死ねたら、それこそ人類愛だと言える。
死ぬのは、そう、運が良かったか、悪かったからでしょう。
科学的には、そこに意味を見出さない。
死は再生への新たなスタートだから。
そうして元素は巡っていく。
地球上では悠久の昔からそうして、滅亡と再生を繰り返してきた。
今はその一ページにすぎない。
もし拠り所が必要なら、神か仏にすがるがいい。
それは悪いことではない。
死後の世界を信じることは、緊張緩和につながるだろうから。
で、「正しいことは、間違っている」という命題。
あたしたち日本人が「正しい」と思っていることは、他国の人から見れば「間違っている」という二面性を言うてます。
科学では、見方を変えても不変な記述、もしくは理解を求めますが、思想ではそうではない。
不変を求めると争いになるからです。
不変の価値観はないと思って人と接するのが肝要です。
哲学でさえ、論理学の部分では数学に近いので不変の記述ですが、発展した哲学はもはや、絶えず論者の好き嫌いが侵入し、手放しには受け入れがたくなっています。
あたしは、科学は不変と信じても、思想は自分の好きなように解釈したいの。
エセ科学者が、変な発見をしたりするのもおもしろいけどさ。
アジアの中の日本だとか、グローバルな視点でものを考えるだとかいう自称「国際派」の輩も、新左翼とさして変わらぬ。
アメリカでMBAなどを取ったとかいう「臭い」詐欺師的経済学者がよく口にする。
「中華思想」に対するものは「大和魂」であろうか。
「恨(ハン)」に対極するのが「大和魂」であろうか。
「特攻」するのが、「大和魂」か?
あほな。
そんな「やすけない」もんやない。
「過去の無辜の人々の無念の死があって、今の我々が生かされている 」という、聞き惚れるような、歯の五メートルほど浮くような若者の声を聴くにつけ、情けなくなる。
だから靖国に参拝して英霊に感謝するだと。何も知らないガキのくせに。
そう言う奴に限って、敵前逃亡するか銃弾の音で小便をちびるような小人(しょうじん)なのだ。
彼らの口は饒舌である。
南京の虐殺があったとかなかったとかは、この際問題ではないと言えば、中国人は激怒するだろう。
虐殺された人数が、当時の南京市民より多いのは中国人が水増ししただからだと日本人が言う。
どっちが本当か知らないが、日本人に殺されたり、犯された中国人がいたことははっきりしているのよ。
人数の問題ではないの。虐殺は。
でもね、戦争だからしかたないじゃないという見方もあるわね。
戦争した方が悪いし、誘ったほうも悪いだろう。
市民は悪くないか?軍人が悪いのか?財閥か?傍観していた列強諸国か?
戦争になったらそれは、災害と同じで、朝鮮人が強制連行されたとしても、もはや請求権を放棄したのだからいまさら言うなというのもうなづける。
キリがないから。
一番いいのは、忘れることよ。
過去を語り継がないこと。
やっぱり、人間は過ちを繰り返すだろう。
それは、語り継いでもいっしょなんだ。
今の日本のネトウヨ族をみたらわかるでしょう。
過ちは繰り返されるの。
過去は忘れて、あたらしい国際関係を築くしかないのでしょうね。
いがみ合いながら。
よりましな「落としどころ」で決着するというのが。
先送りもありですわ。そのためには。
棚上げ論ですね。大人だから。
別に、今を生きている我々が、戦争で命を落とした人々「だけ」のおかげで生かされているわけではない。
虐殺で命を落とした他国の人々、自由民権運動で命を落とした人々、開国のどさくさで命を落とした人々、津波で飲まれた人々、震災で下敷きになった人々、絞首刑でぶら下がった人々、善悪いろんな人々が作った歴史の上で我々は生かされているのだ。
失われた命の選別をしてはいけない。
英霊などないのよ。
死んだらおしまい。
愛する人のために生きて、死ねたら、それこそ人類愛だと言える。
死ぬのは、そう、運が良かったか、悪かったからでしょう。
科学的には、そこに意味を見出さない。
死は再生への新たなスタートだから。
そうして元素は巡っていく。
地球上では悠久の昔からそうして、滅亡と再生を繰り返してきた。
今はその一ページにすぎない。
もし拠り所が必要なら、神か仏にすがるがいい。
それは悪いことではない。
死後の世界を信じることは、緊張緩和につながるだろうから。
で、「正しいことは、間違っている」という命題。
あたしたち日本人が「正しい」と思っていることは、他国の人から見れば「間違っている」という二面性を言うてます。
科学では、見方を変えても不変な記述、もしくは理解を求めますが、思想ではそうではない。
不変を求めると争いになるからです。
不変の価値観はないと思って人と接するのが肝要です。
哲学でさえ、論理学の部分では数学に近いので不変の記述ですが、発展した哲学はもはや、絶えず論者の好き嫌いが侵入し、手放しには受け入れがたくなっています。
あたしは、科学は不変と信じても、思想は自分の好きなように解釈したいの。
エセ科学者が、変な発見をしたりするのもおもしろいけどさ。